2017年2月25日土曜日

ヘレスのフェスティバル初日アンダルシア舞踊団「…アケル・シルベリオ」

いよいよヘレスのフェスティバルが開幕。
今年はフェルティバルを主催するビジャマルタ劇場財団の存続の危機もあり、プログラムの発表も遅れるなどあっただけに感慨ひとしお。
それもラファエル・エステベスが芸術監督に就任してから初めてのアンダルシア舞踊団公演ということもあり、会場には市長や市の文化局長はもちろん、ルベン・オルモ元監督、、ラファエラ・カラスコ前監督、マノロ・マリン、ブランカ・デル・レイ、アンヘリータ・ゴメス、エバ・ジェルバブエナ、ロシオ・モリーナ、マヌエル・ベタンソ、ホアキン・グリロら、多くのアルティスタたちの顔も見えた。

「…アケル・シルベリオ」のシルベリオはシルベリオ・フランコネティ、19世紀後半に活躍したカンタオールで、セビージャでカフェ・カンタンテを経営していたこともある、フラメンコの礎を築いた人。
彼の名前が出てくるところからして、フラメンコおたくなラファエルらしい。
とは言っても、プログラムに彼の言葉として掲載されているように、やっているのは古典の再現ではなく、現代フラメンコ。あちらこちらにおたくならではの仕掛けが施されているものの、それを全部理解するためには集中講義が必要だろう。

プログラムにある曲順通りにではなく進められていく。
全体的に薄暗く、モノトーンなのはフラメンコ草創期をイメージしたものだろうか。
全体としては、闘牛士として南米に渡ったり、カフェを営んだりし、シギリージャにその名を残すシルベリオの人生にインスパイアされてはいるものの、彼の人生をなぞるというわけではなく、自由にイメージを組み合わせている、という感じ。
Javier Fergo para Festival de Jerez


中心となるのは群舞で、ソロは少ない。その群舞は、舞台上の位置など、色々考えられて作っているし、ダンサーたちのテクニックも凄いのだが、同じような動きも多く、忙しくいろんな動きをするせいか、一つ一つの動きに重みがなく、ワンパターンに見えてくるのは残念。観客にわかりやすく、とか、観客に楽しんでもらおう、という意識は全くないように思える。

また、ソロでも、黒いバックに黒いバタ・デ・コーラにぼんやりとした薄明かりではせっかくの踊りも見にくいことこの上ない。
Javier Fergo para Festival de Jerez

そうかと思うと、クアドロの場面ではモノトーンの組み合わせによる衣装にタイツという、モダンアート風な衣装があったり、闘牛のシーンでは当時の風俗を描いた絵画を思わせるマントンやコルドベスの女性が現れたり、 軍の台頭や戦争を思わせる場面があったり(リエゴの乱?カルリスタ戦争?)、シルベリオという存在を要にしてどんどん扇を広げていってる感じか。

そんな中で一番良かったのは、カフェカンタンテのイメージらしきクアドロ風の場面で、アルベルト・セジェスがアレグリアスを歌い踊る場面。

Javier Fergo para Festival de Jerez

さすがカディスの名手アウレリオ・セジェスの孫、いやあ、本職の歌い手たちよりも上手い!踊りながらも、踊りに合わせて切ったりすることもなく、コンパスも自在に操り、かといって踊りがおろそかになるわけでもなく、いやあ、これはすごい。すばらしい。

闘牛で、馬に乗って長い槍で牛をつくピカドールだったシルベリオのイメージから、白い頭が丸くつば広の帽子をかぶって槍に見立てた長い棒を地面に刺すイメージはなんども繰り返された。女性が闘牛士になって闘牛のシーンを再現し、牛にひっくり返されるところなどは面白い趣向だ。

Javier Fergo para Festival de Jerez


またバレリアーノ・パーニョスのエスクエラ・ボレーラな回転や跳躍も良かった。シルベリオの時代は、エスクエラ・ボレーラの影響を受けてフラメンコ舞踊が確立していった時代だと思うので、その辺り、もっとわかりやすく見せてもらいたいようにもするが、それはラファエルがコンチャ・ハレーニョの作品「バウル・デ・ロス・フラメンコス」でもうやったから必要ない、というわけなのかもしれない。

戦争の場面は「コンサグラシオン」の第2部、踊り手たちのポーズを直していくところは「ムニェカス」、クアドロの場面は「フラメンコXXI」のオープニング、と、エステベス/パーニョスの過去の作品を思わせるところや、闘牛の後の肩車やフラッシュでのポーズはガデスの「血の婚礼」、ラファエルのソロのカンティーニャはマカローナのイメージなのであろう女性的な振りだが、その最後に椅子を頭に掲げるのは1922年のカンテコンクールのイメージでラファエラ・カラスコの作品でもあったもの、
Javier Fergo para Festival de Jerez

と、あちこちにいろんな要素を見つけることができる。

でもいろんなことをやりたすぎて、詰め込みすぎて、散漫な感じになってしまったことは否めない。とはいえこれは初演。これから冗長な場面を短くするなど、研ぎ澄ませていくことだろう。そう期待する。

踊り手たちの技術レベルは高いし、長年アフィシオナードとしてフラメンコの歴史の研究をしてるラファエルならではのすごく大変な仕事だったことはわかる。でももっと整理できれば、もっと素晴らしい作品になるのではないだろうか。


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