2024年5月29日水曜日

マカレーナ・ロペス『ウナ・ロサ・アスル・イ・ロス・オホス・ロホス』』

 


90年、セビージャ生まれだという踊り手マカレーナ・ロペス。セビージャの舞踊専門学校、アンダルシア舞踊センターに学び、エステベス&パーニョス舞踊団、アンダルシア舞踊団で活躍した人、というからというから絶対見ているはずなのだけど覚えていない。舞踊団の団員のことを覚えている、ってのは目に止まる何かがあるってことだし、今はスター格の踊り手でも舞踊団時代、ペーペーの頃覚えている人ってのはすごく少ないんだけどね。群舞で悪目立ちしてないってことでもあるかもなのでそれは別に悪いことではないね。

で、唯一覚えているのが21年のヘレスでアルカンヘル公演の時踊った彼女なんだけど、うーん、テクニックはあるけど…って印象でした。

で今回もそれ。体のコントロールはできている。でも…という感じ。

まず作品。あらすじじゃないけど多分何か言いたいこと、テーマはあるんだと思うのだけど、どういう話だったのかはまーったくわからない。私が頭悪いのかとも思ったけど終演後話した友達も同様。しかもプログラムがないんですよ。手がかりが全くない。劇場にあったQRコードやっても、出演者、彼女とゲストで最後の方でシギリージャ歌ったミゲル・ポベーダしか書かれてないし。

ちなみにバイオリンのアレシス・レフェブレは昔の知り合いだし、歌い手は終演後劇場のバルに来てたのでボラとフアン・デ・マイレーナだとわかったけど、ギター、パーカッション、いったい誰だったんだろう。。。*州の人に聞いてギターはフランシス・ゴメス、パーカッションはリト・マーネスと判明。

んでね、フラメンコ曲を普通に踊った場面はほぼなくて、ロシオ・モリーナ的というかコンテンポラリー的というか。片足引きずったり、自分を縛ったひもの先を歌い手に渡し引っ張ってもらい、自分で紐をくぐって解いていくとか、あ、この場面ではフアンがトリージャ歌ったんだけど、こっちはお上手でした。

個人的には久しぶりに聞いたミゲルが、やっぱりリガールの仕方とか名人技だし、オレ!だったのでなんとか、持ち堪えたけど、最後白い紙の上に金盥持ってきてその中に入った時、入る前から中に墨でスカートにつけるだろうと予想もできたけどなぜ、そうしてるのかはわからないし、ねえ。いやあ、本人解説付きとかで見ればまた違うのだろうけど。ただ歩くだけがサマになるディーバじゃまだないし。いやあ、もうほんと、困ります。

うーん、イスラエルでもロシオでも、エバでも最初からぶっ飛んでたわけではなくて、最初はみんな伝統的なフラメンコをガンガン踊って、そこで認められてからだよね、コンテみたいなこととか取り入れたのは。百歩譲って、イスラの最初のソロ作品はびっくりさせるとこあったにしても、さ。マヌエル・ソレールやマヌエラ・カラスコ作品でバンバン踊ってたじゃん?コンクールでも優勝してたし。

マカレーナはまだそこまで知られた存在じゃないし最初からこれはきついような。

テーマや物語性のある作品の場合、それが観客に伝わるようにするべき、だと思うわけですよ、全部きっちり伝わらなくても、イメージだけでもぼんやりとでも伝わらないなら意味ないんじゃないかと。後で聞いたら一応、演出家さんもいたらしいのですけどね。なんか勿体無い。せっかくの売り出しの大きなチャンスだったのに、とか考えちゃいました。

いや私がこれがやりたかったんだから、と本人いうかもだけどさ、戦略としてはまずストレートなフラメンコで名をうってからの方がいいんじゃないかとか思っちゃうのは年寄りぽいですかねえ。それかもう少しわかりやすくするとかさー。

後記

んでプログラム、曲が並んでるリサイタル・タイプの時はなくてもいいかもだけど、物語性のある作品にはやっぱあった方がいいと思います。ま、「プログラム見なくちゃいけない舞台は失敗」みたいなことをピラール・ロペスが言ったっていうけど、なんだかわかんないけどすごい、よくわからんけど好き、っていう時、プログラム見てなるほど、ってなるのはあるけど、今回みたいな場合は読んでも結局クエスチョンマークって気もする。どうもメルセデス・デ・コルドバがヘレスでワークインプログレスやったマルガリータ・ヒル・ロエセがテーマらしいのですが、いや、それ聞いてもああ、とはならず疑問膨らむ。てか、世の中の大部分はマルガリータのこと知らないし、なんで、こないだのメルセデスのように、彼女を理解してもらうためにお話し入れたり、その絵を使ったりってのはありだなあ、と思ったことでした。



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