2024年6月17日月曜日

野村眞里子『タンゴ探しの旅』


フラメンコのタンゴとアルゼンチンタンゴ。

ジャンルは違う、でもルーツは同じ、と言われる二つのタンゴを同じ舞台に、ということで野村眞里子によって企画された作品。そこからフラメンコのタンゴの踊り手とアルゼンチンタンゴダンサーとの間に生まれた息子の母探しの物語を創作。出演は息子に出水宏輝、母に河野麻耶、祖父に山本将光、祖母に朱雀はるな(パーカッションも兼任)、出水の妹に伊藤笑苗と、実力派フラメンコダンサーたちと共に、アルゼンチンタンゴのダンサーのペアも出演。また歌にミゲル・デ・バダホス、小松美保、ギターにペペ・マジャ(タンゴの伴奏が絶妙で素晴らしかった)と北岸麻生、そして狂言回しの謎の女に野村という布陣。

プロローグで北岸のフラメンコギターによって演奏されたリベルタンゴ。最後のシーン、母と再会できた出水と伊藤による現代的なフラメンコのタンゴから始まるエピローグで、フラメンコのタンゴの音楽でアルゼンチンタンゴのダンサー、マーシー&マギが踊った、この2曲に全てがあるように思う。北岸のリベルタンゴは余計な思い入れなどなくあっさりすっきり、メロディ、音楽の美しさが際立つ感じ。タンゴダンサーによる演技はとにかくかっこよく、この2曲は、ジャンルの垣根はあってないものということを表していたようにも思う。

物語は、プログラムにも掲載されていたし、ダンサーたちの渾身の演技もあってわかりやすいほうだったと思う。ただ、最初、母がアルゼンチンタンゴダンサーと恋に落ちたのが日本だったとはプログラムに書いてあったものの私はグラナダで、母の一家もグラナダのフラメンコなファミリーだとなぜか思い込んでいたので、二部の語りでびっくりした。皆がフラメンコで表現してたからグラナダ、と思ってしまっていたのだけど、まあ、今や親子孫三代でフラメンコをやっているご家族も日本でもいるわけだからアリなのかも。あと祖母、河野の母役が髪を白くするでも、ほうれい線を強調するでもなく、つまり老けメイクをやってないので、うーん、ちょっと不自然? 『バルセロナ物語』のカルメン・アマジャだと思えばいいのかな、うーん、でも、河野が少女には見えない以上、多少(例えば銀髪のメッシュに見えるような付け髪つけるとか)してもよかったようには思う。また主役?の出水の少年時代の山本涼と大人になっての出水はサイズも面影もそんなに変わらないので違和感ちょっとあるかも、などと、細かいところが気にならないではなかったけれど。 

また研究家的にいうとタンゴがテーマならティエントやタンギージョなど直接的関係のある曲などを取り上げるとかがあってもいいと思うけど、そこはアカデミックじゃないエンタメを目指したということなのだろう。


河野はシギリージャとカーニャ、山本はファンダンゴ・デ・ウエルバ、出水はソレア・ポル・ブレリアとアレグリアス、伊藤はサンブラといった具合にそれぞれ、みどころが用意されていて、フラメンコ作品としても見応えがある。朱雀のバストン使い(終演後に初めてだったと聞いてびっくり)とか、伊藤のサンブラでマノロ・カラコールのサンブラを歌われて、多分、それはグラナダ的なものを、という企画の意図とは違うのだろうけど、(でもあれも確かにサンブラだから間違いではない)めげずに、昔風、昔のグラナダの洞窟の宴のイメージで、金属製のチンチンと呼ばれるカスタネットを使ったり、髪をザンバラにして頭を振ったり、床に座って背を逸せるカンブレを入れたりして、色々古いビデオなど見て勉強しているのが伝わってきたのもよかったと思う。まだ足の怪我が治り切ってはないないという野村が、いかにもグラナダ風の衣装でタンゴを踊って見せたのも味わいがあってびっくりしたけれど、山本将光や河野のベテランの存在感、重みは作品に厚みを与えていたと思う。音楽もフラメンコの様々なタンゴをカンテソロで聴かせるなど工夫もあり、よくまとまっていたと思う。


会場の神奈川芸術劇場大スタジオは、会場にいらした高橋英子さんが言ってらした通り、グラナダのアルハンブラ劇場ににたつくりで、フラメンコにもあう空間だと思う。舞台作り、作品作りは大変だけど、演者も制作も、そして観客も、劇場作品にしかない醍醐味、満足感を味わったことだと思う。

最近は劇場公演をする舞踊家は少ないけれど、それでしか得られないものがあるので、各種補助金を利用するなどしてでも、ぜひトライして欲しいと思うところであります。



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