2018年9月20日木曜日

トマス・デ・ペラーテ「ソレア・ソラ」

マヌエル・トーレの孫、ペラーテの息子、ペラータの甥、すなわちレブリハーノやペドロ・ペーニャらの従兄弟。と聞いただけでゾクゾクしてくるような血筋なのに、2000年まで舞台に立ったことがなかったというトマス・デ・ペラーテ。
知る人ぞ知る存在でございます。
Bienal Óscar Romero
イスラエル・ガルバンの「ロ・レアル」や「フラコメン」で知っているかも?
その彼が、やはりイスラエルの作品の常連、サックスとパーカッションの現代音楽コンビ、プロジェクト・ロルカ(彼らもウトレーラ出身だ)やアルフレド・ラゴスと組み、イスラエルのブレーン、ペドロGロメロが監督してできたこの舞台。いやあ、楽しかったです。

プロジェクトロルカが録音と絡むトナに始まり、ロマンセ、シギリージャ…
早いテンポのシギリージャ、伴奏のアルフレドも秀逸で、程よくひび割れ、古いお寺の鐘のようによく響くトマスの声とよく絡む。
プレゴンも、フラメンコでよく歌われるものだけでないのが素晴らしい。
Bienal Óscar Romero
ゲストのギタリスト、レフレも加わり、ゲストのイネス・バカンとナナ。
太古の響き、大地の香りのナナを、ループさせたりするんだけど、それもまた一興。
Bienal Óscar Romero
 前のビエナルでパーカッションのアントニオがフアン・ホセ・アマドールとやった机と机の上にあるお皿やフォーク、上に吊るされた瓶などで音を出して伴奏するソレアもすごい。
Bienal Óscar Romero
ゲストの、ディエゴ・デル・ガストールの血を引くパコ・デ・アンパーロが伴奏でのブレリア。
語りの入る、アルゼンチンタンゴ、イスラエルの作品で歌ったギリシアのタンゴ。
最後はチャコナ。日本だとバッハのシャコンヌのイメージしかないかもだけど、もともとスペインの3拍子の舞曲であります

コンテンポラリーアートとしてのフラメンコ、って感じ?

まわりによってフラメンコのイメージも変わるわけでございます。


あと、トマスには是非ブルースをも歌ってもらいたい。

パストーラ・ガルバン「エダ・デ・オロ」

20時半からロペ・デ・ベガ劇場でパストーラ・ガルバンの「エダ・デ・オロ」。
イスラエル・ガルバンの代表作「エダ・デ・オロ」を妹が踊ると言う。
こりゃ期待しないわけにはいかない。

Bienal Óscar Romero
2005年にヘレスのサラ・コンパニアで初演された「エダ・デ・オロ」は世界各国でこれまでに300回以上、上演されてきたという。
歌(最初フェルナンド・テレモート、のちにダビ・ラゴス)とギター(アルフレド・ラゴス)、踊りの3人で、ソロ、デュオ、トリオと、様々な形でフラメンコの曲が途切れなく続く名作。

ビエナルのプログラム発表時にはマリア・テレモートが予定されていたが、ミゲル・オルテガに変わり、ギターはフアン・レケーナ。
構成は多分、ほとんど一緒。
ソレアやカーニャ、マラゲーニャにベルディアーレス、ファンダンゴ、マルティネーテにシギリージャ、タンゴ、ファルーカ、アレグリアス、ブレリアなどなどいろんな曲が続いていく。
最後靴を脱いで踊るのは彼女の作品「パストーラ」のやつのような気がするけど。
同じ振りも踊っているのだが、体が違うとまったく違うように見えるのが面白い。
ここ数年見ていなかったのだが、振りを見ると、ああそれやってた!と思い出す。

イスラエルのドライでストイックな感じが、パストーラが踊ると重厚で色気に変わる。
なのだが、うーん、一個のオレ!も誘わない。
よく動く。イスラエルの動きを完コピ。
でも練習か準備体操のようにさらっている、という感じで、実がない。

Bienal Óscar Romero
正直、つまらなかったのだ。
コピーしていても、あのイスラエルの微妙な間合いをコントロールする感じとか、微妙なためとか、そういうのがないんだよね。
ファンダンゴをギター伴奏のようにサパテアードでするやつだって、イスラのは本当にギターのように聞こえるけれど、パストーラのはそう聞こえない。

言われたからやってるのよ、的な?
本当は他にやりたいことあったんじゃないの?って聞きたくなる。


Bienal Óscar Romero
 あと、黒い衣装に黒いバックに照明も暗いと眠くなります。
もっと光を!

2018年9月19日水曜日

ジプシーラッパーズ/トマシート

ロシオ・モリーナの公演が長かったので、焦ってタクシー捕まえアラメーダへ。

ヘレスのサンティアゴ街のヒターノたちによる、フラメンコだけどフラメンコではない公演。

最初は客席から喋りながら登場したジプシーラッパーズ。
舞台に上がると机を囲んでブレリアをひとくさり。
その後、ラップになりました。
Bienal Óscar Romero
ローラ・フローレスの早口で畳み掛けるようにしゃべる曲を元祖ラップという人もあるくらい、フラメンコとラップの相性は悪くない。

歌詞は、ちょっとおちゃらけで楽しい。ノリはラップ的にはどうなんだろう、だけど。


最後はトマシートが飛び込み、さらっていく。
Bienal Óscar Romero

休憩を挟んでのトマシートがすごかった。
パーカッションのようなサパテアードのノリの良さ。
これまでに7枚のCDを出しているそうだが、その中の曲からいくつか。
歌い、客にコーラスさせ、いやあ、もうノリノリ。
エンターテイナー!
普通のフラメンコの公演ではできない、ロックコンサートのノリで、最高に楽しみましたわ。すっきりした。

彼ら、何をやっても根っこがフラメンコだからフラメンコになっちゃうんだよね。
Bienal Óscar Romero

これは座ってではなく、立って跳ねながら見るのが本当は正解。
昔、劇場公演でもつい体が動いてしまい、周りの人に文句言われたこと思い出したっす。

たまには彼のCDかけて家で踊り狂うのもいいかも。

ロシオ・モリーナ「グリト・ペラオ」


美しい作品だった。2時間の長丁場。でもどのシーンも丁寧に作られていて必要なのだ。

Bienal Óscar Romero
ロシオ、ロシオの母ローラ・クルス、ボーカルのシルビア・クルスという三人の女性たちの語りと、歌、踊りで綴る、すべての母へ、すべての女性たちへのオマージュ。

現在妊娠7ヶ月という、ロシオの話で始まる。
人工授精で未婚の母になることを選んだロシオ。
そのことで母、母性、女性について思いを巡らし、考え、彼女が妊娠中のみ上演するという、特別な作品だ。大きくなり始めたお腹も、お腹の中の子も一緒に踊る。

砂が敷かれた舞台の上に床。真ん中に私の座った位置からは台と見えたプール。奥にバレエレッスンで使うようなバー。
椅子。
ギター、パルマ、パーカッション、バイオリン、電子音楽のミュージシャンたちは下手に並ぶ。
白ホリゾントに映し出される絵や風景。美しい照明。

フェルナンダ・ロメーロ風のチンチネスという手につける金属のカスタネットを使ってのタラント。といた髪を、連獅子のように振る、その髪の先の動きまできっちりコントロールされているような、見事な動き。

前日の記者会見で「体の声を聞いて動く。サパテアードの仕方も変わった」と言っていたが、全てが自然で、かつコントロールされており、気持ちがいい。
Bienal Óscar Romero
昔、バレエダンサーだった母とのアルゼンチンタンゴ風のデュオ。
母娘の愛や諍いなどが簡潔に分かりやすく表現される。
シルビア・クルスの美しく澄んだ歌声は、空に長く弧を描いていく。

Bienal Óscar Romero
ロシオとシルビアが床で絡み合う、性的なイメージの場面。
ロシオが、チャナのように、椅子に座ってサパテアードを打つ場面。

母が跪いて歩みながら語る、妊娠中に問題があり、無事に生まれたらロシオと名付け、お礼参りに参ります、と願い、叶えられたので、ひざまづいて聖母像まで歩んだ思い出。

ロシオが語る、母になることを決め、しばらく踊らないと決めたのに、最後の舞台の後泣いたこと。
母になる怖さ。
母になる決意。
自分の言葉で語る。その飾らない、真摯な感じ。

シルビアが語る、母になることで、太古からの女性たちのつながりを感じた話。

ロシオのつけひげをつけてのアレグリアス。髭をつけても動きの女性性は同じ。
エバの『アパリエンシアス』もそうだけど、見かけの意味などを考えさせられる。

そして服を脱ぎ去り、プールで水と戯れる。
羊水の中にいる赤子と一体化したような。

胎児のエコーでのビデオが映され、最後は、胎動の音を聞かせる。

赤裸々に自分を語った作品で、好みは分かれるだろう。
が、素晴らしい作品であることに間違いはない。
踊り手が語り、歌い、歌い手も語り、踊る。
女たちの語らいを脇から支える男たち。

なんかほっこり心があったかくなる。そんな作品でもあり、イスラエル・ガルバンの作品のように、いろんな読み方もできて考えさせられる。
そして妊娠中でも体のコントロールがすごくて、鳥肌ものの動きを見せてくれるロシオ。
もう感謝しかない。

あー、やっとこのビエナルで、心動く作品に出会えた。











2018年9月18日火曜日

メルセデス・ルイス「タウロマヒア」

23時からセントラル劇場でメルセデス・ルイス「タウロマヒア」スペイン初演。

ギタリスト、マノロ・サンルーカルが、闘牛を描いた不朽の名作アルバム「タウロマヒア」を、マノロの第2ギタリストを務めたこともあるサンティアゴ・ララが生演奏、その妻メルセデス・ルイスが振り付け、踊った。

Bienal Oscar Romero
懐かしい曲の数々をきちんと再現するサンティの凄さ。
オリジナルではインディオ・ヒターノ、ホセ・メルセ、マカニータ、ディエゴ・カラスコが歌っていたのを一人で歌いきったダビ・ラゴスの素晴らしさ。これは特筆もの。

カンパニーは彼女の他、アリカンテ出身でラファエル・アマルゴやヌエボ・バレエ・エスパニョールなどで活躍したアナ・アグラスの他、群舞に三人。
振付はシンプルだが、鏡を向いて同じ振り、というクラスレッスンのようにならないようにフォーメーションなど工夫はしているし、マントンやアバニコ、帽子など小物を使って変化を持たせようとしている。

Bienal Oscar Romero

 多分メルセデスは闘牛士でアナが牛なのだろう。だろう、というのは、衣装の色とかで統一していないからちょっとわからなくなっちゃう。具体的に闘牛の様子を再現しているわけでもないし。イメージだけでわかりにくいかも。

Bienal Oscar Romero

タウロマヒアの曲だけだと1時間もかからないということで、パーカッションのソロを入れたり。
そのうちの一つ、シギリージャはメルセデスのソロで圧巻。
ただペシャントしたバタはちょっと冴えない。
努力はわかる。でも全体の印象はちょっと弱い。人数が少ないから? 振付家としての限界? 



会場にはマノロ・サンルーカル夫妻も顔を見せていた。



ロペ・デ・ベガ劇場ではマノロ・フランコとニーニョ・デ・プーラの「コンパドレ」
Bienal Oscar Romero



2018年9月17日月曜日

アンドレス・マリン「ドン・キホーテ」、マリア・テレモート

Bienal Óscar Romero
不可解な不可解なを通り越して不快ですらある公演でございました、私には。

1時間半ただただ退屈。
アンドレスのすごい音感のサパテアードも
パトリシア・ゲレーロのめっちゃフラメンカな身のこなしも輝くことなく、とってつけたような“現代”の中に埋もれてしまう。

“現代”は、電動一輪車やスケートボード、変化する映像。
舞台下手にはスケートボード場にあるようなハーフチューブ。その上に画面。
下手にはさらに大きな画面広告板。その下にテント。

フラメンコにストリートカルチャーを組み合わせてドンキホーテってタイトルにすれば売れんじゃね?、的な。

サッカーのスパイクでサパテアードしたり、ボクシングのグローブはめたり、フェンシングの剣を持って踊ったり、アイデアは満載。
でもそれって長々繰り広げるようなもの? 
どこへ向かっているんだ? 
全裸になる必要はあったの?
ドンキホーテが夢を追う人のイメージで使われているなら髭も兜もいらないのでは?

ドラムスとチェロらによる音楽が唯一の救いかも。
トレメンディータは熱唱するも口跡のせいか、よく聞き取れない。
だから、レトラが画面に映されるのは助かる。

客席に出て行ったり、客席にサッカーボール蹴り込んだりも、
客いじりのテクニックにしか見えない。

好きな人は好きなのかも。
でも私には苦痛でしかありませんでした。

だいたい姿勢が悪すぎる。
今回は上半身裸になることが多く、それで余計目立つのかなあ、肩を引いて首を前に出す、鳥のような姿勢。体の芯はどこにあるんだ?
フラメンコ的に美しくない。

でも、結構みんな好きだったみたいで、その理由が知りたい。
それぞれの好みだと思うんだけど、聞いてみると、ああ、そうかな、と思うことがあるかもしれないし。



12時からはアラメーダでマリア・テレモート。
新譜発表を兼ねてのコンサート。
新譜だから、か、カンシオンぽい曲もいくつか。
Bienal Óscar Romero
あの声! そして音程の良さ。
全身で伝えようという心意気。
舞台での存在感。
これに細部の表現が加わったら凄いに違いない。
まだ若いのでこれからに期待。
Bienal Óscar Romero



2018年9月16日日曜日

サルバドール・タボラ「ケヒオ」

ロペ・デ・ベガ劇場でのサルバドール・タボラ「ケヒオ」
タボラはセビージャで長年、劇団を主宰する演出家。
歌い手として活動後、劇団に参加。1972年に発表した処女作がこの「ケヒオ」だ。

1972年はまだスペインでフランコ独裁政権が健在。
多くの人々は貧しく苦しい生活を強いられていた。
そんな社会を告発批判する作品がこの「ケヒオ」なのだ。

幕は開いている。真ん中にドラム缶、椅子とギター。
客席真ん中の通路を進んでくる男たちと一人の女
舞台の下にうずくまると場内は真っ暗に
やがてオイルランプを手に一人の男が舞台へと上がっていく。鎖を引きずる音。
もう一人の男はマルティネーテを歌う。

フラメンコの歌がセリフ代わり。
抑圧された民衆の叫び、ため息。

歌なしギターだけで踊ったタラントも最後には歌がつく。
腕をロープに繋がれて、自由を奪われつつもがくように歌う。

Bienal Óscar Romero
ブレリア、アルボレア。
移民せねばならず故郷を捨て、舞台を降りて客席をいく歌い手。
Bienal Óscar Romero
 シギリージャ、ペテネラ
Bienal Óscar Romero
 1時間少々の短い時間にぎゅっと凝縮された虐げられた民衆の叫び。
最後は3人で力を合わせ、人々をつないでいたドラム缶を動かすのに成功する、
と、今となっては時代遅れに見えてしまうプロレタリア演劇的なフラメンコ芝居。
フラメンコオペラと言ってもいいかも?
でも発表された時代を考えるとすごいし、時代を先取りしていたのだろう。
演者は、知らない歌い手ばかりだったが、それがまた民衆演劇的。
女性がずっと座っていて、水瓶を渡すだけ、手を握るだけ、というのも時代だなあ。

でも歴史的な作品を初めて見ることができて嬉しゅうございます。

エスパシオ・トゥリナではペドロ・マリア・ペーニャのリサイタルでした。
Bienal Óscar Romero
20時頃から大雨が降って、このビエナルで楽しみにしていた公演の一つ、オテル・トリアーナでのトリアーナの面々の舞台が中止になって残念至極。