2025年11月15日土曜日

アウロラ・バルガス

 セントラル劇場でアウロラ・バルガスのリサイタル。


ゲストもなしで彼女だけの公演ってのは初めて見るような。

アレグリアス、ソレア、タンゴ、シギリージャ、ブレリア。それだけ。

元々レパートリーが広い人ではないけれど、タンゴの前にティエント持ってくるかな、とか, ファンダンゴも歌うかな、とも思ったけど、そんなことはなく、シギリージャはあまり歌わない曲かもだけど、基本、得意曲だけで。

ギターはペルラ。バリバリ弾いてしっかりサポート。パルマはマヌエル・サラド、ハビ・ペーニャ、マヌエル・バレンシア。寝心地のいいベッドのようにコンパスを整える。

熱情そのままに叫ぶように歌い踊るアウロラ。立って、マイクなしで舞台の前に行き、照明からも外れ、観客の顔をみて歌いかけるアウロラ。その昔、踊り手としても活躍していただけに、ちょこっと踊るのもかっこいい。

彼女の一人舞台を観て聴いて思ったのは、アウロラは絶滅危惧種の天然フラメンカ、だということ。昭和のフラメンカ、というか。彼女を他の歌い手と同じように聴くことは不可能で、むしろ、マヌエラ・カラスコと同じ種類というか。フラメンカとして生まれ育ちフラメンコと生きてきた人だから動きもことばも佇まいも全てがフラメンコ。こっちはその熱を受け取り、うわあ、ってなるだけでいい、という感じというか。音程がとか表現がとか細かいことを言うのに意味がないと思わせるほどの圧倒的な本物フラメンコ感。ヒターナだろうがハポネサだろうが関係なく、こればっかりは持って生まれたものなのだなあ、と思うなど。

なんか元気もらいました、ありがとう


2025年11月14日金曜日

マリア・モレーノ『マグニフィカ』


 マリア・モレーノの『マグニフィカ』

今年マドリードのビエナルで初演された作品。ギター伴奏でのバタ・デ・コーラのアレグリアス、5分にわたるマントン技からの、カンテのラビ登場、アレグリアスを締めてマルティネーテというようにテンポよく続いていく。マントンもスポーツ競技のように使う人も多いけどしっかりアルテで。ソレアだったかな、上体の動きとか、やっぱエバっぽいなと思うところもあるけれど、ロベルト・ハエンとのコンパスの掛け合いが秀逸。パルマも靴音も超速。いやコンパスの楽しさってフラメンコの根源みたいなとこあるな、と。ユーモアもあるし。この辺は起承転結の、起と承かな。ラウル・カンティサノのエレキギターやら、ふくよかな女優さんがフラメンコの掛け声を色々繋げてラップのように歌ったりとか、が転。女優さん、カディスの人でダンス作品とかもしてるらしい。最初すごく面白かったんだけど長く続くと飽きるというかくどく思えてしまう。塩梅、難しいですね。

カスタネットで始まるシギリージャ(ラビがギター弾きながら歌うのすごい)から光に向かってさっていて結って感じ。

個人的には、女優さんやエレキの部分はもっと短くていい(その方が効果的じゃ?)かなと思うけど、前作よりは好き。作品としてはちゃんとしてると思うし。エネルギーは伝わる。

ストレートなフラメンコがいいんだから、あえて奇をてらう必要はないと思うんだけど、色々やってみたくなるのかな。


マドリード公演のハイライト動画がありましたので貼っときます。



フォスフォリート逝く

 歌い手フォスフォリートが亡くなりました。93歳。水曜にマラガの病院に入院、木曜朝になくなったそうです。コルドバ市は2日間、喪に服すとのことです。

本名アントニオ・フェルナンデス・ディアス。1932年8月3日、コルドバ県プエンテ・ヘニルの生まれ。

1956年、第1回コルドバのコンクール5部門で優勝という圧倒的な実力で注目され、多数のアルバムを、パコ・デ・ルシア他の伴奏で録音。

1985年コンパス・デ・カンテ賞、1999年パストーラ・パボン賞、2005年カンテ黄金の鍵、2006年アンダルシア章、2007年美術金章など多数の賞を受賞しています。

2003年コルドバのコンクールの時マリオ・マジャ、マティルデ・コラルらと

パコのパストーラ賞の授賞式

2011年マティルデと


2008年ヘレスのフラメンコ学会賞の授賞式でチャノ・ロバート、ホセ・ガルバンと志風

ご冥福をお祈りします

2025年11月13日木曜日

ドキュメンタリー『セラス、ファルキート』

 いやいや良き映画でありました。

タイトル、君がファルキートだろう、って意味になるのかな、でも邦題ならシンプルに『ファルキート』として、副題で、世紀のフラメンコダンサー、とか、光と影のフラメンコ、とかするのかな。



アメリカでフラメンコのイベント制作などを手掛けるオフィスを持つ AMI MINARSさんの、ファルキートのドキュメンタリーというアイデアから、アメリカのリューベン・アトラス監督がスペインでの撮影が多くなることを鑑みて、彼と交流があったスペインのサンティ・アグアド監督と話して、共同で監督制作した作品。

ファルキートその人を探っていくことで祖父ファルーコや母ファルーカ、父モレーノらのことは欠かせない。弟ファルーや息子フアン、妻ロサリオ、娘たち…ファミリーは欠かせない。彼という人間の、アーティストとしてのベースであり、こういうファミリーだからこそ今の彼がいるのだな、と。

作品『フラメンコ・プーロ』で幼くしてニューヨークの舞台に上がり、全米ツアーしたこと、叔父の夭折後に生まれた彼に祖父が伝えたこと、母が語るファルーコのスタイル。

ここが個人的には涙でした。そう、あのブラソ!少ない動きで多くを語るフラメンコ。


たくさんのビデオや写真で、ファミリーの歴史が、ファルキートの足跡があざやかに浮かび上がっていく。稽古場、楽屋、舞台、様々なシーンでの踊る姿や言葉の数々。
ペドロ・シエラやペルラなど当時の共演者たちの顔も見え、観ているこちらも当時のことなどが思いこされる。早逝したマネージャー、エバのことも思い出してキュンとなった。
2001年、ニューヨークタイムズに「今世紀最高のフラメンコダンサー」と称され、2003年ピープル誌の世界の美志位有名人50人の一人として掲載。

1997年の祖父の死、2001年公演先の南米で父が舞台の上で倒れ亡くなる。ファミリーの長としての責任。
2003年に起こした死亡轢き逃げ事故。世間の冷たい目。
2005年結婚。子供の誕生。

ドラマチックすぎる人生。轢き逃げ事故の話も当時のニュース映像やインタビューなども交えて語られる。でも母の言うように「前を向いて進むしかない」のが人生。


息子に教え、舞台を見守り、自身も踊り続けていく。

フラメンコと毎日の生活が境界線なく続いている彼ら。ファルーが言うように生まれた瞬間からパルマとコンパスであやされる彼ら。そりゃ勝てないよな、と思いつつも、いや勝ち負けじゃないし、フラメンコを通してみんなが大きいファミリーのようなものだよね、とも思ったり。

ヒターノとしての誇りは見せても、ヒターノゆえに差別されたとかそういう話が出てこないのは、ヒターナの詩人がクリエイティブアドバイザーとしてアドバイスしたこともあるのかな。

フラメンコ好きが見るといや、その踊りもっとちゃんと観たい、フィエスタの場面もっと長くちゃんとみたい、とか思うところもあるかもだけど、とにかく、フラメンコが、ファルキートとそのファミリーのことが、少しわかったような気になると思います。フィエスタの場面、アフタートークで17人と言ってたのが45人きたtとか言ってたけど、あれだけ最初から最後までずっとを特典映像でDVDほしいとか思ったのは内緒。ぺぺ・トーレスもいたしね。







日本でもぜひ見ることができるようになりますように。
そしてまた来日もできるようになりますように。


なお会場には、映画でも顔をみせるファルキートの過去から今までの共演者たち、ペドロ・シエラ、ラ・トバラ、ルイス・アマドール、マヌエル・バレンシア、トロンボをはじめ、ぺぺ・デ・ルシア、エスペランサ・フェルナンデス、アンヘレス・ガバルドン、ら他多くのアーティストたちも顔を見せていました。

それにしても最近、フラメンコのドキュメンタリー多いですよね。なぜかな。
今年のセビージャ欧州映画祭でも、アントニオ、ファルキーに加え、クリスティーナ・オヨスの映画も公開されましたし、マドリードではタブラオ、コラル・デ・ラ・モレリアのドキュメンタリーが公開されたようです。









2025年11月10日月曜日

『デ・タル・パロ』

フラメンコは南スペイン、アンダルシアで、民衆の中から生まれた音楽舞踊。その誕生にはヒターノたちの存在が欠かせない。フラメンコは決してヒターノたちだけのものではないけれど、歴史を振り返ってみてもヒターノたちの存在は大きいし、その文化と密接であるのも確かだ。フラメンコの歴史に名を残すアルティスタたちには、親子代々のアルティスタというのも数多く、そういったファミリアは今もフラメンコの世界に多く存在する。

そんなファミリアのメンバーが6人集まったのが作品『デ・タル・パロ』

父がギタリスト、ペドロ・ペーニャ、叔父は歌い手レブリハーノ、祖母はペラータ、兄もギタリストという最年長ドランテスのピアノで、ヘレスの歌い手一族、ソルデーラ家のビセンテの娘レラ・ソトが歌う『ジェレン・ジェレン』で始まり、

©︎ Guillermo Mendo-Teatro de la Maestranza


ペドロのピアノでファルキートが踊るというオープニング。ファルキートは祖父ファルーコ、母ファルーカ、弟ファルー、息子モレーノが踊り手という舞踊一家。父は歌い手だったし、後に舞踊伴唱で登場したエセキエル・モントージャも親族。

©︎ Guillermo Mendo-Teatro de la Maestranza

続いてカルメン。アマジャのめいの娘カリメ・アマジャのソレア。最後は髪振り乱し花飛ばす激しさで観客を沸かせていた。ある意味わかりやすい情熱みたいに見える。お母さん、ウィニの踊りを思い出させる。実際にはそんなことはないんだろうけど、演出された土臭さみたいな感じもしてしまうのは私が捻くれているからだろう。

©︎ Guillermo Mendo-Teatro de la Maestranza
ホセ・デ・ラ・トマテはソロ2曲。ブレリアのイントロでマンサニータの『ペンセ・ケ・ノ・エクシスティア』を弾くからまた胸が熱くなる。90年代に何度も聴いたアルバム収録曲なので個人的な思いなんだけど、彼が生まれる前に流行ったセンチメンタルなこの曲をよく見つけてきたな、と。

©︎ Guillermo Mendo-Teatro de la Maestranza

最初にソロで聴いた時からぐんぐんと実力をつけてきてて素晴らしいギタリストに成長したな、と遠い親戚のおばさんのように目を細める。その彼が伴奏でのイスマエル・デ・ラ・ロサのソレアが絶品だった。声の色がめちゃフラメンコというだけでなく、メロディの正確さ、間合い、細部の彩りなど本当に素晴らしく、最高だった。イスマエルの父は今アメリカ在住の歌い手なんだけど、ファミリア・フェルナンデスのいとこかなんかだったはず。昔、サッカー選手だった時代にあったこともある。

©︎ Guillermo Mendo-Teatro de la Maestranza

その後はドランテスのソロが2曲、これがちょっとジャズっぽくて、せっかくのフラメンコの流れをぶった斬ってしまったのはちょっと残念。が、その後、レブリハーノの名曲『ガレーラス』を伴奏して、イスマエルが歌ったのは良かった。レブリハーノの真似をするのではなく、自分の裏にしていたところが良かったと思う。

そしてファルキートのアレグリアス。イスマエルとエセキエル、二人の実力派の伴唱も、サポート参加の大御所ペドロ・シエラも素晴らしく、最高のコルチョンの上を軽やかに飛び回るファルキートという感じ。細やかせ素早い足技が最高。ただコルテが多いのがちょっと気になる。拍手も振り付けのうち、みたいなホアキン・コルテスを思い出しちゃう。


©︎ Guillermo Mendo-Teatro de la Maestranza

©︎ Guillermo Mendo-Teatro de la Maestranza


そしてレラ・ソトのシギリージャ。これがまた素晴らしかった。
メロディの下げ方もいい際、最後、上げていく感じもかっこよかった。

最後は蓋たぶドランテスでオロブロイ。
その後全員のお辞儀があって、アンコールで再びオロブロイ。ここではみんながコーラスのとこ歌っていたのもよかったんだけど、最初からこっちのバージョンでやった方が盛り上がって終わったようにも思う。

全体としてドランテが主役ぽくて、特別ゲストとの公演みたいになっちゃってたけど、それがよかったのかどうか、って気はちょっとするかも。

でもとにかく若手のすごい才能をビンビンに感じることができて、フラメンコってすごい。私やっぱりフラメンコ好きだわ、って思わせてくれたのがよかった。若い人は見るたびにどんどん進化していきますね。




2025年11月8日土曜日

セビージャ・ギター祭 デヤン・イヴァノヴィッチ、ダビ・デ・アラアル

セビージャ・ギター祭最終日。
クラシックはデヤン・イヴァノヴィッチ。1976年ボスニア・ヘルツェゴビア生まれ。来日公演も行ったことがあるらしい。真面目そうな正統派に見えるけどどうなのかな。
18世紀の作曲家の作品から現代作曲家の作品、そしてセビージャ出身でこのホールの名前の由来でもあるホアキン・トゥリーナの作品とバラエティに富んだプログラムでした。


©︎ Festival de la Guitarra de Sevilla


 続くフラメンコがすごかった!ダビ・デ・アラアル。他のどんなギタリストとも違う、独自の世界を25歳の若さで持っているたぐいまれな存在。

若いギタリストはとかく音を詰め込みすぎる傾向があると思う。速弾きもしかり。だが、ダビは十分すぎるほどの間合いをとる。無音を音楽にしてしまう。そこに音がなくてもコンパスは回っていくのだ。そしてその間合いにこそオレ!の瞬間が訪れる。

そしてその音! フラメンコよりもクラシックの方が一音一音を大切に、音色を慎重に見計らいながら演奏するイメージだが、彼の音は今回このフェスティバルで聴いてきたどのクラシック奏者よりも大きく、圧倒的な存在感があり、一つ一つの音を丹念に紡いでいく。


©︎ Festival de la Guitarra de Sevilla 

©︎ Festival de la Guitarra de Sevilla 

ソレア/カーニャ。シギリージャ…

マノロ・サンルーカル『タウロマヒア』のナセンシアのでだしを少し弾いたけど、マノロやリケーニの抒情性を受け継ぐ貴重な存在。で、歌や舞踊の伴奏もやっているので、コンパスもいいし。

とにかく全身の毛穴にいいエネルギーを注いでもらったような感じで、口角あげあげで会場を後にしたのでありました。いい音楽は、良いフラメンコは人を幸せにします。



セビージャ・ギター祭 ゾーラン・ドゥキッチ/サンティアゴ・ララ

 セビージャ、ギター祭。

クロアチア出身でドイツ、ケルン音楽大学で学んだゾーラン・ドゥキッチはバッハとピアソラをシームレス、つまり間をおかずにつなげてそのまま演奏していくという展開。とにかく音が美しく優しくリラックスさせてくれるようなバッハと、力強いピアソラの対比も面白い。ピアソラの原曲が持つコンパス感、というかリズムとテンポによる魅力は薄まってしまうけど、メロディだけでも十分いい。

音、時々、エレキギターのように感じることがあって、エレキギタークラシックギター、アコースティックギターのこの音をお手本にしたのかもしれない、とか思ったことでした。違うかもしれないけどね。

©︎ Festival de la Guitarra de Sevilla

続いてヘレスのサンティアゴ・ララ。グラナイーナから始まり、ソレア、ファルーカ、マラゲーニャとエル・ビト、ときて、サラサーテのサパテアード。北スペイン、パンプローナ生まれのヴァイオリン奏者、作曲家のパブロ・サラサーテの作品、スペイン国立バレエで男性舞踊手のナンバーとして知っている人もいるかもしれません。もともとヴァイオリン曲をギターにアレンジ。超絶技。でも原曲の魅力を越えるとまではいかないかな。最後はブレリア。アンコールは師マノロ・サンルーカルに捧げた曲『マエストリア』。マノロのフレーズとイメージをパッチワークしたような曲でありました。


©︎ Festival de la Guitarra de Sevilla

うまいし、伝統的な感じに新しい試みなども取り入れているものの、枠から飛び出すことなく、安心して聴いていられる。

個人的には同じヘレスのマヌエル・バレンシアの方が引き込まれる魅力があったと思うけど、へれすは本当にいいギタリストが出てきますね。