2025年4月17日木曜日

公家千彰『TSUNA』

 フラメンコの特徴にその自由さがある。歌い手がどの歌詞をどのメロディで歌うのも自由だし、踊り手はその歌を聴いて即興で動きを自由に組み合わせて踊ることも多い。舞台作品では音楽も振り付けも決まっていることがい多いとはいえ、フラメンコをどう使うかはクリエイターの自由裁量。もちろん、どんなフラメンコをどう扱うかによって、フラメンコじゃないなどという外野の声を受けることもあるわけだけど。でも、フラメンコを演じることを目的にするのではなくフラメンコで演じることももちろんできるのだよなあ、などと渋谷区文化総合センター、伝承ホールからの帰り道、ぼうっと考えていたのでした。



渡辺綱と鬼の話、と聞いて、なんとなく予想しちゃうわけですね、長年日本のフラメンコも見ている身としては。チラシを見るとフラメンコのミュージシャンたちだけでなく、津軽三味線の奏者もいる。和物で武士と鬼の話。きっと着物風の衣装や刀などの衣装や小道具と三味線で和風味を出して物語を語るのだろうな、と。その予想があっていた部分もないわけじゃないのですが、衣装や小道具は和によりすぎず、こだわりすぎず、物語を語るのは活弁、すなわち無声映画で解説を語るお仕事の、山﨑バニラさんにまかせて(舞台を見ても物語がよくわからないというストレスがなくなる)、綱と鬼の話も現代的なテーマである差別の話を映し出したり、と、男の役だからといって極端な男装することもなく、男というより人として捉えている(ようだ)など、いろいろ、個として捉えるのではなく、より普遍的なものとしている試み(に見えた)も面白かった。

公家は姿勢の良さからだろうか、品格がある。女神感と言ってもいいかもしれない。舞台上での存在感と柔らかでどこか清らかな感じは独特。鬼を切るのが日本刀ではなく剣だったせいもあってか、和物というより、アドベンチャーゲームの主人公のようにも見えた。男でもなく女でもない綱。それは鬼を踊った奥濱春彦も同じで、この人は小松原舞踊団で錚々たるメンバーとの共演を重ねていることもあるのか、舞台での佇まいが素晴らしい。立ち姿がきれいなのだ。この二人のパレハ、カスタネットも使っての共演がこの夜の白眉だったと思う。

また、綱の同輩を踊った山下美希も、硬質なキリッとした踊りで常に目を引いたし、歌って踊った小谷野宏司も好演。ぺぺ・マジャ率いるスペイン人で固めたフラメンコミュージシャン(プラテアオの酒呑童子も面白!)と津軽三味線の対比、共演も興味深かったと思う。ただ、フラメンコ曲の歌詞は物語と全く関係ないというのは、日本のフラメンコとしては普通なのだろうが、スペインの作品を見慣れた私にはちょっと不思議な感じがしないでもなかったけれど、この劇場ならではの花道やセリを使ったり、観客席への声掛けなどもいろいろ工夫して作り上げていたのは好感が持てます。

これと決めた題材を丁寧に掘り起こし、イメージを積み重ね、真摯に作り上げた舞台だったと思います。

でもいつかソロで作品ではないフラメンコも見てみたいとも思ったことでありました。

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