2025年3月29日土曜日

ペーニャ、トーレ・マカレーナでの鈴木時丹

ペーニャ、トーレス・マカレーナでの鈴木時丹

328日、セビージャのペーニャ、トーレス・マカレーナに鈴木時丹が出演しました。 スペインでの初舞台はヘレスでしたが他の日本人ダンサーたちとの共演だったので、カベサ・デ・カルテル、自分の名前でソロでのデビューとなりました。

第一部はメキシコ出身ダニエル・メヒアのギターソロ、




カンテソロのファンダンゴ(フアニは渾身のファンダンゴ・ナトゥラレスの後、セバスティアン・サンチェスはファンダンゴ・デ・ウエルバ)に続いて、



アレグリアス。

緊張していたのか、最初、ちょっと硬い表情だったけど、曲が進むにつけ表情も解けていき、



ブレリアになると生き生きとして全身でリズムを楽しんでいる感じが客席に伝わってくる。




客席も湧くし、共演のミュージシャンたちも嬉しそう。




休憩を挟んでの第二部ではカンテソロでタンゴ。



そしてソレア。



歌をしっかり聴いてマルカールしていきます。レトラの途中で足は入れない。最後にレマタールで、句読点のように刻むだけ。昔ながらの踊り方だけど、レトラ関係なく怒涛の足技全盛の現在、かえって新鮮で、フラメンコへのレスペト、敬意が感じられて良き。






踊りの熱に釣り込まれ歌い手も本気の熱唱。踊りの起承転結とか、構成とか、どう見せようとか、というよりも、歌を踊る、に特化してて、ある意味、プリミティブなフラメンコ。

とりあえず最高、ではあるのだけど、もっと、というなら、曲の性格にもっと入り込んで演じてもいいな、とも思うし、クエルポ、トロンコの使い方も、斜めとか捻るとかもっと色々できるようにも思います。伸び代、可能性も含めて、これからどう展開していくのかとても楽しみな踊り手であります。

最後、ちゃんとスペイン語で挨拶して、ミュージシャンや、ペーニャ、会長、今回ライブを支えてくれたペテーテへの感謝の言葉も述べて、最後はフィン・デ・フィエスタ。会場にはたくさんの日本人留学生?が来ていたのだけど、舞台に上がったのはここで踊ったことのある萩原淳子と瀬戸口琴葉だけ。それぞれに魅力的で長すぎないパタイータで魅せてくれました。

いやいや、フラメンコってやっぱ最高じゃん? と思わせてくれました。

真面目な話、観ている時、誰が踊っている、とか、考えていませんでした。日本人だろうが、スペイン人だろうが、宇宙人だろうが、いいものはいい。それに尽きます。観終わった後で、彼、日本人じゃん、すごくない?とかちょっと興奮しましたけれど。

ビデオをお裾分け。時丹くんと踊っているのがペテーテです。


追記

スペインのフラメンコ専門サイトでも絶賛されてました。

https://expoflamenco.com/revista/jitan-suzuki-alborota-con-su-baile-torres-macarena/

このサイト、日本語もあるけど自動翻訳でやってるのでかなりメチャクチャで、読みにくいですがスペイン語わからん、という人はこちらでも褒めているのはわかると思います。




2025年3月25日火曜日

第5回フラメンコとスペイン舞踊学校国際会合

第5回フラメンコとスペイン舞踊学校国際会合が、ムルシアのラ・ウニオンで3月19日から23日まで開催されました。これはフラメンコのマネージメントやイベントを手がける会社が、ラ・ウニオン市の協力で開催したもので、毎年8月、カンテ・デ・ラス・ミーナスのフェスティバルが開催されるので有名なこの街に各地のフラメンコ学校の生徒が集まり、講演を聴いたりマスタークラスを受けたり、舞台で踊ったりするイベントです。



21日金曜にはかつてコンクールで優勝した踊り手たちが集うガラ・デスプランテスが開催。ラ・モネータ(2003)、ルシア・ラ、ピニョーナ(2011)、エドゥアルド・ゲレーロ(2013)、ベレン・ロペス(2016)、フェルナンド・ヒメネス(2017)、ウーゴ・ロペス(2018)、パウラ・ロドリゲス(2021)、イレネ・ロサノ(2022)らが出演しました。

©︎ Festival Internacional de Cante de Las Minas


 出演者がそれぞれトロフィーを手にしています。壮観!

©︎ Festival Internacional de Cante de Las Minas 


また22日にはマヌエル・リニャン『ムエルタ・デ・アモール』が上演。

©︎ Festival Internacional de Cante de Las Minas



最終日には今年初めて開催された、若きデスプランテ賞コンクールの決勝が行われ、ムルシアのパウラ・カブレラ、グラナダのマティアス・カンポス、マラガのルベン・ゲレロ、マドリードのクラウディア・サンチェスらが出場。
優勝は、グラナダのマティアス・カンポでした。
すでにアントニオ・カナーレスと共演するなど、プロとしても舞台に立っている彼、将来が楽しみです。まだ15歳、これからどんな変身を見せてくれるのでしょう。

©︎ Festival Internacional de Cante de Las Minas

©︎ Festival Internacional de Cante de Las Minas



ガラ公演の様子があったので貼っときますね。


2025年3月23日日曜日

ヘレスのフェスティバル各賞

 ヘレスのフェスティバルの各賞が発表されました。

ヘレスのフェスティバルでは、毎年終了後に各省が発表されますが、これらはフェスティバルによるものではなく、さまざまな機関がそれぞれの選び方も違います。

最初に発表されたのは観客賞。3月14日のことでした。これはビジャマルタ劇場での公演が対象で、地元ヘレスの日刊紙、ディアリオ・デ・ヘレスによるもので、観客の投票によって決定します。今年の受賞はマヌエル・リニャンの『ムエルタ・デ・アモール』で、観客の投票で最も高く評価されました。


© Festival de Jerez/Esteban Abión

ちなみに2位はエドゥアルド・ゲレーロ『エル・マント・イ・ス・オホ』、3位はメルセデス・デ・コルドバ『オルビダダス』だったそうです。

同日、ヘレスのペーニャ協会がおくる、伴唱賞とペーニャ公演新人賞も発表されました。これは、ペーニャ協会幹部と、舞踊教授アナ・マリア・ロペス、歌い手ゴメス・デ・ヘレス、ディアリオ・デ・ヘレス紙フラメンコ批評家バレリア・レジェス・ソト、フェスティバル及びビジャマルタ劇場監督カルロス・グラナドスの討議により、全会一致で、伴唱賞はリニャンの『ムエルタ・デ・アモール』やアルベルト・セジェスとミゲル・アンヘル・エレディア『トレムラ』に出演した1989年ヘレス生まれで2018年頃からタブラオや劇場公演で活躍しているフアン・ヌニェス・ペーニャ“フアン・デ・マリア”に

© Festival de Jerez/Tamara Pastora

ペーニャ公演新人賞は2月28日、ドン・アントニオ・チャコンで公演した地元ヘレス出身のイレネ・オリバレスに決定しました。

3月19日に発表されたのはヘレスのフラメンコ学会がシェリー産地統制委員会をスポンサーとしておくる批評家賞。これは批評家や研究家など識者の投票で選出されるもので、数ある賞の中で最も古くからあり、第一回は1999年でした。現在はビジャマルタ劇場での公演のみが対象ですが、かつてはサラ・コンパニアでのホセ・ウダエタ『エル・セクレト・デ・カスタニュエラ』が受賞したこともありました。今年の受賞はマルコ・フローレス『ティエラ・ビルヘン』。こちらはマヌエル・リニャンとの決選投票を得ての受賞でした。かつて共演を重ねた仲間が競い合うのも何かの縁なのでしょう。

© Festival de Jerez/Tamara Pastora

3月21日、最後に発表されたのはフェスティバルが識者の投票を集計する三つの賞。ゴンサレス・ビアス社がスポンサーの新人賞と、ホセ・イグナシオ・フランコがおくる魂のギター賞と作曲賞。

新人賞はエステラ・アロンソ。


© Festival de Jerez/Esteban Abión

ギター賞はイスラエル・ガルバン公演で弾いたラファエル・ロドリゲス、
© Festival de Jerez/Esteban Abión

作曲賞はラファエラ・カラスコ作品の音楽を担当したヘスス・トーレスでした。
© Festival de Jerez/Tamara Pastora


2025年3月17日月曜日

中田佳代子『TOHOGU』en Coria del Río

  セビージャから車で30分弱、バスなら1時間弱、昔、遣欧使節が滞在し、そこに残った者がいたということでハポン、日本という名字があることで有名なコリア・デル・リオ。この街の劇場で行われた中田佳代子『TOHOGU』公演を観に行ってきました。

日本から民謡歌手吉田やす子、津軽三味線の三代目井上成美、篠笛の武田朋子、和太鼓の内藤哲朗というメンバーを招聘。そこに、セビージャ公演ではラファエル・ロドリゲスのギターとカンテのモイ・デ・モロンが参加(バルセロナはアルフレド・ラゴスとピラタ)。日西のミュージシャンたちと中田が見せてくれたのはオリジナリティに溢れる、彼女の思いがこもった作品でした。

オープニングの日本のミュージシャンたちによる和風ファルーカ(リズムはファルーカ。楽器は和楽器、でもオリジナルのファルーカのメロディをなぞっているというわけではない。歌詞も日本語)に、いやこの発想はこれまでなかったんじゃない?と驚かされ、



朗々と歌い上げられる南部牛追歌(これは日本のトリージャだね)から、早いテンポのシギリージャの足からのカスタネットでのシギリージャへの流れ。フラメンコギターと太鼓や篠笛が違和感なく共演している。あ、最後の声のところだけはちょっと衝突しちゃってる感じだったかもだけど。

りんご追分独唱からの、赤いバタ・デ・コーラとマントンでのソレア。

モイを前に引っ張り出し、歌わせて、その瞬間を堪能。

本能のままに、今、この時を楽しんでいる、という感じ。今これがしたいからこれをしている。衝動を生きて、楽しむ。歌を、ギターを、音を聴き、気の流れを感じて動く。踊る。
最後のタンゴでもはじける!




スペインと日本、二つの土地の間で揺れ動く心。フラメンコが大好き、フラメンコも間違いなく私の人生に欠かせないものだけど、深く入れば入り込むほどに、そのルーツと、自分のルーツの違いを感じてジレンマを感じたこともあったのかもしれない。異国の文化を愛せば愛すほど、自国の文化芸術へも興味が湧いてくる。自分の根っこ、とフラメンコの根っこ。全く違うようで、実は同じなのかもしれない…などなどさまざまな考えが頭の中で行ったり来たり、していたのだろう、などと彼女のあれこれをいろいろ想像してしまう。素直に自分の思いのまま、自分を描いていったのだろう。

場面場面のつながり、など、作品としてはよりよくできる部分もあるとは思うし、マントンも長身を生かしてもう一回り大きい持ち重りのするマントンでもいいだろうし、などとも思ったりもしたけれど、色々制約のある中で、本人は納得しているかどうかはわからないけれど、観客を楽しませた手腕に脱帽。彼女はフラメンコを演じるのではなく、フラメンコで自分を伝えようとし、ミュージシャンや観客とコミュニケートしているのだと思ったことでした。
その時の気の流れのまま、歌を聴いてその時の衝動で踊るフラメンコというのは誰にでもできるというものではない。細かい動きまで音楽と合わせてきちんと決めて精密に作り上げたフラメンコもあるし、それはそれでいいものはいい、なわけだけど。
フラメンコの魅力の一つである即興性を楽しむことができる器の大きさ、バイタリティにあふれ、たくさんの障害もものともせず、自分の信じる方向へズンズンと、エネルギッシュに進んでいく彼女はかっこいい。
こういった作品にこそ、彼女の真骨頂があるのではないか、そんなふうに思わせてくれました。
いい舞台をありがとう。また見せてくださいね。



2025年3月16日日曜日

フラメンコの生きる歴史

 



3月14日、セビージャのパテ劇場で開催された、フラメンコの生きる歴史と題された公演を観に行ってきました。これはセビージャ県の主催によるもので今年で3回目。第一回はロメリートやチョサ、昨年はホセ・デ・ラ・トマサやイネス・バカン、エンリケ・エル・エストレメーニョ、カルメン・レデスマらが出演。すなわちベテランアーティストへのオマージュ的意味合いの公演です。今年は歌い手マルケス・エル・サパテーロに捧げるということで、企画されていましたが、1週間前にエル・サパテーロは亡くなり、彼の代理で彼の故郷ビジャヌエバ・デ・アリスカルの市長やペーニャ会長が出席、彼への盾を披露しました。


公演は、トロンボの司会で、『ディメ』や『トド・エス・デ・コロール』など往年のローレ・イ・マヌエルでのヒット曲を歌うローレ・モントージャに始まり、レブリーハの歌い手クーロ・マレーナの妹、イサベル・マレーナはアントニオ・モジャの伴奏でシギリージャとブレリア。そしてエル・ボケロン。舞踊伴唱を得意とし、何度も来日したベテラン・カンタオール。エウヘニオ・イグレシアスの伴奏でソレアとファンダンゴ。エウヘニオのいかにもプロという伴奏が、ボケロンの昔ながらの、ちゃんとしたフラメンコを支える。最後はアントニオ・カナーレス。エウヘニオの伴奏、歌にガジとボケロン、カホンにホセ・カラスコという布陣で、シギリージャ。今年で引退と発表していますが、63歳、確かにかつてのようには身体は動かない。でも強いサパテアードは健在だし、いいところにアクセントを入れてくる感じとか、やっぱカナーレスだなあ、と。晩年のフェルナンダが、声出てなかったんだけど、それまでにたくさん聴いていたから想像で補って、彼女のインテンシオンを受け取って感動したのを思い出しました。いや、カナーレスはきっと舞台に出なくても演出や教授活動などで活躍していくのだろうけど。ボケロンとカナーレスの共演になんか胸が熱くなる。



最後は最近では珍しく、出演者一同による(ローレは帰っちゃったみたいだったけど)フィン・デ・フィエスタまであって、トロンボが渾身の一撃というか、すごいパタイータ見せてくれて、嬉しかったのだけど、反面、多分、カナーレスとは10歳くらいの違いだと思うのだけど、なんか大きな違いを感じて、ちょっと悲しくもなったり。


あ、ボケロンの紹介の時に、トロンボが、僕が子供の時に小松原舞踊団の招きで日本に行って、その時面倒を見てくれたのが彼だった、と紹介してたの。いろんなフラメンコ・アーティストの人生に日本が登場するのはなんかうれしい。私もボケロンと仲良くなったのは90年の日本公演の時だったなあ。



2025年3月10日月曜日

マルケス・エル・サパテーロ逝く

トリアーナのソレアを得意とした歌い手、マルケス・エル・サパテーロが亡くなりました。


©︎Javier Fergo Festival de Jerez


本名マヌエル・マルケス・バレーラは1930年セビージャ郊外、ビジャヌエバ・デル・アリスカル生まれ。spレコードを聴いてフラメンコにひかれ、プライベートのフィエスタなどで歌うようになる。兵役で学んだ靴職人、サパテーロの技術でトリアーナに靴屋を構え、その地で多くの歌い手たちとの交流を深め、力をつけた。1982年『トリアーナ・デル・スラケ』と言う、トリアーナのカンテを集めたアルバムにアントニオ・エル・アレネーロ、エル・テタと参加しました。



2013年のヘレスのフェスティバルに出演して、若きダニ・デ・モロンの伴奏で、渋い正統派フラメンコを聴かせてくれたことを昨日のように思い出します。

生まれ故郷には彼の名を冠した広場もあるそうです。最晩年、昨年もペーニャの舞台に立っていました。

ご冥福を祈ります。

2025年3月9日日曜日

ヘレスのフェスティバル最終日マリア・デル・モレーノ『アモール・イ・グロリア』

© Festival de Jerez/Esteban Abión

 フェスティバル最終日は国際女性デーということもあったのか、地元ヘレス出身マリア・デル・マル・モレーノはパストーラ・ガルバン、ロサリオ・トレド、アナ・サラサールという三人の個性的な踊り手とメゾソプラノ歌手ナンシー・エレーラをゲストに、「自由の叫びと女性であることの受容」をテーマにしたものと、プログラムにありました。あ、そうなのね。そういうことだったのね。

初演ということもあったのかもですがとにかく長い。約2時間。で、芝居仕立てなとこもあったりするんだけど、今ひとつよくわからない。最初、ベルがなって出演者を舞台に促すアナウンスがあったりした後で、彼女の目の前の布が上に上がっていくから、幕が開いたということなんだろうけど、その後展開される各場面は、舞台上のことになるのかと思ってたら、それが心の声や心的葛藤の表現になったり、それらからの表現だったりするみたいで、よくわからない。イメージ先行で整理されてないのかな、という感じ。私が頭悪すぎるのかも、ですが。

最初4人で同じ振りで踊るとこはそれぞれの個性が見えて面白かったです。

マリア・デル・マルのシギリージャ。ほぼずっと下向いて前屈みっぽいのが気になる。彼女のスタイルだといえばそれまでですが。顎を引きっぱなしで首が見えないときれいじゃないかと。

© Festival de Jerez/Esteban Abión


アナ・サラサールは独身女の悲哀?をテーマに歌い、タラントを踊り、



ハンガーラックにかかったハンガーに吊るした上着を着て、ラックを引きずって登場し「舞台に出ればシャンとする」と言ったロサリオはバタ・デ・コーラでのカンティーニャ。

© Festival de Jerez/Esteban Abión


脱ぎ捨てて下着姿でルンバ。

© Festival de Jerez/Esteban Abión


パストーラ・ガルバンは裸足でブレリアを踊り、

© Festival de Jerez/Esteban Abión



ネグリジェ姿でまた踊る。かと思ったらオペラ『カルメン』のハバネラからのマリア・デル・マルのソレア。

© Festival de Jerez/Esteban Abión

再び『カルメン』のセギディージャになったり。

© Festival de Jerez/Esteban Abión


そこからのフィエスタ場面へ。でまたこれが延々と続くわけです。

© Festival de Jerez/Esteban Abión

楽しめなかったのは2週間の疲れも溜まってる私が悪いのかもだけど、昨今、1時間10分くらい、長くても1時間半というのがスタンダード。2時間やるなら途中で休憩あってもよかったのでは、と思ったことでありました。