2026年5月31日日曜日

ロシオ・マルケス『イムノ・ベルティカル』


すごく久しぶりに観たロシオ・マルケス。観客席はいつものフラメンコファンじゃない感じの人が多く、ん?って感じ。カハソルでレラ・ソト公演があったからかも。結果、そっちに行けば良かった、と激しく後悔。

彼女の最新盤を舞台に上げたらしいのだけど、舞台装置使ったり、照明に凝ってみたり、ミュージカル調。プログラムにスタッフの名前載せていないけど、ネットで調べたら演出家とか関わっているみたい。CD聴いていないのだけど、作り声で囁くようにしたり叫んだり、と、全体的に芝居がかった表現で、フラメンコのメロディやリズムを使っていても、フラメンコには全く聴こえない。また舞台で女優のように動く訓練も足りない感じ。ギタリストともども、近しい人を亡くして、死を考え故人を悼むレクイエムとのことだけど、うーん、彼女の思いは私には伝わらない。伴奏のペドロ・ロハス・オガジャルはフラメンコも弾くけどフラメンコギタリストではない。エフェクターは彼が操作してたのかな?音響さん?

アンダルシア・フラメンコといっても、フラメンコ色薄いものが登場するのはあるあるなのだけど、うーん、個人的にはフラメンコへの敬意や愛がない感じがしていたたまれない気がして、途中で退席したいほどだったけど、満員でそれもできず、耳栓突っ込んでひたすら耐えたのでありました。でも好きな人は好きなようで、ほぼ全員スタンディングオーベーション。それを利用してさっさと帰ったのだけど、外国から来た私がいうのもなんだけどいわゆる「文化の盗用」感、感じてしまったのであります。気持ち悪い。でもそれが多くの人に支持されている、ということに混乱して、帰ってからも悶々としていたのですが、なぜかスペイン語で公演のことを書いているうちにだんだん落ち着いてきたのであります。

結局は単に好みの違いなのでしょう。

フラメンコを普通に歌うことに限界を感じ、色々挑戦しているのかもしれません。実際、それが功を奏し、フラメンコ以外の観客を獲得しているわけで。でも私が求めているフラメンコと彼女の方向性が合わないわけですね。フラメンコで物語や世界観などを語ろうとする作品は舞踊ではよくありますが、カンテが主役の作品はそれほど多くありません。パッと思い出すのはレブリハーノのヒターノの迫害を扱った『ペルセクシオン』や『ベン・イ・シゲメ』『ティエラ』でしょうか。彼はガルシア・マルケスの作品をモチーフにしたものもありますし、アンダルシアのアラブ支配時代ゆかりのアル・アンダルースとよばれる音楽との共演など、多彩な作品を残しています。また詩人の作品で言えばエンリケ・モレンテには『オメガ』などロルカの作品を歌ったCDがありますし、サン・フアン・デ・ラ・クルスを歌ったり、ピカソをテーマにしたアルバムがあったりします。詩人を歌うで言えばビセンテ・ソトのペッソアを歌ったアルバムや、マイテ・マルティンがマヌエル・アルカンタラを歌ったものなどもあります。でもどれも、歌としてちゃんとしている、というか、普通のカンテとして、たとえばリサイタルで一曲、伝統的な歌詞のものと混ぜて歌ったとしても違和感がないカンテ、なのだけど、彼女の語りのようだったり、の曲は多分、そうならないという感じ。なんか、純粋主義者みたいなこと言っているなと自分でも思うけれど、新しい試み、新しい歌詞、新しいメロディにトライすることがいやなのではなく、そこにフラメンコへの敬愛が感じられなかったのが嫌なんだと思う。フラメンコを普通に歌ってもカンシオンに聴こえてしまうのですよ。これってなんなんでしょうね。声質もあるのかなあ。

女性版ニーニョ・デ・エルチェ狙ったのかなあ、でも彼はちゃんとフラメンコに聞こえるんだよ。

プロモーションビデオがありました。やっぱ趣味じゃない。



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