2025年1月21日火曜日

ギリホンド祭 プログラム発表

 

セビージャ郊外の町で開催される、スペイン以外の国出身のアーティストたちにフィーカスしたギリ・ホンド祭、昨年2024年は日本をオマージュし、萩原淳子らが出演しましたが、今年はフランスが主役。

フランス出身の踊り手、ルカス・エル・ルコや歌い手クリスト・コルテス、ギタリスト、アントニオ・モジャらが出演します。
また昨年もギターソロで出演したオランダ人ギタリスト、ティノが踊り手オルーコ、歌い手アレハンドロ・ビジャエスクサと共演する『パジョ、ギリ、ヒターノ』なども。
最終日はアルカンヘルとサンドラ・カラスコ、ウエルバを代表する二人の歌い手が出演す流そうです。



◇第3回ギリホンド祭

521(水)〜24(土)

521(水)2115

[出]〈b〉ルカス・エル・ルコ

22

[出]〈g〉ラウル・エル・ルコ、ゲスト〈c〉ルビオ・デ・プルーナ

522(木)

1930分講演 ホセ・マヌエル・ガンボア『最初のカンテのアンソロジー』

21時講演ホセMフェルナンデス『セーヌとグアダルキビル』

2215分『ミ・ティエラ』

[出]〈c〉マリ・ペーニャ、〈g〉アントニオ・モジャ

523(金)

20時会話パトリック・ベジード/マノロ・ボルケス

21時『エル・パジョ、エル・ギリ、イ・エル・ヒターノ』

[出]〈g〉ティノ・バン・デル・スマン、〈c〉アレハンドロ・ビジャエスクサ、〈b〉エル・オルーコ

22時『ソニャンド・エル・カンテ』

[出]〈c〉クリスト・コルテス、〈g〉アントニオ・モジャ

[場]セビージャ県パロマーレス・デル・リオ カルロス・アルバレス・ノボア劇場

524(土)22

[出]〈c〉アルカンヘル、サンドラ・カラスコほか

[場]セビージャ県パロマーレス・デル・リオ バニョ・アラベ

[問]https://www.guirijondo.com

EN MI CUERPOMANDO YO プレゼンテーション

 セビージャを代表するペーニャといえば、セビージャに留学してた人はきっと必ず一度は行っているだろう、トーレス・マカレーナ。

イベントが多く、そのほとんどが会員以外でも入場料に当たる寄付金10ユーロ前後で入場できるのと、舞踊公演も多いのは、他のペーニャにはあまりない特徴かも。


先週も舞踊公演2つ、カンテ公演1つ、と盛りだくさん。

でも私が出向いたのは日曜日のお昼に行われた書籍のプレゼンテーション。


詩人でフラメンコ研究家、 ビエナルの生みの親でもある、ホセ・ルイス・オルティス・ヌエボによるレトラ集。男女同権をテーマにしています。


フラメンコの歌詞も時代の鏡で、今の時代にそぐわない、女性蔑視のものや、女性に暴力をふるうのが当然、といった歌詞も多いのですが、そうではなく、女性も男性の奴隷ではなく、自分自身をもって行く、といった感じのものが多いのが特徴。

その歌詞を実際に、カルメン・ガルシアのギター伴奏でサラ・オルガドが歌いながら進んでいきます。入場無料で満員。カンテ・デ・レバンテやバンベーラ、シギリージャなどに乗せて歌われるのでありますが、発音がはっきりしていて歌詞がわかりやすいのが、こういう企画にぴったり。譜面台を前にしてるのは歌い慣れていないだろうレトラを間違えずに歌うためだろうけど、メロディもまるで楽譜があるかのようにポピュラーなメロディに正確な感じでありました。ギター伴奏は、基本を押さえた上で繊細さを生かしている感じ。



ビデオもちょっとだけ。バンベーラです。



Entre sábanas de Holanda
yo te lo quiere decir
Que si m´acuesto contigo 
Es porque así soy feliz
 
オランダのシーツにくるまって
あなたに言いたいのは
あなたと寝るのは
そうすると幸せだから

No quiero fidelidades 
Fragiles y quebradizas
Prefierolas lealtades
y el abrazo de tu risas.

貞節はいらない
壊れやすくて脆いもの
誠実の方がいい
あなたの笑顔の抱擁がいい



拙い訳でごめんなさい。
フラメンコは女性も男性も同じように表現できる、楽しめるアートなのだと思います。

2025年1月16日木曜日

さよならホセ・ルイス・デ・ラ・パス

 1月14日、マイアミ在住のギタリスト、ホセ・ルイス・デ・ラ・パス、本名ホセ・ルイス・ロドリゲスが亡くなった。57歳。

©︎ Kyoko Shikaze


1967年セウタ生まれ 3歳からウエルバ育ち。地元ウエルバでギターをはじめ、9歳からペーニャで学ぶ。後、15歳からセビージャでマリオ・エスクデーロに師事。1990年ビエナルのヒラルディージョのコンクールに出場。翌年、マノロ・マリン舞踊団に、1995年からはクリスティーナ・オヨス舞踊団のギタリストとして活躍。1995、1997、 2002年の日本公演にも参加している。オヨス舞踊団では音楽監督として、作品『ティエラ・アデントロ』(2002年)『イエルマ』(2003年アンダルシア舞踊団)などを作曲。また、ベレン・マジャやイサベル・バジョンを始め多くの舞踊家を伴奏した。

 

2009 en Sevilla©︎ Kyoko Shikaze

2010年頃にアメリカにわたり、ソロ活動を中心に、彼の地の踊り手たちとも共演していた。

11月、胃の手術のため入院したところ、進行した腎臓がんが見つかりそのまま入院、闘病中だった。病院費用は入っていた保険で賄えたものの、仕事ができないということで、アメリカのフラメンコ舞踊家シウディ・がリードが立ち上げたクラウドファウンディングを昨日、見かけたばかりだった。


心からご冥福をお祈りします。


追記

2月1日に彼へのトリビュート公演が行われるそうです。



2025年1月10日金曜日

ミゲル・オチャンド亡くなる

 1月10日明け方、グラナダのギタリスト、ミゲル・オチャンドが亡くなった。

1965年生まれというから、まだ五十代。早すぎる。

本名ミゲル・モリーナ・マルティネス。グラナダ、レアレホ地区の生まれ。まだ10歳になるかならないかという時に、地元のペーニャ、ラ・プラテリアで演奏。1984年にはラ・ウニオンのコンクールで準優勝。

その後は、エンリケ・モレンテやカルメン・リナーレスなど主に歌伴奏で活躍していました。

知る人ぞ知る、伴奏の名手だったといえると思います。

Málaga en Flamenco 2007 ©︎ Kyoko Shikaze 

カルメン・リナーレスと。Málaga en Flamenco 2007 ©︎ Kyoko Shikaze 



マリア・ホセ・ペレスと。Málaga en Flamenco 2007 ©︎ Kyoko Shikaze 

1983年のフラメンコとアラブ音楽の出会いの作品『マカマホンダ』やマリオ・マジャの作品にも参加。2007年にはニーニョ・リカルドやサビーカスなど先人たちの名曲を演奏したソロアルバムも発表している。

早すぎる旅立ちをまだ信じられない。

追悼エル・グイト

 1月8日夜9時、マドリード郊外コジャード・ビジャルバの病院で、踊り手エドゥアルド・セラーノ“エル・グイト”が亡くなった。82歳だった。

1942年マドリードの下町、ラストロ地区の生まれ。幼い頃から踊り、映画に出演。


1952年公開の映画『エル・マセテーロ』から

ラ・キカやアントニオ・マリンに学び、1957年、14歳でピラール・ロペスのスペイン舞踊団ロンドン公演でデビュー。アントニオ・ガデスやマリオ・マジャとともに世界の舞台で活躍した。

70年代にはマリオ・マジャ、カルメン・モーラとトリオ・マドリードとして活躍。

この、マドリードのタブラオ、カフェ・デ・チニータスでのデュオの動画は有名ですよね。



その後は、ソロで、マドリードはもとより、ビエナルやヘレスのフェスティバルで各地のフェスティバル、ファルーコらと共演したアメリカでの作品「フラメンコ・プーロ」などで活躍。マノレーテと組んだ舞台もあったように記憶している。

また1978年スペイン国立バレエ団創立時、アントニオ・ガデスに招かれメンバーとなり、その後ガデス舞踊団で、映画『血の婚礼』にも出演している。


黒っぽいつばのある帽子をかぶって茶色の上下を着ているのですが、わかるかな。

また、マドリードのスタジオ、アモール・デ・ディオスでも長らく、後進の指導にあたってきた。

日本にも1987年に小松原庸子の招きでコンクールのゲストとして,来日したのをはじめ、同年8月のは真夏の夜のフラメンコにも出演。また2001年には阿藤久子の招きで、2005年にはフラメンコ・フェスティバルで、と4回来日している。

20222年に発売されたホセ・マヌエル・ガンボアによる伝記には「ラ・カベサ・デル・フラメンコ!」と副題がついている。フラメンコの頭!というのはかしら、ボスという意味も含んでいるだろうが、その揺るぎない、完璧な頭の位置のことなのだ。

コロカシオン、姿勢。あるべきところにそれぞれのパーツがあるだけで美しい。

グイトは舞台に立っているだけで美しい。かっこいい。

柔らかで華やかな女性舞踊と対極の、抑制された、男性舞踊の粋。フラメンコらしいフラメンコ。




1996年カナルスールのフラメンコ番組でのファルーカ。


2003年、スペイン国立バレエの25周年ガラ公演でのソレア。遠くからの撮影で表情が見えないのが残念だけど構成、振り付けはよくわかると思う。


アントニオ・ガデス、マリオ・マジャ、ファルーコ、マノレーテ…グイトが亡くなり、確実に一つの時代が終わったということがじわじわと実感されてきている。ご冥福をお祈りします。


2025年1月6日月曜日

ラ・チュンガ逝く


2025年、フラメンコ界は悲しいニュースで幕を開けました。

1月3日、ミカエラ・フローレス・アマジャ“ラ・チュンガ”がなくなったのです。
87歳でした。

1938年フランスはマルセイユでスペイン人ヒターノの両親のもと生まれ。1歳でバルセロナへ。子供の時から踊り始め、 道端で踊る裸足の舞姫として注目され、画家ダリら、カタルーニャのインテリたちのミューズとなったそう。
映画にも出演しました。


これはグラン・アントニオと共演した映画のワンシーン。




マドリードのタブラオ、カフェ・デ・チニータスのフィグーラ、看板スターとして長年活躍し、筆者も見ています。ぼんやりとした写真ですが、赤い衣装がチュンガ、その人です。
カルメン・アマジャの後継者のように見られたこともあるようですが、カルメンのようにたくさんのレパートリーを持つわけでも、正統派フラメンコの舞踊家というわけでもなく、ルンバやブレリアを持ち前の激しい気性、テンペラメントで見せる、という感じだったと記憶しています。ただその彼女ならではの雰囲気がすごい、というタイプ。




 その後、画家として個展を開くなどもしていました。

国営放送のニュースのリンクを貼っておきますね。

ご冥福を祈ります。