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2026年6月13日土曜日

ミゲル・サラド逝く

 


6月12日、ヘレスのギタリスト、ミゲル・サラドが亡くなりました。

1981年9月20日ヘレス生まれ。歌伴奏を得意とし、決して前に出過ぎず、歌を支える演奏で、多くの歌い手たちと共演してきました。写真は昨年7月、ラス、カベサス・デ・サン・フアンのフェスティバルでアウロラ・バルガスを伴奏しているところ。

ニュース記事によるとガンが見つかったのは2023年と言いますが昨年までは普通に演奏を続けていました。ホセ・メルセ、ランカピーノ、パンセキート、ヘスス・メンデスなど数多くの歌い手たちを伴奏してきたのでした。安らかに。


2026年5月15日金曜日

訃報/エル・カブレーロ

 歌い手、エル・カブレーロが5月13日、セビージャ郊外の病院で亡くなりました。81歳でした。

本名ホセ・ドミンゲス・ムニョスは1944年10月19日セビージャ県県アスナルコジャールの生まれ。カブレーロとは山羊飼いのことで、その名の通り、子供の頃から山羊飼いを職とし、ラジオでフラメンコを聴いて学んだと言われます。 70年代にセビージャの劇団、ラ・クアドラの作品でプロとしてのキャリアをはじめ、75年に初録音。80年にはコルドバのコンクール、ソレア部門、マラゲーニャ部門で優勝し、80年代、90年代は各地のフラメンコ・フェスティバルを主に活躍。得意のファンダンゴでは社会的政治的テーマを歌うことも多く、高い人気があった。

黒いシャツに黒いズボン、カーボーイハット(のようなツバの広い帽子)と首に巻いたチーフがトレードマーク。パワフルな声で歌う彼はフェスティバルでカマロンと並ぶほどの人気で、観客の熱狂を昨日のことのように思い出します。パセオ誌で活躍した写真家の高瀬さんはカブレーロのブレリアが好きだったなあ。

2020年に引退、その後脳梗塞を患ったそうです。



合掌。

彼についてのドキュメンタリーがYoutubeで無料で見られます。



これ観ていると、音程いいし、ファンダンゴだけでなく、ファルーカなんかも歌っているし、レパートリー広かったんだな、と。ただフェスティバルでは数曲しか歌わないから、ファンダンゴとブレリア主体になっていたんだろうな、と思うなど。スペイン語母語じゃないこともあってか、ファンダンゴ苦手だったんだよね、あの頃。

2026年2月18日水曜日

訃報 マリア・マグダレーナ

 2月15日午後に、スペイン舞踊教授、マリア・マグダレーナが亡くなりました。

マドリードのスタジオ、アモール・デ・ディオスで スペイン舞踊の基礎やカスタネットのクラスを開講していたマリア・マグダレーナ。訃報を聞いて、記事を書くため色々検索してみたり、本を探したりしたけれど、バイオなどは全く引っかかってこないのは、表舞台で活躍したわけではなく、縁の下の力持ち的存在だったからでしょうか。スマホのカメラ/ビデオが出現するより前に引退なさったこともあるのかもしれません。

スペイン国立バレエ団創立時のスペイン舞踊教授だったというのも今回、国立バレエ団のSNSへの投稿で知りました。

アモール・デ・ディオス通りの古い建物にあった時代。カルロス・サウラ監督の『カルメン』の映画で、アントニオ・ガデスがパコ・デ・ルシアとカルメン役の候補を探して彼女のクラスを訪れるシーンがありました。

(ガデス財団がシェアしてた動画のリンク

振り付けではなく、フラメンコ、スペイン舞踊の基礎を教えるクラス。

姿勢、基本の動き。カスタネット。

マドリードでフラメンコを学ぼうとする人は皆彼女のクラスに通ったと言っても過言ではないくらいの存在でありました。彼女が教授活動から引退してからのち、マドリードの若手たちは、美しい姿勢など失ってしまい、派手な効果的な技ばかり目立つ踊りになってきたような気がする。気のせいだったらいいのだけど。

日本からの留学生たちも皆、彼女のクラスで多くを学んだといいます。

やすらかに。






2026年2月11日水曜日

ラファエル・アマドール逝く

 2月8日、ラファエル・アマドールが亡くなりました。

ギタリストで歌手、一つ年上の兄ライムンド・アマドールとのグループ、パタ・ネグラで活躍。パタ・ネグラのアルバム『ブルース・デ・ラ・フロンテーラ』はスペインのロック雑誌に80年代のベストアルバムに選ばれたほど、ロックでフラメンコな、その楽曲は今も多くの人たちに愛聴されています。


1960年セビージャ生まれ。1970年代に兄ライムンドらと街中や街道筋の居酒屋ベンタなどで演奏、1977年キコ・ベネノとアルバム『ベネノ』を録音。1981年にはパタ・ネグラとしての最初のアルバムを録音。 従兄弟の従兄弟のフアン・ホセ・アマドールも参加したアルバムなども発表。そして『ブルース・デ・ラ・フロンテーラ』へ。

兄弟の対立などもあり、ライムンドと分かれ、『インスピラシオン・イ・ロクーラ』を発表。


健康上の問題などもあり、舞台に立つことは少なかったけど、天才の一人だったと思います。

トリアーナのペーニャ・エル・ボージョで、彼とリケーニがいて、ギターを弾きたいとおいうことで近所の家からおもちゃのような安ギターを借りてきて二人で弾き始めたことがありました。最初は音が出ないなあ、いいギターがあったらなあ、と思っていたのが、一度家に帰って、お昼ご飯食べて戻った時にはそのギターが鳴り始めていて、ギターは楽器でなく、弾き手が鳴らせるものなのだなあ、と感じたことでした。

弟でピアニストのディエゴ・アマドールや息子たちに見守られて眠りについたとか。

65歳、あまりにも若い。安らかに。





2026年1月7日水曜日

訃報 フアン・ラミレス

 


フアン・ラミレスが亡くなったと、ポル・バケーロのfacebookで読んでフリーズ。あれ、つい最近、スペインの靴ブランド、カンペルのフラメンコ風シューズのプロモーションの写真がアップされてたよね、ここ数年もマドリードなどで公演の話聞いてたのに。なぜ?突然?

どうやら急激に病状が進行して、だった模様。

1959年メリダ生まれ。本名フアン・ナバス・サルゲロ。幼い時からセビージャに住み、1971年にヒタニージョ・デ・オロの名前でフラメンコの天才少年としてレコードデビュー。


その後、セビージャを離れたが、1982年ビエナルのヒラルディージョのコンクールに参加)優勝はマリオ・マジャ)、また1986年コルドバのコンクールでパストーラ・パボン賞受賞。この時期、パコ・デ・ルシアのセクステットに参加。



アルバム『シロコ(邦題; 熱風)』収録のアレグリアスでサパテアードを聴かせている。ただし飛行機嫌いでセクステットのツアーのリズムについていくことができず、マノロ・ソレールに代わった。

私が彼の名前を知ったのはパセオに友繁晶子さんのエッセイでだったが、実際に見ることができたのは90年台のこと。マドリードのカサ・パタスやレボルベールという、どちらも今はないライブハウスで踊るという話を聞いてセビージャからはるばる出かけて行ったものだ。とにかく足がすごい。怒涛のサパテアード。音楽のような靴音は耳に心地良く、いつまでも聴いていたかった。足ばかりでブラソはないとか揶揄されていたが、腕にエネルギーが集中していたような印象も残っている。アントニオ・カナーレスや、彼以降の踊り手たちに与えた影響は計り知れない。リズム遊びのような複雑なサパテアードの祖と言ってもいいかもしれないのだろうと思う。



その後、一時表舞台から遠ざかった時期もあったが(靴を売っているという噂だった)、2004年『マス・フラメンコ・ケ・タコン』というアルバム(CD+DVD)を発表。


最近までマドリードやスペイン各地のタブラオなどで活躍していた。

靴メーカー、カンペールのプロモーションhttps://www.camper-japan.jp/item/women/post-27.html

でその写真が使われていたので、お元気だとばかり思っていたのですが。

カンペルのホームページから

65歳。早すぎる。心からご冥福をお祈りします。


また同日、アンダルシア・ロックのグループ、スマッシュのドラマー、アントニオ・スマッシュも亡くなりました。享年73歳。訃報が続きます。

2025年11月14日金曜日

フォスフォリート逝く

 歌い手フォスフォリートが亡くなりました。93歳。水曜にマラガの病院に入院、木曜朝になくなったそうです。コルドバ市は2日間、喪に服すとのことです。

本名アントニオ・フェルナンデス・ディアス。1932年8月3日、コルドバ県プエンテ・ヘニルの生まれ。

1956年、第1回コルドバのコンクール5部門で優勝という圧倒的な実力で注目され、多数のアルバムを、パコ・デ・ルシア他の伴奏で録音。

1985年コンパス・デ・カンテ賞、1999年パストーラ・パボン賞、2005年カンテ黄金の鍵、2006年アンダルシア章、2007年美術金章など多数の賞を受賞しています。

2003年コルドバのコンクールの時マリオ・マジャ、マティルデ・コラルらと

パコのパストーラ賞の授賞式

2011年マティルデと


2008年ヘレスのフラメンコ学会賞の授賞式でチャノ・ロバート、ホセ・ガルバンと志風

ご冥福をお祈りします

2025年9月29日月曜日

ホセ・ルイス・オルティス・ヌエボ

9月27日、セビージャのカルボネリアでホセ・ルイス・オルティス・ヌエボの書籍『ペペ・エル・デ・ラ・マトローナ。レクエルド・デ・ウン・カンタオール・セビジャーノ(セビージャの歌い手の思い出)』の出版発表が行われました。

この本は1975年に出版されたものの再版なのですが、それ以降の新聞記事なども収録するなど新版と言えるのではないかと思います。オリジナルを持っていないので比較できないのですが。

ビエナルの創設者で1996年まで86年を除き同監督を務めていたホセ・ルイス・オルティス・ヌエボはマドリード、コンプルテンセ大学在学中にエンリケ・モレンテと知り合い、その後、知己を得て、彼の思い出語りを書き留めた本を書き上げたのは1973年のことだったそう。75年、ペリコン・デ・カディスの聞き語りと共に発売されました。以後、ボリーコやエンリケ・エル・コホ、ティア・アニカ・ラ・ピリニャーカらの聞き語りなど、これまでに20冊ほどのフラメンコ関係の本を執筆しています。
1887年セビージャ生まれで, 19歳でマドリードにでたぺぺ・エル・デ・ラ・マトローナは、スペイン内戦前から20世紀のフラメンコを生き抜いた人。その思い出はそのままフラメンコの歴史でありスペインの現代史。


当日は著者(写真右端)のほか、

ギタリスト・ペドロ・バラガン、歌い手マヌエル・ロメーロも登場し、
ぺぺ・デ・ラ・マトローナが歌ったカンテを再現してくれました。



というわけで、楽しく過ごせたのでありました。

本も少しずつ読んでいきたいと思います。




 

2025年9月5日金曜日

コルドバのコンクール

 今年はコルドバのコンクールの開催年。11月に開催されるこのコンクール、18歳以上なら誰でも参加できます。以前はギターはソロと伴奏に分かれ、また舞踊、歌とも曲種ごとに細かい部門分けがあって各部門に優勝者がいたのですが(1995年に AMI がグアヒーラでアルヘンティニータ賞を受賞していますね。同じ年の他部門の受賞者にはアントニオ・エル・ピパやイスラエル・ガルバンがいます)、2010年に大幅な改革が行われ、歌、舞踊ともに異なった4種から4曲選んで歌唱、舞踊は4つの曲種分類から3曲えらんで審査、ギターはソロ、歌伴奏、舞踊伴奏と、これも三つの分野で審査が行われ優勝者が決まる、また審査員は全員アーティストというシステムになりました。

今年は新しく、ギター以外の楽器部門もできました。

要項、応募方法など詳細は、こちらのページにありますのでご参考までに。


申し込みは今月28日スペイン時間の24時までだそう。プロが多く参加する、優勝へのハードルが高いコンクールですが、我こそは、という方は挑戦してみてもいいかもしれません。




◇第24回コンクルソ・ナシオナル・デ・アルテ・フラメンコ・デ・コルドバ(コルドバのコンクール)

11/3(月)~22(土)

11/3(月)~5(水)17時~ カンテ予選

6(木)17時~ ギター予選

10(月)11(火)17時~ バイレ予選

11/14(金)17時~ フラメンコ奏者(ギター以外の楽器)決勝

17(月)~19(水)20時~ バイレ、ギター、カンテ決勝

[場]コルドバ グラン・テアトロ サラ・デ・テラレス

11/22(土)20時 ガラ、授賞式

[場]コルドバ グラン・テアトロ

公演

11/8(土)20時

[出]〈g〉ダニエル・カサレス、コルドバ・オーケストラ

[場]コルドバ グラン・テアトロ

11/12(水)20時『オルビダダス』

[出]〈b〉メルセデス・デ・コルドバ、〈g〉フアン・カンパージョ

[場]コルドバ グラン・テアトロ

11/13(木)20時『マタンセラ』

[出]〈c〉ラ・カイタ、トレメンディータ

[場]コルドバ ゴンゴラ劇場

11/15(土)20時『ラ・エダ・デ・オロ20周年』

[出]〈b〉イスラエル・ガルバン、〈c〉マリア・マリン、〈g〉ラファエル・ロドリゲス

[場]コルドバ グラン・テアトロ

11/16(日)20時『エンパケ』

[出]〈b、ジャグリング〉ヘルマン・J・ロペス・ガルバン

[場]コルドバ ゴンゴラ劇場 2026年

11/17(月)。18(火)10時と12時(子供向け)

[出]〈b〉アナベル・ベロソほか

[場]コルドバ ゴンゴラ劇場

11/20(木)20時『イムノ・ベルティカル』

[出]〈c〉ロシオ・マルケスほか

[場]コルドバ ゴンゴラ劇場

[問]https://teatrocordoba.es/cnaf/




2025年7月17日木曜日

第9回フラメンコ才能コンクール決勝


クリスティーナ・ヘーレン財団によるフラメンコ才能コンクール舞踊部門、マノロ・ソレール・コンクール決勝が7月14日19時からセビージャはトリアーにある財団本拠地のトリアーナ、フラメンコ劇場で行われました。

7月8日にはカンテ決勝がウエルバで、9日はギター決勝がトリアーナで行われ、カンテは1位ベレン・デ・ロス・レジェス、2位アルバロ・ビジャラン、3位アントニオ・ロペスで1、2位は財団の学校で学ぶ奨学金も獲得。9日にはギター伴奏部門で1位パブロ・エレディア、2位カルロス・グランデ、3位フアン・バリノテ、奨学金サルバドル・リンコン、ソロ部門奨学金カロリネ・エスピノサが受賞。

そして14日の舞踊部門決勝。6月末の準決勝に続いて行って参りました。決勝は7人。それぞれ2曲踊るので4時間の長丁場となりました。疲れた。審査員の皆様(批評家マルタ・カラスコ、ルイサ・パリシオ、チョロ、フェルナンド・ヒメネス、パトリシア・ゲレロ)もお疲れ様でした。

トップバッターはコルドバの青少年コンクールで優勝したナタリア。タラント。1番目ということで緊張してたのかな、コルドバの決勝の時のような実力発揮には至らず。でも表現はいいし、力もある。ただ足らんとのジャケットにキラキラついているのってどうよ、あと、レオタード風のトップもどうなんでしょう。

グラナダのマリア・マシアスはカーニャ。でも速度早く、カーニャぽさはない。マントンも力で持ってくタイプ。

ルス・マリア・ガランもタラント。シンプルな衣装だけどスカートのフリルもっと少ない方がよりタラントらしさが出そう。体の使い方がピカイチ。また光るなにかを持っている。

セビージャのハイロ・ベガ、17歳はシギリージャ。何度見ても膝がくっついているとことか気になるんだよね。

コルドバの18歳まで部門優勝のラウル・アルバはアレグリアス。うまい。


続くグラナダのロレナ・エレディアもアレグリアス。カンブレっていう状態を剃らせる技連発。でもマントンの扱いとかまだまだ。


コルドバのロレナ・プリドはティエントス。超スピードで始まり、その後普通の速度になるんだけど、ティエントらしい味わいはない。タンゴはやる気十分。
休憩挟んで2曲目。ナタリアはカーニャ。準決勝でソレア踊ってるし、たぶん衣装も同じ黒いバタというのは減点対象になりそう。違う曲であっても似過ぎてないか?でも踊りは良かった。

マリア・マシアスはタラント。緑のフレコの衣装はうーん、これもタラントらしくはないよね。タラントは地味目真面目な曲、鉱山のもだからということをもちっと考えてほしいよね。今の若い子はみんな派手。
ルス・マリアはジャケットにパンタロンでファルーカ。中に着ているのがレオタード風なんだけど、普通のシャツとかの方が絶対いい。バストン使いも様になっている。伴奏、伴唱がイマイチなんでオフィシャルにやってもらった方が、と思うけど、最後、歌い手に踊ったりするから合わせの関係なのかも
ハイロはカーニャ。ソレア・ポル・ブレリアぽくてカーニャらしさ皆無。

ラウルはシギリージャ。やっぱうまい。
グラナダのロレナもシギリージャ。ダンスなんだけど、衣装が闘牛士の仮装のよう。男装似合う女性と素手ない人といますね。コンパスもあれ、って思う瞬間あり。
最後はコルドバのロレナでロマンセ。これもロマンセぽくはない。

で結果。
優勝はハイロ、2位にマリア・マシアス、3位にラウル・アルバ。奨学金はハイロとマリア、ルス・マリアの3人にプラス、特別にラウル・アルバにも。あと、アンダルシア舞踊団で2週間の研修がルス・マリアに送られました。


ハイロの優勝、マリア・マシアスの2位にはびっくりしたけど、何を評価するのかの違いなんだろう。若さを評価してるのかなあ、勢いはあるけどちょっと雑なマリア・マシアスはルイサにバタとかマントンとか扱かれたら上達しそうではある。まあ、私的には絶対良いと思ったルス・マリアとラウル、18歳の二人も奨学金で勉強できるし良かったと思う。

ビデオ貼っときます。みんな普通にタブラオで踊れそうな感じ。実際に、タブラオで踊ったりもしてるらしい。今後の活躍も楽しみです。



 

2025年7月2日水曜日

第9回フラメンコ才能コンクール決勝進出者発表

 第9回フラメンコ才能コンクール決勝進出者が発表されました。

なんと7人!それだけ接戦だったということなのでしょう。

コルドバのラウル・アルバ



カディス県バルバーテのルス・マリア・ガラン



コルドバのナタリア・ガルシア



グラナダのロレナ・エレディア



グラナダのマリア・マシアス、



コルドバのロレナ・プリド



セビージャのハイロ・ベガ


これ、名字のアルファベット順ですね。


私の推してた二人も入ってくれて嬉しい。ま、当然か。

決勝も観に行くつもりです。


決勝は7月14日19時からYouTubeチャンネルで中継されるとのこと。前回のも残っていますし、おそらくアーカイブにも残るとおもいます。



2025年6月30日月曜日

第22回コルドバ県青少年フラメンコ・コンクール

 第22回コルドバ県青少年フラメンコ・コンクールの決勝がコルドバ県エンシーナ・レアル市役所のオーディトリオで行われました。

14歳から35歳までのコルドバ在住、在学している若手を対象としたこのコンクール、6月12、13日にはコルドバ市にある県庁のパティオの特設舞台で準決勝が行われ、そこでえらばれた各賞対象2名ずつが参加。賞は優勝者のみで2位には賞はないという厳しい戦い。

そのコンクールに審査員として行ってまいりました。他のメンバーは、スペイン国立バレエ監督のルベン・オルモ、コルドバを代表する歌い手エル・ペレ、アルカンヘル、ハエン音楽学校フラメンコギター科教授ラウラ・ゴンサレス。準決勝、決勝と同じメンバーです。

決勝はいずれの参加者も準決勝以上に素晴らしいパフォーマンスを見せてくれました。

結果は以下のとおりです。

  • Premio Antonio Fernández Díaz “Fosforito”:  カンテ/フォスフォリート賞
  • Inmaculada López Cruz
  • Marina Reyes Hidalgo  マリア・レジェス・イダルゴ


  • ©︎ Toni Blanco



  • Premio Vicente Amigo: ギター(ソロと歌伴奏)/ビセンテ・アミーゴ賞
  • Antonio Jesús Gómez Muñoz
  • Melchor de Juan Reyes Jiménez  メルチョール・デ・フアン・レジェス・ヒメネス
  • ©︎ Toni Blanco

    • Premio Blanca del Rey (14 a 18 años): 舞踊/ブランカ・デル・レイ賞(14〜18歳)
    • Lucia Vinos González
    • Raúl Alba Cruz ラウル・アルバ・クルス
    • ©︎ Toni Blanco
    • Premio Olga Pericet (19 a 35 años): 舞踊/オルガ・ペリセ賞(19〜35歳)
    • Inmaculada Concepción Carmona Jiménez
    • Natalia García Castro  ナタリア・ガルシア・カストロ


    • ©︎ Toni Blanco


    賞には届かなかったものの、ギターのアントニオ・ヘスス・ゴメスはいい音を出していましたし、バンベーラを踊ったルシアもマントンとバタでのアレグリアスを踊ったインマクラーダ・カルモナもプロレベルの実力があると思います。ということもあって、この4人にはスペイン国立バレエ団のベカ、マドリードの稽古場で短期間、稽古に参加できる権利が与えられました。

    舞踊の優勝者、ナタリアとラウルは先日のヘーレン財団のコンクールにも出場していたので、決勝に進んだら、また観ることができるかも、と楽しみです。

    このコンクール、特に舞踊のレベルが高く、そういえばヘーレン財団コンクールにもコルドバ出身者が4人出場していたな、と、俄然、コルドバの舞踊が気になってきました。セビージャに先駆けてスペイン舞踊/フラメンコ科がもうけられたということもあるのかなあ。ベテランだと国立バレエで活躍したホセ・セラーノ、長らくコルドバに住んでいるハビエル・ラトーレの影響もあるのか、その後もアンヘル・ムニョス、ナニ・パーニョス、ポル・バケーロ、ウーゴ・サンチェスら多くの踊り手たちが巣立ってきました。この日もパルマで昔ビセンテ・アミーゴのグループで来日したことのあるケコや、かつてのこのコンクールで優勝したジョランダ・オスーナらが参加していました。彼らをはじめ、コンクールのオフィシャルのギタリストや歌い手たちも全力で参加者を若手たちをバックアップしようとしているのが感じられ、それはとても気持ちの良い、胸が熱くなることでしたし、コルドバのフラメンコ、これからも注目かも、と思ったことでした。


    あ、ギターのメルチョールはなんとあのメルチョール・デ・マルチェーナのひ孫さんだそうですよ。すごいな。コルドバの音楽学校ギター科で勉強中とのこと。もうプロという感じの伴奏でムイ・フラメンコでした。

    決勝進出者と審査員、市長、コルドバ県文化担当官©︎ Toni Blanco



    2025年6月17日火曜日

    ラモン・エル・ポルトゥゲス逝く


     歌い手ラモン・エル・ポルトゥゲスが亡くなりました。

    1948年生まれというから77歳。生まれがポルトガルにほど近いバダホス県メリダで、そこからエル・ポルトゥゲス、ポルトガル人という芸名がついたようです。本名はラモン・スアレス・サラサール。歌い手ポリーナ・デ・バダホスの甥で、7歳下の弟アントニオも歌い手グアディアナ。息子たちもフアン・ホセ“パケーテ”(1966)はギタリスト、ラモン“ポリーナ”(1970)、イスラエル“エル・ピラーニャ”(1982) 、サブー(1984)はパーカッション奏者というフラメンコ一家。12歳の時にはマドリードのタブラオに出演していたという彼は1968年にはタブラオ、新宿「エル・フラメンコ」の柿落とし公演に来日。ルンベーロとして出演した。70年代の初めには初録音。舞踊伴唱も得意とし、ソリストとして知られるようになったのは80年代以降のこと。1992年にはアルバム『ヒターノス・デ・ラ・プラサ』を発表している。

    カマロンにも影響を与えた、エストレマドゥーラ地方を代表する歌い手、どうぞ安らかに。





    2025年1月10日金曜日

    追悼エル・グイト

     1月8日夜9時、マドリード郊外コジャード・ビジャルバの病院で、踊り手エドゥアルド・セラーノ“エル・グイト”が亡くなった。82歳だった。

    1942年マドリードの下町、ラストロ地区の生まれ。幼い頃から踊り、映画に出演。


    1952年公開の映画『エル・マセテーロ』から

    ラ・キカやアントニオ・マリンに学び、1957年、14歳でピラール・ロペスのスペイン舞踊団ロンドン公演でデビュー。アントニオ・ガデスやマリオ・マジャとともに世界の舞台で活躍した。

    70年代にはマリオ・マジャ、カルメン・モーラとトリオ・マドリードとして活躍。

    この、マドリードのタブラオ、カフェ・デ・チニータスでのデュオの動画は有名ですよね。



    その後は、ソロで、マドリードはもとより、ビエナルやヘレスのフェスティバルで各地のフェスティバル、ファルーコらと共演したアメリカでの作品「フラメンコ・プーロ」などで活躍。マノレーテと組んだ舞台もあったように記憶している。

    また1978年スペイン国立バレエ団創立時、アントニオ・ガデスに招かれメンバーとなり、その後ガデス舞踊団で、映画『血の婚礼』にも出演している。


    黒っぽいつばのある帽子をかぶって茶色の上下を着ているのですが、わかるかな。

    また、マドリードのスタジオ、アモール・デ・ディオスでも長らく、後進の指導にあたってきた。

    日本にも1987年に小松原庸子の招きでコンクールのゲストとして,来日したのをはじめ、同年8月のは真夏の夜のフラメンコにも出演。また2001年には阿藤久子の招きで、2005年にはフラメンコ・フェスティバルで、と4回来日している。

    20222年に発売されたホセ・マヌエル・ガンボアによる伝記には「ラ・カベサ・デル・フラメンコ!」と副題がついている。フラメンコの頭!というのはかしら、ボスという意味も含んでいるだろうが、その揺るぎない、完璧な頭の位置のことなのだ。

    コロカシオン、姿勢。あるべきところにそれぞれのパーツがあるだけで美しい。

    グイトは舞台に立っているだけで美しい。かっこいい。

    柔らかで華やかな女性舞踊と対極の、抑制された、男性舞踊の粋。フラメンコらしいフラメンコ。




    1996年カナルスールのフラメンコ番組でのファルーカ。


    2003年、スペイン国立バレエの25周年ガラ公演でのソレア。遠くからの撮影で表情が見えないのが残念だけど構成、振り付けはよくわかると思う。


    アントニオ・ガデス、マリオ・マジャ、ファルーコ、マノレーテ…グイトが亡くなり、確実に一つの時代が終わったということがじわじわと実感されてきている。ご冥福をお祈りします。


    2025年1月6日月曜日

    ラ・チュンガ逝く


    2025年、フラメンコ界は悲しいニュースで幕を開けました。

    1月3日、ミカエラ・フローレス・アマジャ“ラ・チュンガ”がなくなったのです。
    87歳でした。

    1938年フランスはマルセイユでスペイン人ヒターノの両親のもと生まれ。1歳でバルセロナへ。子供の時から踊り始め、 道端で踊る裸足の舞姫として注目され、画家ダリら、カタルーニャのインテリたちのミューズとなったそう。
    映画にも出演しました。


    これはグラン・アントニオと共演した映画のワンシーン。




    マドリードのタブラオ、カフェ・デ・チニータスのフィグーラ、看板スターとして長年活躍し、筆者も見ています。ぼんやりとした写真ですが、赤い衣装がチュンガ、その人です。
    カルメン・アマジャの後継者のように見られたこともあるようですが、カルメンのようにたくさんのレパートリーを持つわけでも、正統派フラメンコの舞踊家というわけでもなく、ルンバやブレリアを持ち前の激しい気性、テンペラメントで見せる、という感じだったと記憶しています。ただその彼女ならではの雰囲気がすごい、というタイプ。




     その後、画家として個展を開くなどもしていました。

    国営放送のニュースのリンクを貼っておきますね。

    ご冥福を祈ります。


    2024年8月12日月曜日

    ラ・ウニオン2024/第63回カンテ・デ・ラス・ミーナス国際フェスティバル コンクール決勝

     8月11日第63回カンテ・デ・ラス・ミーナス国際フェスティバルのコンクール決勝が行われました。

    トップバッターはピアニスト、ロレンソ・モジャ。タランタとブレリア。

    続いてチェロのホセ・エル・マルケスがファルーカとグアヒーラ。

    カンテはグレゴリオ・モジャ。マラゲーニャ、タランタ、ミネーラ。

    萩原淳子のカンティーニャ。

    ギターソロはマルコス・デ・シルビア、タランタとアレグリアス。

    カンテ。まずはアンドレーレでタラントとシギリージャ。

    ホセ・プラントンはタラントとペテネラ。

    舞踊でマリア・カネア。ソレア・ポル・ブレリアス。

    再びカンテでヘスス・コルバチョ。マラゲーニャ、タランタ、ミネーラ、グアヒーラ。

    イスコ・エレディアのタランタ。

    アナベル・デ・ビコのカルタヘネーラ。

    ペリートのアレグリアス。

    ギターソロのジョニ・ヒメネス。タランタとソレア。

    イバン・カルピオのマラゲーニャ、タランタ、ミネーラ、シギリージャ。

    最後は舞踊でラウラ・サンタマリアのシギリージャ。


    結果は以下の通り。

    大賞/ランパラ・ミネーラ ヘスース・コルバチョ

    ©︎ Festival Internacional de Cante de Las Minas


    楽器部門 優勝 ホセ・エル・マルケス

         準優勝 ロレンソ・モジャ

    舞踊部門 優勝 萩原淳子

    ギター部門 優勝 ジョニ・ヒメネス

         準優勝 マルコス・デ・シルビア

    ©︎ Festival Internacional de Cante de Las Minas
    カンテ部門III

    ・低アンダルシアのカンテ トナ、シギリージャ。ソレアレス、カーニャ、ポロ、リビアーナ、セラーナス。

    イバン・カルピオ(シギリージャ)

    ・低アンダルシアのカンテ ブレリア、カンティーニャス、タンゴス、ティエントス、ペテネーラ、ファルーカ、ファンダンゴ・ペルソナレスなど

    ヘスース・コルバチョ(グアヒーラ)

    カンテ部門II

    マラガ、グラナダ、コルドバ、ウエルバの歌、アンダルシアのファンダンゴ由来の他の歌。

    ・マラゲーニャ、グラナイーナ・イ・メディア・グラナイーナ、グラナダ、ウエルバ、ルセーナのファンダンゴ、ベルディアーレス、ロンデーニャス、ハベーラ、ハベゴーテ、そのほかのフラメンコの要素のある、地方ファンダンゴ。

    イバン・カルピオ(マラゲーニャ)

    カンテ部門I

    ・ムルシアーナとその他のカンテス・ミネーロス(タラント、レバンティーカ、ファンダンゴ・ミネーロ、カンテス・デ・マドゥルガーなど

    アンドレス・エレディア“アンドレーレ”

    ・タランタス

    イスコ・エレディア

    ・カルタヘネーラス

    アナベル・デ・ビコ

    ・ミネーラス

    ヘスース・コルバチョ

    ©︎ Festival Internacional de Cante de Las Minas

    舞踊部門は1994年に始まりましたが、スペイン国籍以外のアルティスタの優勝は初めて。外国籍の優勝者は2021年学期部門で何はともあれ、の父と日本人の母を持つカナダ人フルート奏者ララ・ウォンに続いて二人目ではないかと思います。また、舞踊部門では2021年2位に米国籍のら・チミが入賞しています。何はともあれ、おめでとうございます。





    2024年8月10日土曜日

    ラ・ウニオン2024/第63回カンテ・デ・ラス・ミーナス国際フェスティバル コンクール決勝進出者

     全員の演技が終わった後審査員による審査会議が行われ、夜半に以下の決勝進出者が発表されました。日本人の決勝進出は2009年の井上圭子以来となります。