2009年8月31日月曜日

第1回グラナダ振り付けコンクール

グラナダのフェスティバル・デ・オトーニョ、秋のフェスティバルで今年初めて、
フラメンコとスペイン舞踊の振り付けコンクールが開催されます。
今年で10回目を迎える、秋のフェスティバル、ですが、
秋といいつつ、12月3日から7日までの開催。もう冬だと思うんですけど???
フェスティバルの方には、ホセ・エル・フランセス、モンセ・コルテス、チョンチ・エレディア、ラ・モネータ、ラケル・エレディアらが出演。
一方、コンクールの方はグラナダ出身のバイラオール、フアン・アンドレス・マジャが総指揮をとっています。

応募要項はここにありますが、
応募資格は16歳から30歳までのアンダルシア在住者、ということなので、
日本人でもセビージャやグラナダに住んでいる人は応募可能ですね。
優勝者には1200ユーロの賞金。また最優秀舞踊家にも600ユーロの賞金がでるそうですが、
それだけではなく、フェスティバル最終日のベレン・マジャの公演に出演できるそう。
応募締め切りは11月1日。まずはビデオ審査で決勝進出者を決めるそうです。
アンダルシアでははじめての振り付けコンクール、有望な若手がでてくるのでしょうか?

2009年8月28日金曜日

ドランテス マドリード公演

何度かの来日で日本でもおなじみのフラメンコ・ピアニスト、ドランテス。
その彼が9月9日から30日まで、マドリードのモニュメンタル劇場で初の! 長期公演にいどみます。
タイトルは「コンビベンシア」
ともに生きる、共同生活、といった意味ですが、その名の通り、
彼の伯父のベテラン・カンタオール、レブリハーノをはじめ、
兄でギタリストのペドロ・マリア・ペーニャ、
今最もフラメンカなバイラオーラ、パストーラ・ガルバン、
ホルヘ・パルド+カルラス・ベナベン+ティノ・ディ・ジェラルドというジャズ/フラメンコのトリオ、
フラメンコ・ポップな歌手、ローレ・イ・マヌエルの愛娘アルバ・モリーナ、
そしてアンダルシア交響楽団というクラシックばりばりのメンバーで、
ひとところにとどまらない、ドランテスの世界をみせてくれるということです。
うーん、これは楽しみ!

2009年8月26日水曜日

今週末、セビージャ郊外のトマーレスで第34回シウダ・デ・トマーレス フラメンコ祭が開催されます。
左のポスターにあるように、出演はカンテに、ファンダンゴで人気のエル・カブレーロ、今最も人気のあるカンタオール、ミゲル・ポベーダ、カディスのあかるいおばちゃんカンタオーラ、マリアナ・コルネホ、ラ・ウニオンで優勝したことのあるミゲル・デ・テナ、そして踊りにはベテラン、ラ・デブラと若手のローラ・ハラミージョという、なかなかバラエティにとんだメンバーです。

トマーレスはセビージャのベッドタウンのひとつで、 バスがプラサ・デ・アルマスのバスターミナルから出ています。ただはじまるのが22時なので、終わるころには終バスはないかな。でもタクシーよんでセビージャまで帰ってもそれほど高くないと思いますよん。20ユーロするか、しないか。

夏のフェスティバルは、野外で、バルもあって、とても気持ちがいいのだけど、行き帰りの足には不自由しますね。

2009年8月24日月曜日

カルロス・サウラのフラメンコ・オイ

最終日にようやく観て来ました!
会場はマドリード、王宮の下、カサ・デ・カンポの入り口あたりの特設会場です。
ちょっと不便な場所にあるせいか、8月夏休みでマドリードに人が少ないせいか、客席は空席が目立ちます。

で、作品。
映画「セビジャーナス」で歌われていたセビジャーナス・ビブリカスやコラレーラスをつかったセビジャーナスの場面や、稽古場でのシーンという構成のボッケリーニのファンダンゴなど、ラファエル・エステベス/ナニ・パーニョス振り付けの群舞はすばらしかったし、へスース・メンデスのシギリージャやダビ・パロマールのトナーなどカンテにも見せ場がありました。パストーラ・ガルバンとロシオ・モリーナ、今をときめく二大若手バイラオーラもさすがの踊りっぷりでございます。パストーラは最新作「パストーラ」幕開きのタンゴ。ロシオ・モリーナも最新作「オロ・ビエホ」のグアヒーラ。だったのですが、オリジナルの伴奏メンバーとくらべるとやっぱバックがちょっとものたりないかな。。。またコンチャ・ハレーニョの優雅さやラウラ・ロサレンの女性らしい美しい腕の動きにも魅了されたのですが、衣装がいまいち舞踊向きではない、というのか、バタ・デ・コーラの布にはりがなく、せっかくのバタがいきてこなかったり、ホタ風の振付けを腰下まで少しぴったりめのスカートで踊るので窮屈そうだったり、というのも不満でございます。衣装と姿勢にはちょっとうるさいんですよ、私。
すごくすてきな場面もたくさんあるのだけど、物語があるわけでもないし、全体をとおしてのコンセプトとか、流れとかがまったくみえてこないので、なんかちょっととっちらかった印象なのは残念でしたが、観客はスタンディングオーベーションでこたえていました。
正直いって休憩なし2時間は長かったですが、まずは成功ということでしょうか。

2009年8月23日日曜日

カルロス・サウラのフラメンコ・オイ

木曜、マドリードで初演となったカルロス・サウラの「フラメンコ・オイ」

パストーラ・ガルバンとロシオ・モリーナという、二人の今一番旬なバイラオーラをはじめ
ラファエル・エステベスとナニ・パーニョスの振付けによる群舞、
歌にヘスース・メンデス、ダビ・パロマール、ギターにアントニオ・レイと、
若手ぞろい。

新聞評はかなり厳しかったようですが、フラメンコ専門ウエブの評はわりとよいので
さて、という感じ。
上演時間2時間っていうのがネックなのかな。
明日私もみにいってきますので、あさってにはご報告できることと思います。

なお、映画版の方にはロシオ・モリーナらのほか、ミゲル・ポベーダも出演だそうです!
こちらも楽しみ!

2009年8月19日水曜日

17歳のパーカッショニスト


なんかいつまでも先週のラ・ウニオンをひきずっているようですが、
コンクールではもうひとつうれしい出会いがありました。

写真のイグナシオ君、通称ナチョ。
今年からはじまったその他楽器のコンクールで優勝したボルハ・エボラの伴奏者の一人として舞台に立ちました。
まだ弱冠17歳。
こどものときからカホンが好きで、サンルーカルで名手、セピージョについて勉強を重ねています。
今回もセピージョとともにやってきました。
なかなかの腕前です。

で、実は日本には、こどもの彼のことを知っている人がたくさんいるはず。
実は、彼のお父さんは日本で活躍した歌い手で。お母さんは日本人の踊り手さん、なんです。
え、もうこんなに大きくなったの? ってびっくりする人も多いのでは?

ラジートにつづき、日本人の血もひく、スペイン人フラメンコ・アーティストが誕生?
将来が楽しみです。

2009年8月18日火曜日

ヘレスのブレリア祭り


フラメンコ・ファン待望の、ヘレスのフラメンコ・フェスティバル、
第42回フィエスタ・デ・ブレリアのプログラムが発表されました。
9月5日土曜日、22時開演。会場はいつものようにヘレスの闘牛場でございます。
今年は亡くなったヘレスの名ギタリスト、パリージャ・デ・ヘレスに捧げられ、
第一部がパリージャ家の人々によるコンサート、第二部がファルーのバイレ、第三部がヘレスのコンパスの魔術師、ディエゴ・カラスコという構成。
これは楽しみ!

なお出演者詳細は下記の通りでございます。


第1部 ファミリア・パリージャ
〈c〉ロシオ・パリージャ、マレーな・パリージャ、サンドラ・リンコン、グレゴリオ・パリージャ、〈g〉フアン・パリージャ(亡くなったパリージャの兄)、マヌエル・パリージャ(フアンの長男)、〈violin〉ベルナルド・パリージャ、〈flauta〉フアン・パリージャ、〈perc〉ルイス・デ・ペリキン、〈palmas〉グレゴリオ、マルコス

第2部 エル・ファルー
〈b〉ファルー、〈g〉シモン・ロマン、アントニオ・ビジャール、ペドロ・グラナイーノ、〈g〉ヘスーリ、アントニオ・レイ、〈perc〉イシドロ・スアレス、〈violin〉ベルナルド・パリージャ

第3部ディエゴ・カラスコ
〈c、g〉ディエゴ・カラスコ、〈ゲスト・アーティスト〉レメディオス・アマジャ、ジュニオ、ダビ・デ・マリア、ティオ・ディエゴ・パントーハ、〈g〉クーロ・デ・ナバヒータ、フェルナンド・カラスコ、〈perc.palmas〉フアン・グランデ、アネ・カラスコ、マロコ、ルイス・カラスコ、〈コーラス、パルマ〉カルメン&ホアキナ・アマジャ“ラス・ペリグロ”

ちなみにディエゴ・カラスコと共演のジュニオはトリアーナ生まれのヒップホップ系の、ダビ・デ・マリアはポップ系のどちらも人気歌手。どんな舞台をみせてくれるのか楽しみです。

イサベル・バジョンの韓国公演

最近、日本ではスペイン人のフラメンコ公演が少ないな、と思ってた方も多いかと存じますが
9月にはマヌエラ・カラスコ10月にはエバ・ジェルバブエナとようやく来日公演が続く秋が目前ですが、お隣韓国でもフラメンコ公演が行われます。

ソウルで行われるダンス・フェスティバル、 Sidanceに イサベル・バジョンが作品「プエルタ・アビエルタ」で参加するのです。
公演は
10月20日、21日の両日で、開演はいずれも20時.入場券は70万ウォン、50万ウォン、30万ウォンの3種類 です。8月中の購入は30%引きだそうです。

エバと公演日程が重なっているのが残念ですが、エバをみたあとはソウルへ飛んでイサベルを観る、というのもいいかもしれません。
で、ついでに韓国グルメとエステを楽しみ。。。って一番行きたいのは実は自分だったりする…。

ちなみにこの情報をくれたのはかつてイサベルとアンヘル・アティエンサのフラメンコ・スタジオ、ア・ドスでセクレタリーをしていた韓国人バイラオーラのサラさん。彼女によると日本に比べるとまだまだだけど、韓国にももちろんアフィシオナードはいるんですよ〜

2009年8月17日月曜日

井上圭子さんのこと

ラ・ウニオンのコンクール決勝での井上圭子さん、ほんとうによかったんです。

課題曲のタラント。準決勝のときは髪もほどき、野性的に男性的な振り付けを踊っているという感じだったのが、決勝では同じ振り付けにもかかわらず、女性的な腕の動きなどをいかし、優雅さがでていました。きちんと勉強してきているからなのでしょう、正しい姿勢でテクニックもしっかりしていることもアピールできていたのではないかと思います。
しっかり落ち着いた踊りっぷりで、舞台度胸も感じられました。
表情もずっと美しく、どきどきするほど色っぽく、またドラマチックでした。
“思い”が、魂がこもったタラント、といってもいいでしょう。
たった二日間で、同じ振り付けが、細部を少し変えたとはいえ、こんなにも変わってくるものなのでしょうか。満員の観客を前に一人で大舞台をつとめたことで確実に階段を上ったように思います。

自由曲のソレアは水色のバタ・デ・コーラで。
バタの先まで神経をつかった、というよりも、愛情をこめたバタさばきはたいへん美しく、なんとも底力を感じさせる踊りでありました。

結果的に入賞することはできませんでしたが、それでも彼女はラ・ウニオンでたしかなものをつかんで帰っていったと思います。

そして彼女が、毎日の練習と努力でつちかった実力で、スペインでも権威あるものとされるコンクールの決勝まで進み、またそれにふさわしいと多くのスペイン人たちから言われる舞踊を披露したことは、同じ国に生まれたアフィシオナーダである私にとっても誇りに思います。

うん、日本にはきっと彼女のようにフラメンコが好きで、一生懸命練習を重ね、実力がある人がたくさんいるのだろうな。私が知らないだけで。
ふだん華やかなスポットライトをあびることのない、日本中のバイラオーラ、バイラオールたちに心からの拍手をおくりたいと思います。






ラ・ウニオン カンテ・デ・ラス・ミーナス祭


ふたたびバスで8時間かけてセビージャの自宅まで帰って参りました。
へとへとでございます。
ラ・ウニオンは遠い。でもだからこそどこか現実離れした感じで、フラメンコ三昧ができるのかもしれません。

ほーんとスペイン各地からアフィシオナードたちが集まってくるのですよん。
毎年会う人たちもそれぞれバルセロナからだったり、マドリードからだったり、バジャドリードからだったり。それに加えて地元のアフィシオナードたちや、これもスペイン中だけでなくフランスやドイツなどからもやってくる写真家や記者のプレスの仲間たち。
毎年行き続けていると顔見知りも増え、1年ごとの再会に、あちこちで盛り上がっています。

ラ・ウニオンのフェスティバルがほかの、ビエナルやヘレスなどのフェスティバルとはひと味違います。
町が小さいせいもあるのでしょうか、メイン通りの商店はこぞってフラメンコにちなんだかざりつけのショーウィンドーをみせます。フリルや水玉をつかったり、ギターをつかったり、という簡単でシンプルなものがほとんどなのですが、みていて楽しいことにはかわりありません。お祭り気分が高まります。

そのメイン通りから会場までの広い道には鉱山にちなんだオブジェが飾られていたり、噴水があったりするのですが、フェスティバル期間中だけはこの道の両側には州や市の観光案内所や、CDや本、フラメンコグッズ、カホン、フラメンコを題材にした絵画や彫刻などの仮設ショップがならびます。
そして会場に一番近いところにはこれもまた、仮設のバルが何件か。それぞれにテラス席を設け、にぎわっています。また夜更かしにつきもののチューロの屋台も。
このバルのテラスには観客たちはもちろん。出演者もプレスも主催者もみんながやってきて一杯のんだり、タパで腹ごしらえをしたり、と、いつ行ってもにぎわっています。
憧れのアルティスタに会って、写真やサインをねだり、それにていねいにこたえていることもあれば、アフィシオナードたちが低い声で歌って、議論をたたかわせていることも。
地元のフラメンコ好きがやってきてルンバなどをさんざん歌っていくこともあります。
テラスに座ってぼんやり行き交う人を眺めているだけでも面白いかもしれません。
開演前も終演後もいつもにぎわっているこのテラスでありますが、開演中でも人がたえないところをみると、地元の人がお祭り気分をあじわいにきたりもしているのかもしれません。


と、昨日までそこに私がいた、あの風景を思い出しているのですが、今となると、なんだか夢のようにも思えてきます。
ほんとうにあの町があるのでしょうか。

2009年8月16日日曜日

ラ・ウニオン コンクール速報

朝5時過ぎからはじまった結果発表。
残念ながら井上圭子さんは賞を逃しましたが、課題曲のタラント、自由曲のソレアともにすばらしい出来でした。

カンテの最高賞、ランパラ・ミネーラ賞はコルドバのチュルンバケに
ギター部門は昨年の2位、ホセ・アンドレス・コルテス
舞踊部門はセビージャのアナ・モラーレス
その他楽器部門はピアノのボルハ・エボラ
が受賞しました。

丹羽暁子さんのこと


昨年の井上圭子さんに引き続き
今年もラ・ウニオンのコンクール、舞踊部門の準決勝に
小松原庸子舞踊団の丹羽暁子さんが出場しました

このカンテ・デ・ラス・ミーナス国際フェスティバルのコンクール、
国籍等の制限は全くありません。
舞踊部門はタラントが課題曲。
そのほかに1曲、 そして決勝に進んだ場合は準決勝で踊った曲とは別の曲を踊らなくてはなりません。
つまり3曲、準備するわけですね。

今年は日本からの数人のほか、
ドイツ、メキシコ、フランス、カナダからも応募があったそうです。
3月末までに規定に従って申し込み
5月から7月の間にスペイン各地で行われる予選に出場します。
それを勝ち抜いた人だけが、
8月、ムルシアのラ・ウニオンで行われる準決勝に出場できるのです。
今年、コンクールに応募したのは143人。
その中から33人のみが準決勝にすすみました。
舞踊部門はわずか7人。
その一人に残ったというだけでもすばらしいことです。
決勝に残ることは叶いませんでしたが、
私にとっては決勝に残った二人に勝るとも劣らない、
素晴らしい舞踊だったと思います。
そしてそれは何も私一人の感想ではなく、
スペイン人でも彼女が決勝に残ってもおかしくない、と言っていた人がありました。

コンクール初日、舞踊部門のトップバッターとして出場した丹羽さん。
そのタラント。
タラントはソブリオ、地味な、まじめな感じの曲なので
衣装も茶色とか、暗めの色が多くつかわれ、
また鉱山=山のイメージからか、山風、田舎風のデザインだったりすることが多いので
華やかな衣装にちょっとびっくり。
振付け自体も洗練された、現代風のコンセプトのタラントなので
うん、こういうのもありだな、と納得。

技術もありフラメンコ性もあり、決勝進出できなかったのは残念だけど本当に素晴らしい演技でした。

2009年8月15日土曜日

井上圭子さん ラ・ウニオン決勝進出!


井上圭子さんがラ・ウニオンのコンクールの決勝に進出しました!

三日間の準決勝の結果が昨夜遅く、4時くらいにでたのですが、発表が今送られてきました。
井上圭子さん、渾身のタラントが決勝に進出となりました。

6人の候補者から通常二人が決勝に進出するのですが、今回は3人です。
ほかはセビージャのアナ・モラーレスとウエルバの18歳、マリア・カネアです。
先日の準決勝では後半の出演でしたが,今回は前半の出場となります。

なお、そのほかはギター部門が2人、楽器部門がピアノの2人、
そしてカンテに12人。。。
終わるのは朝になりそうです。
結果はまたお伝えしますね!

2009年8月14日金曜日

速報!井上圭子さんのラ・ウニオン

ラ・ウニオンのコンクール2日目。
井上圭子さんが出場しました!
課題曲のタラントは、ラファエル・デ・カルメンが自分が賞を取ったときの振り付けそのまま。椅子に座ってはじまるドラマチックなものでした。
自由曲は華やかな深紅のバタ・デ・コーラでのアレグリアス。
会場のさかんな拍手をうけていました。

舞踊部門は6人の準決勝進出者から2人が決勝にのこります。
準決勝の結果は今夜、準決勝3日目が終わった時点での発表になります。

2009年8月12日水曜日

カルタヘーナは遠い ビセンテ・アミーゴの夜


朝6時半起床。7時過ぎに家をでて8時のバスに乗り、16時過ぎ、ようやくカルタヘーナに着きました。カルタヘーナは遠い!

折から開催中のラ・ウニオンのカンテ・デ・ラス・ミーナス祭に遅まきながらやってきたというわけです。
遅まきながら、というのは、すでにフェスティバルは5日からはじまっていて私の到着は1週間遅れだから。
このフェスティバルについては以前ご紹介しましたが、歴史もあり、ビエナルやスーマ・フラメンカ、ヘレスのフェスティバルらほどではないにせよ、規模も比較的大きく、またスペイン国内のマスコミに取り上げられることも多い、たぶんスペインで最も有名なフラメンコ祭です。近隣はもちろん、このフェスティバルをめざしてスペイン各地や外国からもお客さんがやってきています。
フェスティバルが開催されるのはムルシアのラ・ウニオン。
カルタヘーナから車で15分ほどの小さな町です。
その昔、鉱山の町として栄え、カフェ・カンタンテも数件あったそうですが、鉱山の閉山とともにさびれてしまったのですが、このフェスティバルは町おこしにもなっているのでしょうね。

さて、夜。公演は22時45分から。日本的感覚からするとえ?ってなくらいに遅いですが、
21時に夕焼けなスペイン的には普通。
ちなみに普通の劇場公演だと20時から21時くらいの間にはじまることが多いですが、
これは野外公演ではないにしろ、夏のフェスティバル、ということで開演時間が遅いのでしょうね。
会場前には屋台バルがテントをはり、フラメンコ関係のCDや絵画、などのショップも店開き。
会場はカテドラ・デル・カンテ、カンテの殿堂という名前ですが、もともとは市場だったそうで、最初に私がきた20年前は音響は悪く、蒸し暑かったのですが、大工事をして今や音響もよくなり、冷房も完備しています。

さて公演。
新譜発表後のビセンテのリサイタルはわたしにとってはじめてだったので期待は高まります。
最初はソロで、ビセンテらしい美しいソレア。
これまでのCDできいてきたソレアが混在するような感じです。

CDで、曲としても演奏としても完成されたものを聴くのも楽しいですが、ライブで、その曲にほかのCDの同じ曲種のメロディやまったく新しいメロディが加わったり、同じメロディでもアクセントのつけかたが微妙に変わったりしているのを聴くのはもっと楽しいと思いません?
ライブはいきもの。同じ曲を同じように演奏しているはずでも、その公演ごとにちがってきこえてきます。アルティスタの調子の良い悪いもあるでしょう。また聴くこちらの状態も大きく影響してきます。

次はファンダンゴ・デ・ウエルバ。 その昔スペイン国立バレエ団も振りつけた「メンサヘ」。
新譜を発売したからといって新譜 からの曲ばかりにならないところがまるですね。
ここでグループが登場。
デビューから共演を続けている第2ギターのホセ・マヌエル・イエロとパーカッションのパトリシオ・カマラに加えて、ラファエル・デ・ウトレーラとミゲル・オルテガという二人のカンタオール、パーカッションのパキート・ゴンサレス、バイオリンのアレシス・レフェブレ、ベースのフアン・マヌエル・ルイスという7人のミュージシャンが、ビセンテの世界を彩ります。
ラファエル、ミゲルともに女性と同じくらいに高いキーですが、声の質がちがうのでそれぞれに魅力的にきかせてくれました。

前作「ウン・モメント・デ・ソニード」のタンゴやタラント(哀しみをたたえた私の大好きな曲)ときてようやく新譜のテーマに。
親しみやすいメロディが、ビセンテの美しい音色にのってやってくる。
それを支えるグループの演奏も息が合っていて、抜群の一体感.

会場は総立ちで今年のフェスティバルの主役をおくったのでした









2009年8月11日火曜日

フラメンコのメッカでフラメンコをみる その2




「今日、昼間会ったときに、この学校で歌うのは50年ぶりだ、といってました」
とのアグスティンの紹介で舞台に登場したエンリケ・ソト。
「いつもこの学校のフィン・デ・クルソ(学年末に行う学芸会)で弟ビセンテと歌ってました。
またここで歌うとは…」
とあいさつしてから歌いはじめたエンリケ。
伴奏はマヌエル・モラオの孫、ペペ・デル・モラオ。ギターを慈しむように寄り添ってファルセータを弾き始める。カンテ・デ・レバンテ。
エンリケはヘレスはここ、サンティアゴ街の生まれ。父はマヌエル・ソト“ソルデーラ”。
弟に歌い手のビセンテ・ソト、パルメーロのボー、元ケタマのホセリート・ソトがいる。
父と、家族とともにタブラオなどでの仕事のためマドリードに移り、そこでアルティスタとしてのキャリアをはじめた。現在は元踊り手だった妻の故郷であるセビージャ在住。
エバ・ジェルバブエナらへの伴唱でおなじみだ。
「カディスへ行こう!」
との声ではじまった、アレグリアス。舞踊伴唱で鍛えたコンパスは鉄壁。自然にカンティーニャへと続く。
舞台横にはいつのまに来たのかモライートが、エンリケの末弟、ホセリート・ソトと座って舞台をみつめている。

公演している間はバルもお休み。ほとんどのこどもたちも静かに舞台に見入っている。
ソレア。
ヘレスらしい深みをもって胸にせまってくる。ペペはふだんからエンリケの伴奏をしているわけではないが、そこは同じヘレスのヒターノ。あうんの呼吸できまる。
最後はもちろんブレリア。弟ボーがカンタローテのファミリーと舞台に上がりパルマをつとめる。
最前列にいたこどもが踊りはじめる。パルマこそたたかないものの、あちらこちらのヒターノからだがコンパスにゆれている。さすがフラメンコのメッカ。
アルティスタに敬意を表し、舞台の邪魔は決してしないが、コンパスのうねりに身を任せ、心から楽しんでいる。

これでおしまい、と思ったら最初のペーニャのグループが再び舞台に上がり、ブレリアがはじまる。
女たちもこどもたちも舞台に上がる。歌をききつつウナ・パタイータ。
ちょっとてれて、小さく小さく、踊っている男の子。が、コンパスははずさない。
堂々と踊った6歳くらいの女の子。が、この夜、一番のブレリアはまだ2歳だという女の子。
タン、タタタン。スカートをちょっとつまんでほんの少し腰や腕を動かすだけなのだがこれがまたなんともフラメンコなのだ。
こどもたちのフラメンコはいつ観ても楽しいけどときにはやりすぎ、というのか、受け狙いというのか、ちょっと痛々しい思いをすることがある。が、この子たちのブレリアは、こどもたち自身が楽しいから踊っている、というブレリア。無比のコンパスに乗って、ちょいちょいと、足をふんで、ひっこんでいく。生活の中にフラメンコが息づいているヘレスならではのブレリアだ。きっとこの子は大人になっても、結婚式や洗礼のフィエスタで、パルマにのってちょこちょこっとブレリアを踊っていることだろう。

ヘレスはやっぱフラメンコメッカ。あのパルマにこの観客。
フラメンコをまったく知らない人があの場にいたとしても私と同じように、いやひょっとすると私以上に楽しんだことだろう。
ヘレスのサンティアゴ街にはまだ、空気のように取り立てて意識もしない自然なフラメンコが残っている。
フラメンコを愛するものにとっての極楽、それがヘレスなのかもしれない。

2009年8月9日日曜日

フラメンコのメッカでフラメンコをみる その1


いやー楽しゅうございました。
昨晩はともだちとヘレスはサンティアゴ街のペーニャ、ルイス・デ・ラ・ピカ主催の
フラメンコ公演シリーズ「ノーチェス・デ・コリント」のエンリケ・ソトのリサイタルへと
でかけてきたのですが、いやーこれがほんと文句なく楽しかったんですよ、これが。

開演予定は22時半ときいていたのでそれにあわせてでかけたのですが
22時過ぎでもまだ会場はがらーん。。。あ、この会場というのが、サンティアゴ街のまんなかにある元小学校。その校庭に仮設舞台がもうけられて、椅子が並んでいるわけですね。

ん?と思いつつもバルコーナーへ。
はい。夏の夜のフラメンコはやっぱり一杯やらないと。
ビール1杯1ユーロとめちゃ良心的なお値段。
おつまみは魚の唐揚げ。イカとアドボ(鮫とか白身の魚をころころっと切ってお酢で下味をつけあげたもの。アンダルシアの揚げ魚やサン、フレイドゥリアの定番。おいしいよん。いわしでやってもうまいです。)がたっぷり盛り合わせられて6ユーロ。うまいっ。

ふとみると、カウンターの中にヘレスの歌い手、エル・キニ。モンタイート(小さめのパンのサンドイッチ)をほおばっている。
え?なに、今日はカマレーロ(ウエイター)なの?、ときくと笑顔で
「いや歌うんだよ」
リサイタルの前にペーニャのメンバーが歌うんだそうだ。
ペーニャのメンバーというと普通はアマチュアが多いのだがこのペーニャのメンバーは
アルティスタの家族でこどものころからフラメンコに親しんだ者ばかりで、
アルティスタとして活躍している人が多いのですね。
サンティアゴ街の若手フラメンコ・アルティスタのほとんどがこのペーニャの会員といってもいいくらい。うーん期待倍増。
魚をつまみにビールを飲んでいるとちらほら知った顔がやってくる。
昔、長嶺ヤス子さんの公演で日本に行ったこともあるという歌い手のペペ・デ・ラ・ホアキーナ。孫娘に鼻の下をのばしている。
白いシャツに黒いネクタイできめているのはパーカッショニストのルイス・カラス
ギタリスト、ペリキンことニーニョ・ヘロの末っ子で私はこどもの頃から知っている。フェリアでカセータの仕事のあるペリキンに代わって遊園地へ連れて行ったこともあるという。。。今やレメディオス・アマジャの娘サマラと結婚して一児の父。私が年をとるわけだ。。。
バルのキッチンから顔をだしたのはその兄ノノ。ひょろっと背の高い彼もルイス同様、ペーニャのメンバー。歌も歌うしギターも弾くが今日はキッチンで活躍中。
ひょっこりやってきたのは、彼らよりも少し若いマルーコ。ふだんは地元のタブラオで歌う歌い手だが、今日は休みとか。
彼の父はパルメーロのボー。つまりソルデーラの孫、今夜の主役エンリケの甥である。
ついでにいえば母の兄がディエゴ・カラスコという、血統書付きのフラメンコだ。
映画「フラメンコ」のファーストシーンにもちらっと登場している。あのときは5歳くらいだったのかな。
サンティアゴのバル、アルコ・デ・サンティアゴの主人アグスティンも白地に刺繍のシャツでばっちり決めている。
「いや、司会をしなくちゃ、なんだよ」

23時。ようやく人が集まって来たので席を探す。そこでラ・ベンタに遭遇。その昔、「メ・ドゥエレ・コラソン・デ・ケレール・タント」というルンバでヒットを飛ばした歌い手。
昔彼女とレメディオス・アマジャとエンリケ・ソトと、スペイン版お盆みたいな死者の日になーんにもない野原でフィエスタしたよねえ、と懐かしく話す。
その隣には彼女の妹でディエゴ・カラスコの奥さん、マヌエラ。
ふとみるとむこうにはモライートの奥さんフアナの顔も。
フラメンコの世界はまだまだ男尊女卑、ではないけれど、男性が圧倒的に多い。
で、たいていは奥さんは家で留守番というか家事に忙しくあま出歩かない、というのが定番なんだけど、こういう地域の催しには皆おしゃれをしてやってくるんですね。
ヒターナたちのおしゃれをみているだけで楽しい。
一言でいえば派手、なんです。それもにぎやかな感じ。
ミニマリズムとか、シックとかでは決してない華やかさ。
原色が褐色の肌によく似合う、っていうのもあるかもしれない。
体型に関係なく身体のラインを強調した、いわゆるイケイケのボディコン(死語)が多いのは女性らしさを強調するためかな。そ、体型にNGはない。太っていても魅力的なグアパが多いのがすばらしい。。。とスペインで20キロ太った私は感じ入るのでありました。
そのヒターナたちはたいてい、こども連れ、孫連れでやってきている、というのも楽しい。
地域のお祭り、的感覚なんですね。お子たちもそれぞれにおしゃれ。
細かい花柄のワンピースにサテンのリボン、50年代?っていうようなクラシックなファッションの子もいれば、イケイケのおかーさん好みか、太いベルトでばっちり決めたラメの入ったズックの女の子も。男の子たちも髪の毛をぴんぴん立てた今風の子もいれば、七三になでつけた髪にポロシャツという優等生風ファッションも。
そのこどもたちが会場中を走り回っている。なんとも幸福な風景だ。
ヒターノたちにまじって、フラメンコ留学生らしき外国人もちらほら。
またフラメンコ好きなヒターノでないスペイン人たちも。
この場では、人種も、世代も、男女の差もなーんにも関係ない。
ただ、夏の一夜をフラメンコで楽しく過ごしたいだけ。
これってひょっとするとパライソ、極楽かもしれない。
いや、フラメンコ好きにとっては天国に違いない。

23時半。アグスティンの紹介でようやくはじまったコンサート。
さっきバルにいたエル・キニのブレリアが幕開け。
舞台にずらっと並んだ中にはキニやマルーコ、その父ボーのように昔からの知り合いもいれば、顔だけ知ってる人も、知らない顔も。が、そのパルマは天下無敵。
ヘレスのパルマは歩くように自然なリズム。緊張感に満ちたマドリードのそれとは一線を画す。ヘレスのパルメーロはたいてい、膝を軽く曲げて、足でアクセントをとりながらパルマをたたく。実際に足踏みするように両足でリズムをとることもある。呼吸のように、超ナチュラルなリズムはこうして生み出されているのだ。本人たちにはその自覚はないかもだけど。
エル・キニが歌って踊ってきめるとお次はマルーコ。ケタマ風のタンゴをやさしく歌う。
続いてマヌエル・デ・チョチェーテ。こどもの頃テレビのスター誕生的番組に出演していた彼も今や少年。まだ若いのにヘレスのおやじ風のパソできめるのがまたうれしい。
バルでときたまみかける青年が、なんともいえないフラメンコなしゃがれ声でブレリアをちょっときめれば、黄色のぴたっとしたジーンズに黒シャツの胸を大きくはだけ、髪はぴんぴんに立てた一目をひく出で立ちの青年がブレリアをうたいはじめる。おどけた歌詞に場内がわく。あとできいたらフェルナンド・デ・ラ・モレーナの息子、フアンとのこと。なるほど、父の得意の歌詞もでてくるわけだ。
フィン・デ・フィエスタはボーとパーカッション奏者でもあるフアニート・グランデがみごとなパタイータ、一振りを決める。男ばかりで色気はないが、それもまた楽しい。

いつのまにかパティオは満員。そんな中でもあちこち知った顔がみえる。
休憩時間にはミゲル・ポベーダのパルメーロでホアキン・グリロの弟、カルロス・グリロルイス・カンタローテ、アントニオ・ガデス舞踊団の歌い手フアニャーレス、エンリケ・ソトのすぐ下の弟でマドリード在住の歌い手ビセンテ・ソト、歌い手カプージョのギタリストで、さっき会ったルイス・カラスコやノノの兄、マヌエル・ヘロなどに挨拶しながらバル・コーナーでビール。一息つくといよいよエンリケのリサイタルだ。(この項続く)





2009年8月8日土曜日

マドリード ララ劇場のフラメンコ

マドリードの夏はフラメンコ公演がめじろおしという話を前にかきましたが
もうひとつありました。
ララ劇場のフラメンコ公演でございます。

プログラムは以下の通り。すべて21時開演です。
13日(木)〈c〉セリア・フローレス(アントニオ・ガデスの娘でルンバ系のCDをだしてます)
14日(金)〈piano〉ラウラ・デ・ロス・アンヘレス
17日(月)〈c〉アウロラ(その昔、「ベソス・デ・カラメロ」というヒット曲だしました)
18日(火)〈b〉ミゲル・カーニャス(エル・フラメンコにもきてましたね。カナーレス門下)
19日(水)〈g〉ラファエル・リケーニ(トリアーナ出身の天才ギタリスト)
20日(木)21日(金)〈b〉マリア・カラスコ舞踊団「フラメンコ・リブレ」
22日(土)〈c〉モンセ・コルテス
24日(月)〈c〉マリア・バルガス(パコ・デ・ルシア伴奏での録音もあるベテランカンタオーラ)
25日(火)〈c〉エンリケ・ベルムデス“エル・ピクラベ”(注目の若手カンタオール)
29日(土)パタ・ネグラ(ご存知セビージャのフラメンコロック。ラファエル・アマドール)

こうみてくると個人的にひかれるのはリケーニとパタ・ネグラかな。
どちらも久しぶりの登場なんでみてみたい気が。。。

2009年8月6日木曜日

エバ・ジェルバブエナのクルシージョ

エバ・ジェルバブエナといえば現代フラメンコを代表するアーティスト。
この秋の日本公演も楽しみです。

がそれにさきがけ9月7日から13日までセビージャのドス・エルマナスでセミナーが開催されます。
ドス・エルマナスはセビージャからバスで20分くらいの町。電車だと15分ほどです。
ここの市立フアン・ロドリゲス・ロメーロ劇場で午前、午後とみっちり開催されます。
このセミナーがふつうのクルシージョとちがうのは講義。
フラメンコ作品制作の実際をまなぶため、エバの作品の制作にたずさわる演出家や照明デザイナー、衣装デザイナーなどがやってきて、どのようにして作品をつくるのか、を学ぶわけなのです。
実際のプログラムは、といいますと、
午前中は月曜から日曜までの7日間、10時から2時間舞踊のクラス。身体のつかいかたやテクニックをソレア、シギリージャ、アレグリアス、タンゴ、ブレリアといったフラメンコ曲への振付けを通して学んでいきます。
午後は18時から1時間専門家による講義のあと、エバも話に加わって演習で終了は21時。
講義は
月曜に演出家がアイデアを実際にどう構成して作品にするかを話し、
火曜は舞台美術家と照明デザイナーが登場
水曜は衣装デザイナー3人がやってきて
木曜はギタリスト、パコ・ハラーナがギターについて
金曜は歌い手、セグンド・ファルコンが舞踊とカンテについて話し、
土曜はエバがフラメンコの表現力について話します。
そして日曜の午前の舞踊のクラスで終了。

もうしこみはこちらから。
講義はすべてスペイン語ですので、そちらの方の実力も必要ですね。。。
興味のある人はといあわせてみてください。
私も午後のクラスをのぞきにいきたいかも。。。

2009年8月5日水曜日

ヘレス 夏の夜のフラメンコ映画とペーニャ

なんかまたヘレス?
といわれそうですが、昨日からヘレスのアンダルシア・フラメンコ・センターでフラメンコ映画の上映会がはじまりました。8月中の毎週火曜、22時からの上映です。
今年はドキュメンタリー
(そう、これがDVDとして購入できるのはなんと日本だけ、なのです)
来週以降は
8月18日「エスパーニャ・オトラ・ベス」(1969年スペイン)
8月25日「トリアーナ、パライソ・ペルディード」(2008年スペイン)

昨年のビエナルでスペイン初公開された「フラメンコ・ミ・ビダ」は未見ですが、マティルデ・コラルやジェルバブエナ、ソラジャ・クラビホ、ディエゴ・デ・モロンらスペインのアルティスタたちが出演しているようです。また日本でも撮影し、遠藤あや子さんや北島歩さんなども出演してるとか。。。
市民戦争の人民戦線で戦ったアメリカ人が会議でスペインにやってくるという物語の「エスパーニャ・オトラ・ベス」にはマヌエラ・バルガス、フォスフォリート、マノロ・ブレネスらも出演しているそうです。
25 日の「トリアーナ」はテレビ用のドキュメンタリーで、これはテレビ放映されたのをみましたが、トリアーナのヒターノたちの話がとても興味深いものです。。。

また、サンティアゴ街のペーニャ、ルイス・デ・ラ・ピカでは毎週土曜日にライブを開催。
8月8日 〈c〉エンリケ・ソト,〈g〉ペペ・デル・モラオ
8月22日 〈c〉 ルイス・モネオ、〈g〉フアン・マヌエル・モネオ
8月29日 〈c〉ホアキン・エル・サンボ、〈g〉ニーニョ・ヘロ
(15日は祝日でお休み)
と、これまた地元のアルティスタたちが登場予定です。

というわけで、8月のヘレスの夜は
火曜は映画、金曜はシネ・アストリアでのライブ、土曜はサンティアゴ街のルイス・デ・ラ・ピカのペーニャでのライブ、とフラメンコを堪能できそうです。

2009年8月4日火曜日

トリアーナ 国際フラメンコ・ミーティング

なる催しが9月25、26の両日、セビージャはトリアーナで開かれます。
これから2年ごと、ビエナルのない年に開催予定とか。
うん、それでここ数年毎年6月に開催されていたトリアーナのフラメンコ・フェスティバルが今年はなかったんですね。。。

プログラムは
9月25日18時 フラメンコ研究家エミリオ・ヒメネスによるソレア・デ・トリアーナについて       の講演
    23時 ソレア・デ・トリアーナの公演(出演者未定)
9月26日11時 クリスティーナ・オヨス、マヌエル・ベタンソとフラメンコ批評家マヌエル・       マルティン・マルティンによる座談会
    18時 「女性 トリアーナの大使」マティルデ・コラル、アウロラ・バルガス、ペパ・       モンテス、ミラグロス・メンヒバル、フアナ・ラ・デル・レブエロ
    23時  ピラール・アストラ「タルドンのバイレ」公演

という予定。講演はホテル・アバ・トリアーナで、また公演は川沿いのパセオ・デ・ラ・オで行われるということです。
こうしてみるとトリアーナゆかりのアルティスタっていっぱいいますねえ。あ、クリスティーナ・オヨスはトリアーナにかつて事務所をかまえていたけど、この町の出身ではないはず…。

国際とうたっているのは、おそらく国外からの参加者をみこしてのことでしょう。
国際色そえるために私も顔を出そうかな。。。

2009年8月3日月曜日

ペガラハルのフェスティバル



8月1日土曜日はハエンのペガラハルのフェスティバルに行ってきました。
ペガラハルは、ハエンから20キロほどグラナダ方面に行ったところにある人口3千人の町ですが
この町のフラメンコ・フェスティバルは今年で41回という歴史のあるもの。
かつてはカマロンやファルーコなども出演したといいます。
今年の出演はカンテが、マヌエル・ヘレーナ、ナノ・デ・ヘレス、マリアーナ・コルネホ、アントニオ・レジェス、ラ・タナ、そしてバイレがエル・ミステーラというなかなか渋い面々。
また、71年にこの町のカンテコンクールで優勝したベテラン・カンタオール、マヌエル・ヘレーナに捧げられました。

マヌエル・ヘレーナはセビージャ県プエブラ・デ・カサージャという、多くの歌い手たちを世におくりだしている町の生まれで、23歳からプロとして活動。自由な表現活動ができなかったフランコ独裁政権下で自由をうたうなど、社会的な歌詞で何度も逮捕されたりしましたが、70年代の人気カンタオールの一人です。

フェスティバルの開幕は23時半。実際にはじまったのは24時過ぎでした。
カディスの明るい光をはこんできたようなマリアーナ・コルネホ、年をへてだんだんお父さん(鍛冶屋兼歌い手のティオ・フアネ)に似てきたナノ・デ・ヘレスら、ベテラン勢がブレリアなどを中心に楽しくきかせてくれました。
というのも折から町はお祭りで、すぐ近くにある移動遊園地やディスコのにぎやかな音楽がきこえてくるので、マルティネーテなどをじっくり聴く雰囲気ではないからでしょう。
バイレのミステーラは十八番のソレアで観客を総立ちにしました。

私は一部が終わった3時すぎに帰ったのですが、うーん、きっとこの分だと全部終わるのは朝方6時ぐらいだったのではないでしょうか。。。

昔ながらのフェスティバルも楽しいものですが、ほんと体力がいりますね。