2026年9月25日金曜日

エスペランサ・フェルナンデス、ドゥケンデ、ホセ・バレンシア『ア・カネラ・イ・クラボ』

フラメンコに”作品”が求められるようになったのはビエナルからと言われます。ビエナル以前は、舞踊団公演以外は、歌やギターは一人または二人でジョイントリサイタルみたいなのはあっても、歌い手は歌うだけ、踊り手は踊るだけでよかった。フェスティバルでも順番に歌い、踊り、で最後にフィン・デ・フィエスタという形。それがビエナルで、初代監督ホセ・ルイス・オルティス・ヌエボが出身地や年代などをテーマにアーティストが集めて順にパフォーマンスしていくなどの公演を多く実施、その後、監督から代わるとアーティストサイドから企画を提案するのが常態となり、それが他のフェスティバルにも波及した、という感じ。

でも誰もが簡単に作品制作ができるわけじゃありません。アイデアとそれを実現するためのスタッフと資金が必要。で、演者としてはすごくいいけど、あまりフェスティバルには出演しない、目立たない、といった人も出てきたりするわけです。またいいアーティストといいアーティストを組み合わせても全部がうまく行くとは限らない、というのは今年のビエナル開幕ガラでも明らか。

なんでこんなことをつらつら書いたかというと、はい、『カネラ・イ・クラボ』が、よく考えられたテーマのある作品だったからであります。

テーマはヒターノ。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

オープニングはエスペランサ・フェルナンデスによる、ヒターノ/ロマの国歌ならぬ民族歌『ジェレムジェレム』。見事に歌い上げ、セビージャのオペラハウス、マエストランサ劇場を熱で満たします。

ホセ・バレンシアはソレアを熱唱。オペラ歌手のような堂々とした歌いっぷり、場を圧する力がいつも以上に発揮されていたかも。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

セビージャは本当にお久しぶりなドゥケンデはタランタ/カルタヘネーラからのカマロンが歌った『カナステーラ』。あの声、抜群な音程、フラメンコ性、全て健在。これを機にもっとセビージャでも歌ってほしい、と切に願う。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

エスペランサはペテネラとブレリア。豪華なマントンが場を彩る。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

アーティストの入れ替わりにはギター(フアン・レケナ、ジョニ・ヒメネス、素晴らしい!)やコントラバスなどの短いソロがあって、無駄がない。ちなみにコントラバス、バイオリン、フルートの響きもムイ・フラメンコで歌を邪魔せずエレガント。さすがはフアン・パリージャのアレンジ。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

ホセが歌うレブリハーノの『カラバナ(リブレ・コモ・エル・ビエント)』こそスペインのヒターノたちの、フラメンコたちのテーマソングであるべきだと思う。ドゥケンデはセラットの『サエタ』を歌い、ロマンセへ。エル・ガジが歌い、ナサレ・レジェスとお待ちかね、ぺぺ・トーレス。やっぱ、ぺぺはいい。派手さはないけど、思わずオレが出てしまうようなデタジェ、ちょっとした小技が満載で、唸らされる。エレガントなのだ。若いナサレの粗さが余計に目立ってしまうのも致し方ない。

歌い手3人も登場したのえここで終わりかと思いきや3人によるシギリージャ。そこで、『ア・カネラ・イ・クラボ』の歌詞がうたわれ、最後は、ペラータ系一家がよく歌う『カンタ・ヒターノ』で幕。

2時間近い上演時間はやっぱちょっと長すぎるし、客席に光を向ける照明はいただけない(踊っている表情も見えにくい)、音響もボリューム大き過ぎだったけど、作品としてはわかりやすくよくまとめてあったと思う。こういう形の作品にすると、フラメンコをよく知らない、他国の劇場などのプログラムにも張り込みやすいだろうし、フラメンコにとってプラスだと思うのであります。

終演後、ホセが、仲間と一緒だとライバル意識じゃないけど、刺激されていつも以上の実力が出る、みたいなこと言ってたのも印象的。それぞれ、リサイタルでも集客力も実力もあるアーティストだけど共演することで1➕1が3にも5にも10にもなるという感覚。企画したペドロ・マリア・ペーニャの功績もありますね。



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