2024年6月18日火曜日

追悼クーロ・フェルナンデス

 6月14日、歌い手のクーロ・フェルナンデスが亡くなりました。82歳。2年前には妻で、踊り手コンチャ・バルガスの姉、ペパ・バルガスを亡くしているが、その前から表舞台には随分ご無沙汰していました。

本名フランシスコ・フェルナンデス・リオスが1941年、セビージャはトリアーナ、ファビエ通りの生まれ。舞踊伴唱を得意とし、マティルデ・コラル、マヌエラ・バルガス、エル・ミンブレ、メルチェ・エスメラルダ、マヌエラ・カラスコ、カルメン・レデスマ、フアナ・アマジャなど、セビージャ出身の踊り手たちに愛され、数々の舞台を共にしました。

80年代には、息子でギタリストのパコ、歌い手のエスペランサ・フェルナンデス、踊り手のホセリートと妻ペパの、ファミリア・フェルナンデスとして活躍。コンチャ・バルガスを加えたグループで、新宿エル・フラメンコの舞台にも立っています。


1984年のことでした。


また、日本の踊り手たちの伴唱でも何度も来日しています。

2002年は生家跡に記念のセラミックプレートが設置されました。



数年前、雨が続いたある日、外壁と共に崩れ落ち、外壁は直されたものの、プレートはまだ戻ってきていません。でも我が家の近所のこの通りを毎日のように通るたび、思い出します。


2024年6月17日月曜日

野村眞里子『タンゴ探しの旅』


フラメンコのタンゴとアルゼンチンタンゴ。

ジャンルは違う、でもルーツは同じ、と言われる二つのタンゴを同じ舞台に、ということで野村眞里子によって企画された作品。そこからフラメンコのタンゴの踊り手とアルゼンチンタンゴダンサーとの間に生まれた息子の母探しの物語を創作。出演は息子に出水宏輝、母に河野麻耶、祖父に山本将光、祖母に朱雀はるな(パーカッションも兼任)、出水の妹に伊藤笑苗と、実力派フラメンコダンサーたちと共に、アルゼンチンタンゴのダンサーのペアも出演。また歌にミゲル・デ・バダホス、小松美保、ギターにペペ・マジャ(タンゴの伴奏が絶妙で素晴らしかった)と北岸麻生、そして狂言回しの謎の女に野村という布陣。

プロローグで北岸のフラメンコギターによって演奏されたリベルタンゴ。最後のシーン、母と再会できた出水と伊藤による現代的なフラメンコのタンゴから始まるエピローグで、フラメンコのタンゴの音楽でアルゼンチンタンゴのダンサー、マーシー&マギが踊った、この2曲に全てがあるように思う。北岸のリベルタンゴは余計な思い入れなどなくあっさりすっきり、メロディ、音楽の美しさが際立つ感じ。タンゴダンサーによる演技はとにかくかっこよく、この2曲は、ジャンルの垣根はあってないものということを表していたようにも思う。

物語は、プログラムにも掲載されていたし、ダンサーたちの渾身の演技もあってわかりやすいほうだったと思う。ただ、最初、母がアルゼンチンタンゴダンサーと恋に落ちたのが日本だったとはプログラムに書いてあったものの私はグラナダで、母の一家もグラナダのフラメンコなファミリーだとなぜか思い込んでいたので、二部の語りでびっくりした。皆がフラメンコで表現してたからグラナダ、と思ってしまっていたのだけど、まあ、今や親子孫三代でフラメンコをやっているご家族も日本でもいるわけだからアリなのかも。あと祖母、河野の母役が髪を白くするでも、ほうれい線を強調するでもなく、つまり老けメイクをやってないので、うーん、ちょっと不自然? 『バルセロナ物語』のカルメン・アマジャだと思えばいいのかな、うーん、でも、河野が少女には見えない以上、多少(例えば銀髪のメッシュに見えるような付け髪つけるとか)してもよかったようには思う。また主役?の出水の少年時代の山本涼と大人になっての出水はサイズも面影もそんなに変わらないので違和感ちょっとあるかも、などと、細かいところが気にならないではなかったけれど。 

また研究家的にいうとタンゴがテーマならティエントやタンギージョなど直接的関係のある曲などを取り上げるとかがあってもいいと思うけど、そこはアカデミックじゃないエンタメを目指したということなのだろう。


河野はシギリージャとカーニャ、山本はファンダンゴ・デ・ウエルバ、出水はソレア・ポル・ブレリアとアレグリアス、伊藤はサンブラといった具合にそれぞれ、みどころが用意されていて、フラメンコ作品としても見応えがある。朱雀のバストン使い(終演後に初めてだったと聞いてびっくり)とか、伊藤のサンブラでマノロ・カラコールのサンブラを歌われて、多分、それはグラナダ的なものを、という企画の意図とは違うのだろうけど、(でもあれも確かにサンブラだから間違いではない)めげずに、昔風、昔のグラナダの洞窟の宴のイメージで、金属製のチンチンと呼ばれるカスタネットを使ったり、髪をザンバラにして頭を振ったり、床に座って背を逸せるカンブレを入れたりして、色々古いビデオなど見て勉強しているのが伝わってきたのもよかったと思う。まだ足の怪我が治り切ってはないないという野村が、いかにもグラナダ風の衣装でタンゴを踊って見せたのも味わいがあってびっくりしたけれど、山本将光や河野のベテランの存在感、重みは作品に厚みを与えていたと思う。音楽もフラメンコの様々なタンゴをカンテソロで聴かせるなど工夫もあり、よくまとまっていたと思う。


会場の神奈川芸術劇場大スタジオは、会場にいらした高橋英子さんが言ってらした通り、グラナダのアルハンブラ劇場ににたつくりで、フラメンコにもあう空間だと思う。舞台作り、作品作りは大変だけど、演者も制作も、そして観客も、劇場作品にしかない醍醐味、満足感を味わったことだと思う。

最近は劇場公演をする舞踊家は少ないけれど、それでしか得られないものがあるので、各種補助金を利用するなどしてでも、ぜひトライして欲しいと思うところであります。



2024年6月7日金曜日

アンヘレス・トレダーノ

セントラル劇場の公演には、ソロで初お目見えのアンヘレス・トレダーノ。ハエン県ビジャヌエバ・デ・ラ・レイナ出身。95年生まれというから28歳。これがちょっと変わった公演打た。

劇場に入ったら流れていたのは、翼をください、だった。日本語だよ。なんで?子供のような声。つい一緒に歌っちゃった。そっからして、ちょっと変わったコンサートだった。始まる直前にも夜の名画劇場みたいなテレビ番組のような音楽が流れたり。

客席にも普段のフラメンコ公演とはちょっと違った、パンクな人たちがたくさんいたので、ん?と思ったけれど、始まってみるとなるほど。これは普通のフラメンコ公演じゃない。

白いTシャツの胸に金の星、ふわっと広がったミニスカートにロングブーツ。アイドルみたいなファッション。自分でエフェクターを使って歌い始める。ちょっとエンリケ・モレンテのオメガを思い起こさせる。後で聞いたところによるとこれは彼女の『アラオラ』というテーマで彼女の村に伝わる歌を、今風にしたもので初のシングルとしてリリースしてるらしい。

このまま、エフェクターでバリバリ歌い続けるのか、と思うと、そんなことはなく、下手寄りにギタリスト、ベニート・ベルナルと座り、ギター伴奏でのシギリージャ。レバンテからのタンゴ。いや踊りじゃなくて、歌のリブレなレバンテからのタンゴだよ。曲順もシギリージャからとか、普通のカンテ公演とは一味違う。が本当にびっくりして、感銘したのは続くアレグリアス。彼女が子供の頃から一緒に歌ってきたという二人の女性と共にギターなしで歌ったこれが素晴らしかった。ポリフォニー。一人がメインのメロディーを歌い、それに従うように歌ったかと思うと、違うメロディ歌ったり。幕開けもそうだけど、これまたモレンテを思い出す。合唱と一緒にするのってエンリケが最初だったと思うんだ。声を重ねていくとか、モレンテが先駆者。

来週結婚式というカップルに捧げるソレア。ファンダンゴはセビジャーナスで終わる。やっぱどっか違う。最後のブレリアもしっとりと。フィン・デ・フィエスタの賑やかな感じとは一味違う。

抒情的な声とか、衣装とか、エフェクター使いとか、ロサリアの影響もあるのかな。でもロサリアよりもずっとフラメンコの知識と経験があるし、その上での自分のスタイル探し的な感じで好印象。

だけど、舞踊伴唱してる時とかと違って、コンパスの伸び縮みも激しいし、音程はいいけれど時々微妙に外す、ってかわざとなのかな? ギターも調弦があれ、って感じなんだけど、これもわざとやってるのか、単に外れているのか。

とにかく自由。なんでフラメンコにおいての自由はどこまで可能なのか、なんてことを考え始めたりしてしまったことでした。

とにかく型破り。最後はスタンディングオーベーションだったし、うん、また見に行きたい人には違いません。



2024年6月5日水曜日

オルガ・ペリセ『ラ・マテリア』

 セントラル劇場でオルガ・ペリセ。

開演前アンダルシア舞踊団に振付中のアルフォンソ・ロサや昔オルガと踊ってたこともあるマヌエル・リニャンらと話していたらエバ・ジェルバブエナ登場。会場には他にもホセ・アントニオやラ・ピニョーナらもいたし、うん、注目の公演。

ギター三部作の二作目。ロシオ・モリーナのギター三部作は歌なしでギタリストとの対話、っていう感じだったけど、オルガは、ギターそのものをテーマにしているという感じ。前作『ラ・レオナ』は今あるスペインギターの形の最初となったアントニオ・デ・トーレスの名器ラ・レオナをテーマにしていたけれど、今回はマテリア、材料がテーマ。ということで幕が開くと薄暗い中佇むオルガ。上手から木の板を持ってくる男性。その、木の上で、木を持って、というように、オルガが一人で、また男性と、木を使って踊る。

この男性が素晴らしい。聞けばコンテンポラリーのダンサーで、プレミオ・ナショナルもとっているダニエル・アブレウという人だそう。その動きが美しい。完璧にコントロールされ、音楽がそのまま動きになっているよう。圧巻。

いろんなフラメンコ舞踊家がコンテンポラリーダンサーと共演しているけれど、この人は格が違う。で、ダンサーとして個人の能力がすごいというだけではなく、自己主張を抑え、オルガをサポートしていく。二人で踊るところのバランスの良さ。フラメンコかフラメンコじゃないかとかそんなこと全然考えなくていい。とにかく美しく、観ていて気持ちがいい踊り。時に感応的、時に攻撃的、かと思うとパズルのようだったり、会話のようだったり。というのも頭の中に次々に浮かぶ考えとも言えなカケラのようで。ってこれはオルガがコンテンポラリーをちゃんと勉強してるってこともきっとあるんじゃないかな、勉強したのかどうか知らないけど、きちんとした知識があってやっているという気がする。

また彼が一人でギターを両手に持って踊るところがあったのですが、ギターの重さが感じられない、まるで飛んでいきそう。手品のよう。きっとこれも重心の捉え方とか、そういう技術なんだろうけど。とにかくすごい。

フアンフェ・ペレスがエレキベースで歌うように演奏するソレア。ハビエル・ラバダンのドラムスとベースのシギリージャ。マントンで二人で踊って始まるペテネーラ。ホセ・マヌエル・レオンのギターも思わずオレが出てしまう見事さだったし、いやあ、共演者大切。

今回はギターの材料である木をめぐる連想ということだと私は観たけど、作り手の思い、表現したかったことを全部受け取っているかは疑問。でもね、わかんなくても楽しめた。それでいいじゃん?

コンテンポラリーももっと観てみたいな、と思ったことでした。



2024年6月1日土曜日

アルフォンソ・ロサ『エクセント』

 



客席にいた人は誰もが笑顔で劇場を後にしたに違いない。踊り手もたくさん来ていたし、フラメンコをあまり知らない人もいた(かかりつけの歯医者さんにあってびっくりした)けれど、皆が極上のフラメンコ、堪能したはず。

アルフォンソ・ロサ。1980年マドリード生まれ。ラファエル・デ・コルドバ、マリア・マグダレーナらに学び、舞踊専門学院でスペイン舞踊/フラメンコの資格取得。エル・グイトらのカンパニーで活躍。また2007年コルドバのコンクール、2008年ラ・ウニオンのコンクールで優勝している実力派。コルドバもウニオンも見てたけど、その頃の彼の踊りといえば弾丸サパテアードで床を抜きそうな勢いで、男っぽいというか、うわっと圧倒はされるけど、感動するような感じじゃなかったように記憶している。


それが2022年ヘレスのフェスティバルで『フラメンコ。エスパシオ・クレアティーボ』を見てびっくりした。形の美しさ。踊りをガンガン詰め込むのではなくちゃんと間合いを取ってガンガンいくところと余韻があるところのバランスが絶妙。そして回転!こんな綺麗な回転、ニュアンスつけてやる人だって全然知らなかった。

セビージャにいるとマドリーの人の踊りを見る機会はあまりないというのもあるけど(調べたら私はヘレスで何度か見てたけど)いやいや、大変身!と私には見えました。ラファエル・エステベスとナニ、バレリアーノ・パーニョスがアーティスティックディレクターとして関わったのも大きかったかもしれない。その次の作品『アルテルエゴ』はラファ、ナニなしで、でも前作の流れを引き継いでさらにステップアップしたような作品で、またまた感動。

というわけでこの日もどんな公演になるのか楽しみしかなかったんだけど、いやあ、ようございました。

ティエントス、タンゴ、ブレリアそしてソレア。サンドラ・カラスコの歌がいい。いや、声が少し低くなった?で、思わずプログラムを見返したり。ソロで歌ったファンダンゴも女パコ・トロンホ、ってくらいによかった。歌う人が歌えばファンダンゴもこんだけ深く、フラメンコになるんだなあ、って思ったくらい。

で、アルフォンソ。形がきれい。伝統のフラメンコの形。いろんな先人たちの姿が重なる。そこで繰り出されるパズルのような、超スピードの複雑なサパテアード。回転。

最初のシーンのTシャツのせいも合ってか、なんだかバレエのバリシニコフみたいで、フラメンコのミーシャだ!と思ったり。

歌には絶対足入れない。レマタールするだけ、ってほんと基本なんだけど、そうじゃないひともいるから、こういう踊りを見ると気持ちいいし、満足満足。

最後のソレアの終わり方に至るまで、洗練された深みと重みのあるフラメンコがぎっしりつまってて、気持ちよく家路を辿ることができました。

いやあ、機会があったら絶対見てください。すごいから。