2020年10月14日水曜日

マヌエル・エレーラ逝く

Twitterで知った。マヌエル・エレーラさんが亡くなったと。

83歳。癌だったそうです。そんなんなんにも知らなくて、こないだのビエナル、会会宣言務めたときもお喋りしてたし、セントラル劇場で隣の席に座って、おしゃべりしてました。ってか、最初彼だと気づかず、前に座った友達と喋っていて、ふと見るとエレーラさん、って驚いて、元気ですかあ、なんて世間話したのが最後。

セビージャ県のはし、コルドバ県マラガ県との県境の町カサリチェ出身。本職は学校の先生で、セビージャ郊外、ロス・パラシオスに住んでいました。そのまちのペーニャを通じて、セビージャにも大きなフラメンコ・フェスティバルが必要と説いて、生まれたのがビエナル。つまりビエナルの産みの親の一人。1998年、2000年、2002年とビエナルの監督をも務めました。



カハソル(旧エル・モンテ)のフエベス・フラメンコスの監督も務めていたので、たくさんの若手をサポートしていました。


マルコ・フローレス


フェルナンド・ロメーロ

ヘスース・メンデス

パトリシア・ゲレーロ



ラファエル・カンパージョ

ラファエル・エステベス、バレリアーノ・パーニョ。



ルベン・オルモ
。。。


彼らはほんの一部。毎週の記者会見兼茶話会での楽しい話。フラメンコを愛し、フラメンコのためにたくさん動いた人。

アンダルシアの学校でフラメンコを教えるよう、動いた人。

その功績は計り知れないけれど、それより何より、その笑顔がきっとみんなの心に残っているはず。フラメンコのお父さんみたいな人でした。みんなをサポートし、みんなを応援していた。否定的なことは決して言わない。

個人的にも、2002年のビエナルではヒラルディージョ賞の審査員に選んでくれるなど、外国人であることで差別もせず、評価してくれたことに今更ながら感謝しています。ちょうど、今日、その審査用紙が出てきて、そんな話をビエナルの事務局でもしていたところでした。

こんなに早くサヨナラになるとは思わなかったけど。これまで本当にありがとう。

きっと、天国で、あなたが大好きだったアーティストたちに会って、歓迎の宴、してるよね今。


カハソルの遠足でサンルーカルでフィエスタ。ギターはペドロ・シエラ。歌うはアントニオ・カリオン。



Hasta pronto!

2011年大震災の時に日本サポートのビデオのためにポーズしてくれました


 

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