今年も8時間バスにゆられてラ・ウニオンにやって参りました。
乗り物酔い止めのお薬のんで大半を眠ってきたのであっという間であります。
とはいえ、やっぱ遠い。
日本からアフィシオナードたちがあまり観にこないのもこの距離のせいだろうなあ。
開催間際に公開される、 メインの公演以外のイベントが、毎日夕方19時頃から開かれる。でまずは市役所ホールでニーニョ・アルフォンソという、地元のベテラン歌手のドキュメンタリー。その後、息子による講演、そしてこれが史上初となる名誉ランパラ・ミネーラ賞授賞式とあったのですが、上映がはじまったのがすでに19時半、ドキュメンタリーが1時間ほどということもあって、私は上映終了後すぐ、屋良公演へ。
ドキュメンタリーは、インタビューと昔の録音、最近の録音+当時のビデオ、写真で構成され、彼の人生をおっていくという構成。当時流行のペペ・マルチェーナ的美声でのカルタヘーナはよかったですが、ドキュメンタリーというなら本人以外の証言などももっとひろうべきでは?いや関係者亡くなっている人おおいかもだけど、これじゃ独り語りすぎる。それもインタビューがホールみたいなとこでピンマイクなしでやってるからききづらいったらない。残念。
屋良公演は、これも今年初めてはじまったカンテ・エン・ラ・カジェという公演シリーズで、町のメイン通りと、フェスティバルのメイン会場である旧市場、カンテの殿堂へと続く通りの交差するところにつくられた特設舞台が会場。
8時半開演だが、8時半はまだまだ明るいスペインなので、照明設備はなく、日の光の中でのフラメンコだ。
私が到着するとすでに会場に並べられた椅子は満杯。加えて近くのチューロの屋台のテーブルやベンチにもたくさん、地元の人が集まっていた。
15分くらいだろうか、やはり遅れて始まった。
モイとタニェによるトナーにはじまりる、黒い衣裳の屋良のシギリージャ。
仮設舞台で、靴音を拾うマイクも、 照明もない。
楽屋代わりに舞台近くの衣裳販売スペースを着替え場所につかう。
集まってきた人のほとんどは真摯に舞台と向き合ってくれたとはいうものの、舞台脇で大声で話す人がいたり、子どもが騒いだり、と決して万全のコンディションとはいえない。
だが、そんな中でもしっかり集中して踊った。
かがみこむ姿勢が多く、ちょっと不思議な雰囲気。自らのスタイルを探している?
モイのカンテ・デ・レバンテをはさんでソレア。
この衣裳がチャイナドレスのようなスタンドカラーで、布地がラメのはいった華やかなもので、どう考えてもフラメンコ衣裳にあっているとは思えない。スペイン的にはカーニバルの仮装用の衣裳をつくる以外には使わないだろう。なぜこの衣裳?
東洋的なものと西洋的なものの出会いをイメージした?
だんだん暗くなってくる中、舞台前の電飾が灯る。が、舞台を照らす照明はない。
最後まで踊りきって地元のお客さんたちの暖かい拍手につつまれる。
アンコールでブレリア。もう一度ブレリア。
この頃にようやく 前述のニーニョ・アルフォンソへの授賞関連のイベントが終わり、カメラマンらがやってくる。
やはり遅れてかけつけた市長が記念のタイルを渡す。
どんなコンディションでも踊るのがプロで、その責任を立派に果たしたと思うが、イベント同志のコーディネーションが悪く、せっかくの屋良の公演を、ほとんどのジャーナリストがみることができなかったのは残念な限り。
いろいろな課題はあると思うが、昨年のように、コンクールに出場できるようになってほしいと切実に思う。
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