2020年10月25日日曜日

さよなら、スーシ

 歌い手、スーシが亡くなった。

生まれはアリカンテだけど、トリアーナにずっと住んでいて、ご近所ということでばったり会うことも多かったのでまだ信じられない。

そう言われてみれば、最近はあんまり姿をみていなかったかも。1ヶ月くらい前だろうか。ビエナルの開催中だったと思う。近所のテラスでお茶してたのを見てる。

本名エンカルナシオン・アマドール・サンティアゴ。1955年アリカンテ生まれ。マヌエラ・カラスコの夫でギタリストのホアキン・アマドールは兄にあたる。スーシという芸名は、彼女の才能を発掘したパコ・デ ・ルシアの父が名付け、1976年にそのデビュー盤をプロデュースしている。

タブラオにデビューしたのは12歳の時。踊り手としてだった。

70年代から80年代にかけてヒットを飛ばし、ブレリアやタンゴを得意とするフェステーラとして人気だった。





この写真は88年にグラナダで撮影したもの。画像が荒いけど、パルメーロは、エストレメーニョとモレニート?かな。フェスティバルで、他にタティやヘレスのグループ(トルタ、カプージョ、ピカ、マカニータ、トマシートらという今から考えると垂涎もの)が出てた。


私は彼女の鉄火肌なブレリアが大好きだった。このYouTubeのブレリアなんてレコードで最初に聞いて、何回聞いただろう。


でも本人は、本格正統なフラメンコが歌いたいんだと話してくれた。で、私が持っている女性歌手たちの古い録音をカセットテープに録音して渡したこともあった。ある日、フェルナンダが聞きたいという。フェスティバルで一緒になることはあったけど、レコードは持っていないのだという。確かに、生のフラメンコに囲まれているとレコード集めたり、ってしないんだろう、と納得。これもカセットに録音して渡した。その後、コンサートでフェルナンダが歌っていたレトラ歌っているのを聞いたこともあった。他にもカンテ・デ ・レバンテなども歌っていたのを覚えている。

ABC紙では11枚のアルバムを録音し、とあるが、そう言えば、ビセンテ・アミーゴと録音するという話もあったはずだけど、あれは結局潰れちゃったのかな。生よりも、レコードで聴いてた印象が強いけど、ご近所のよしみで親しく話せたのはよかった。そういえば彼女のために公演資料、ドシエ作ったこともあったなあ。あれはどうしたのかな。

日本にも、1993年、トマティートと一緒に小松原舞踊団の招きで来日している。2004年には小島章司公演にも。


このエバ・ジェルバブエナと一緒の写真は、モレンテのニーニャ・デ ・ロス・ペイネス賞授賞式の時のもの。エバが自分のFacebookにアップしてた。2003年のもの。



自分が歳をとっていくと知人の死に遭遇することもそれだけ多くなるのは仕方ないことだとは思うけれど、65歳って若すぎる。



心よりご冥福を祈ります。

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