2020年5月31日日曜日

マドリードのタブラオ、カサ・パタス閉店

5月29日、マドリードのタブラオ、カサ・パタス閉店のニュースがSNSを駆け巡りました。
5月24日にFacebookで、6月にマドリードがフェイズ2に入ったら階上にあるフラメンコ学校を再開するというのを読んだばかりだったので、びっくり。

フラメンコ専門サイトでも読んだけど、なぜ閉店なのか、詳しい事情がまだよくわからなかったのが、翌日、日刊紙の記事も読んでようやく理解。

Covid 19のために閉鎖を強いられ、また海外からの観光客が激減し、観客の75%は外国人だった同店は、倒産の危機にあり、従業員が保証を受けられるうちにと閉店を決定したとのこと。今後は財団となっている階上のフラメンコ学校は続けていくし、そこで開催しているカンテ・リサイタルも再開予定。タブラオ自身も、観光客がかつての7割戻れば再開もありうる、とのこと。
税制とか財政とかいろいろあるんでしょうね、きっと。


タブラオ、と書いたけど、カサ・パタスは私にとってはタブラオじゃない。
バル・レストラン。そしてその奥にフラメンコも行う小さな舞台のある場所があるところ。レストランやバルでビールいっぱい飲むこともできるし、奥でフラメンコ見ることもできる、そんな店。
それまでの伝統的なタブラオ、コラル・デ・ラ・モレリアやカフェ・デ・チニータス、トーレス・ベルメハスとは全く違うタイプのフラメンコを見せる店でありました。

1984年にタベルナ、すなわちバルレストランとして開店。
1988年からフラメンコのライブを始めたと言います。
私が出入りし始めたのは90年前後からだと思います。
週末だけ、よりすぐりのアーティストが出演しました。
歌あり、踊りあり。
出演者も予告され、それを見ていくわけです。
当時のタブラオは出演者予告はほぼなかったんですね。
で、基本、毎日同じアーティスト。
スターもモレリアならブランカ・デル・レイ、チニータスならチュンガ、と決まっていました。
ある時、一緒に行ったその店に昔出ていた踊り手が泣くほど笑って教えて来れました。彼女が出演していた5年前と同じあーティストが同じ衣装で同じ曲を踊ってる。
そんな感じもありました。

あ、ホテル・ウエリントンの下にあったサンブラ(伝説のサンブラとは別の店)も月ごとに出演者変えてたなあ、うん、90年ごろからこういうのが始まったのかな。

ビエナル以外の時期にはセビージャではフラメンコ公演はほとんどなく、フラメンコ砂漠だった90年代前半、特に92年新幹線アベができてからは月に1度のペースで行ってたこともあるくらいです。今考えるとバブリーだけど。

当時観たので覚えているのは、チョコラーテとフアン・ラミレス。カナーレスもみたし、当時、舞台から遠ざかっていたレメディオス・アマジャも久しぶりにここの舞台に上がったのではなかったかな。25年以上前の話。
映画監督のペドロ・アルモドバルにも2度遭遇したし、その他にも有名人が来てた離しました。
ナオミ・キャンベルとホアキン・コルテスの写真も飾ってあったの覚えてますよね。

その他にフラメンコの授賞式の会場として使われたりも。

ファルキートやエストレージャ・モレンテの顔が見えます。2004年フラメンコ・デ・オイ賞授賞式。


お店があるのはマドリードの中心、プエルタ・デル・ソルから南東に行ったサンタ・アナ広場から少し南に下ったカニサレス通りで、フラメンコ・スタジオ、アモール・デ・ディオス(昔はアモール・デ・ディオス通りにありました。今はアントン・マルティンの市場の上)にも近く、またカニサレス通りをさらに南にくだればオリバル通りとなり、フラメンコの溜まり場バル、カンデーラがありました。
フラメンコたちがきやすい場所だったのですね。
カサ・パタスからカンデーラへと何度向かったことか。
劇場公演の後、パタで軽く食べてカンデーラで飲む、というのがパターンでした。
劇場に見にいった人も、出ていた人も。
あそこに行けば誰かに会える。
そんな場所でした。
ぺぺ・デ・ルシアとリケーニと好きな歌い手について喋ったり、グイトとマノレーテとクリストバル・レジェスと一緒になって小柄な3人の中で1番背が低いのは誰だか知ったり、ああ、そういえば伝説のフェステーロ、マルセジェを初めてみたのもここでの、打ち上げの流れのフィエスタで、でした。

いつの間にか、ライブは毎日となり、マドリードの若手ダンサーたちを支える店となりました。ロシオ・モリーナも学生時代にここに出演して見初められたのではなかったかな。
でも反面、出演者によっては、え、これでこの金額?って思うようなこともあり、最近はちょっと足が遠ざかっていました。
でも、

昨年、久しぶりに訪れました。
ファルーカが出演してたので。



最初の話にあったように、観客はほとんど外国人。
だから、今回の閉鎖も理解可能ではあるけれどレストランとしてがんばってみて、昔のように小さい公演から初めて来れても、と思ったりもしますが、それぞれ事情があるのでしょう。
なるべく早い復活を祈ります/






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