フラメンコはたくさんの顔を持っている。だから面白いんですよ、やっぱり。ね。
“アート”なロシオ・モリーナがすごすぎて、こりゃこのビエナルは何みてもそればっか考えちゃうかな、と思ったりもしたのだけど、クラシックの名曲に正面から取り組んだフェルナンド・ロメロに舌を巻き、そしてファルキートに拍手喝采。いやあ、フラメンコっていいよ、やっぱり。
下手側に長方形の幕がかかっていてそれがスクリーンになって、風に吹かれるファルキートの横顔がビデオで映され、いろんな人たちのコメントが音声で流れる。ファルーコ、パコ・デ ・ルシア、カマロン…ビデオが終わると、幕の後ろに机と椅子。そこにファルキートが座って歌い始める。そのメロディが中央から上手側にいる歌い手たちの声へと繋がり、ファンダンゴへと繋がっていきます。
Archivo fotográfico Bienal de Flamenco. Fotógrafa: Claudia Ruiz Caro |
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のびやかで明るい気持ちのいいファンダンゴ。例によって、回転の間合いに悶絶。かっこいい。衣装はベルディアーレスの、伝統的な、赤いサッシュと丈が短めのズボンというのにインスパイアされたのかな。
マリ・ビサラガがマラゲーニャをキーボード伴奏で。
再び、縦長のスクリーンにファルーコがファルキートに語る映像が流れる。上手からゆっくりと登場したファルキート。ファルーカ。
伝統的な形のファルーカではなく、彼らしいオリジナル。前もやってたよね、この感じ?超スピードでいくのがすごい。
Archivo fotográfico Bienal de Flamenco. Fotógrafa: Claudia Ruiz Caro |
再びスクリーンに、今度は文字が次々と映し出される。
遺産、家族、怖れ、失敗、めまい…
そこへ母、ファルーカ登場。シギリージャ。
去年だったか、ヘレスで見たときはあれ、って思うくらいがっかりだったんだけど、復活。
深みと存在感。
ファルキートは着物風?前合わせのジャケットで、曲はアルベニスの『アストゥリアス』風に。
今度のビデオは息子。そして舞台に登場した息子、フアン・エル・モレーノはアレグリアス。しっかり遺伝子受け継いでいる。ファルキートが子供の頃に比べればどこか拙く、子供っぽい。それだけ父は大人びた子供だったということでもあるのだけど。
Archivo fotográfico Bienal de Flamenco. Fotógrafa: Claudia Ruiz Caro |
二人で踊るときのファルキートの、父ならではの慈愛の眼差し。いいなあ。
Archivo fotográfico Bienal de Flamenco. Fotógrafa: Claudia Ruiz Caro |
最後はブレリア。スクリーンには娘たちや妻の姿も。
恒例、マリとの対決、じゃないや、二人で向かい合って彼女の歌に踊っていくのとか、はい、実際問題、中身はいつものファルキート。変わったのは包み紙。見せ方が変わっただけ、という見方もあるだろうけど、いや、見せ方も大切。作品としてのまとまり、悪くないと思います。で、踊り自体がいいから個人的に文句はありません。
で、いったん幕が降りてのフィン・デ ・フィエスタ。なんとライムンド・アマドールがエレキギターで参加。テーマにインプロで音を乗せていく。かっこいい。
Archivo fotográfico Bienal de Flamenco. Fotógrafa: Claudia Ruiz Caro |
Archivo fotográfico Bienal de Flamenco. Fotógrafa: Claudia Ruiz Caro |
二人の共演もうれしかったなあ。満足満足。
今回、演出にアンヘル・ロハスを招いたことで、ビデオ活用し、すっきりとまとめることができ、作品としても成功しているのではないでしょうか。餅は餅屋。踊り手が何もかも全部やろうというのは無理。任せるところは任せるのが吉、であります。
というのも、やはり中身のファルキートの踊りがいいから、で、それをどうよりよく見せるか、ということをしたのがアンヘル。下手な三文芝居とかをするでなく、安っぽくないちゃんとしたビデオで、ファルキートの思いを伝える。先達たちから、家族から受け継ぎ、未来へと伝えたいフラメンコ。なんじゃないかな。
あ、どうでもいいけどミュージシャンたちの衣装の斜めラインがサンダーバードか科学捜査隊みたいでちょっとツボ。ギター、ロシオに弾いてたジェライなんだけど、音悪いしほぼ聴こえん。残念
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