70年代から80年代、フェスティバル全盛時代、カマロンと並ぶ大スターだった。
父はレブリハーノのヒターノ、母はウトレーラのヒターナで歌い手マリア・ラ・ペラータ。
セビージャのエル・グアヒーロ、マドリードのエル・ドゥエンデなどを経て、録音。
アントニオ・マイレーナ的正統派で古いカンテをよくしっており、
代表作にニーニョ・リカルドとパコ・デ・ルシアの伴奏「デ・セビージャ・ア・カイ」(1969)がある。
また、「ラ・パラブラ・デ・ディオス・ア・ウン・ヒターノ」(1972)にはじまる一連のアルバムでは、ジプシー迫害を描いた1976年の「ペルセクシオン」、マノロ・サンルーカル、ロシオ・フラードと共演した1982年「ベン・イ・シゲメ」では聖書の世界をえがき、1985年にはオルケスタ・アンダルシとよばれる、イスラム支配時代のアンダルシア音楽の流れにあるモロッコの楽団と共演した「レエンクエントロ」で、「アニージョ」などのヒットをとばし、1992年には大陸発見をテーマにした「ティエラ」など、曲をならべるだけではなく、一枚のアルバムにテーマがあり、物語をかたるような、独自のスタイルを確立した。
2008年の「クアンド・レブリハーノ・カンタ、セ・モハ・エル・ アグア」という、ガブリエル・ガルシア・マルケスの言葉をタイトルにしたアルバムが遺作となった。
今日、遺骸はレブリーハのフアン・ベルナベ劇場に安置され、地元の人たちに最後のわかれをつげる
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