2017年度の芸術功労金章をエバ・ジェルバブエナが受賞する。
12月22日に発表された24人の受賞者の一人として発表された。
これはスペイン、教育文化スポーツ省が1969年より、毎年、文化芸術の功労者におくっているもの。今年の受賞者には、シンガーソングライターの、ホセ・ルイス・ペラーレスやルイス・エドァルド・アウテらとともにアンディ・ガルシアの名も。
おめでとうエバ!
2017年12月23日土曜日
2017年12月22日金曜日
スペイン国立バレエ「エレクトラ」
スペイン国立バレエの新作「エレクトラ」
振り付けはコンテンポラリーのダンサーながら、フラメンコとの共演も多い、コルドバ出身のアントニオ・ルス。ということから、ちょっとどきどきしながら観に行ったのだが、これが想像以上に素晴らしかった。
バレエ団にとっても非常に重要な作品となるだろうことを確信させる。いや、スペイン舞踊の流れを変えることになりうるのかもしれない、そんな作品だ。
このバレエ団にとっては珍しい、一本もの、つまり一作品だけでの公演だが、この作品のクオリティがおそろしく高く、クラシックバレエの名作にも匹敵するほどでは、と思わせるのだ。
ギリシア神話の、「エレクトラ」の物語は日本ではあまり知られていないかもしれない。
簡単に言ってしまうと、愛人とはかって、父を殺した母を、今度は弟ともに彼女が殺す、という、なんとも殺伐とした話。が、その母はかつて娘/エレクトラの姉を戦に勝つために人身御供として殺されたことを恨みに思っていた、などということもあり、誰が悪いと簡単には言えない。憎しみと殺しの連鎖の虚しさ。
その物語の舞台をスペインのどこかにある、どこにでもある、村に移した。
スタイリッシュな装置と衣装。
サンドラ・カラスコが歌う歌詞が状況、ストーリーを説明しつつ、舞台は進む。サンドラは口跡が良く、歌詞が非常に聞き取りやすいが、スペイン語の問題などでもし歌詞を聞き取ることができなくとも、上記のざくっとしたストーリーさえ頭に入っていれば、問題はないだろう。わかりやすく、観る者を引き込んでいく。その求心力の強さ。
振り付けは、コンテンポラリーをも含め、フラメンコ/エスティリサーダ/民族舞踊、など、スペインの舞踊全般を網羅したような、いわば新しいスペイン舞踊の形をとっている。フラメンコではオルガ・ペリセの協力をえているが、それとそれ以外の部分も全く違和感がなく、シームレスにつながっている。音楽も同様。カンテとオーケストラ、コントラバスとボーダーレスでつながっている。
国立のダンサーは、幼い時から舞踊学校出身者が多く、スペイン舞踊だけでなく、バレエもみっちり叩きこまれてきており、今でも、公演中も毎日、バレエのレッスンを行っている。だからこそ、ボーダーレスなこんな作品が可能だったのだろう。スペイン国立のダンサーにしか踊れない作品だ。
伝統をなぞるだけではなく、そこに新しい要素を加え、新しいスペイン舞踊を生み出す。
要素というのは単なるパソではなくコンセプトや音楽の使い方、装置や衣装なども含めたすべてを言う。
最初と最後の結婚式のシーンが、アントニオ・ガデスの「血の婚礼」を思わすのは偶然ではないだろう。先達へのオマージュ、伝統への敬意を強く感じる。
主役を踊った第一舞踊手のインマクラーダ・サロモンをはじめ、母のエステル・フラード、姉サラ・アレバロ、父アントニオ・コレデーラ、弟セルヒオ・ベルナルらに加え、母の情夫役で芸術監督のアントニオ・ナハーロも出演している。監督就任後、振り付けはするものの舞台からは遠ざかっていたのだが、そのブランクを全く感じさせない存在感だ。また、父王の死後、エレクトラを娶った農夫役のエドゥアルド・マルティネスが素晴らしい。
世界中の劇場ででも上演されるべき名作が、スペイン舞踊の歴史の新しい1ページを開いていくことだろう。
振り付けはコンテンポラリーのダンサーながら、フラメンコとの共演も多い、コルドバ出身のアントニオ・ルス。ということから、ちょっとどきどきしながら観に行ったのだが、これが想像以上に素晴らしかった。
バレエ団にとっても非常に重要な作品となるだろうことを確信させる。いや、スペイン舞踊の流れを変えることになりうるのかもしれない、そんな作品だ。
このバレエ団にとっては珍しい、一本もの、つまり一作品だけでの公演だが、この作品のクオリティがおそろしく高く、クラシックバレエの名作にも匹敵するほどでは、と思わせるのだ。
ギリシア神話の、「エレクトラ」の物語は日本ではあまり知られていないかもしれない。
簡単に言ってしまうと、愛人とはかって、父を殺した母を、今度は弟ともに彼女が殺す、という、なんとも殺伐とした話。が、その母はかつて娘/エレクトラの姉を戦に勝つために人身御供として殺されたことを恨みに思っていた、などということもあり、誰が悪いと簡単には言えない。憎しみと殺しの連鎖の虚しさ。
その物語の舞台をスペインのどこかにある、どこにでもある、村に移した。
スタイリッシュな装置と衣装。
サンドラ・カラスコが歌う歌詞が状況、ストーリーを説明しつつ、舞台は進む。サンドラは口跡が良く、歌詞が非常に聞き取りやすいが、スペイン語の問題などでもし歌詞を聞き取ることができなくとも、上記のざくっとしたストーリーさえ頭に入っていれば、問題はないだろう。わかりやすく、観る者を引き込んでいく。その求心力の強さ。
振り付けは、コンテンポラリーをも含め、フラメンコ/エスティリサーダ/民族舞踊、など、スペインの舞踊全般を網羅したような、いわば新しいスペイン舞踊の形をとっている。フラメンコではオルガ・ペリセの協力をえているが、それとそれ以外の部分も全く違和感がなく、シームレスにつながっている。音楽も同様。カンテとオーケストラ、コントラバスとボーダーレスでつながっている。
国立のダンサーは、幼い時から舞踊学校出身者が多く、スペイン舞踊だけでなく、バレエもみっちり叩きこまれてきており、今でも、公演中も毎日、バレエのレッスンを行っている。だからこそ、ボーダーレスなこんな作品が可能だったのだろう。スペイン国立のダンサーにしか踊れない作品だ。
伝統をなぞるだけではなく、そこに新しい要素を加え、新しいスペイン舞踊を生み出す。
要素というのは単なるパソではなくコンセプトや音楽の使い方、装置や衣装なども含めたすべてを言う。
最初と最後の結婚式のシーンが、アントニオ・ガデスの「血の婚礼」を思わすのは偶然ではないだろう。先達へのオマージュ、伝統への敬意を強く感じる。
主役を踊った第一舞踊手のインマクラーダ・サロモンをはじめ、母のエステル・フラード、姉サラ・アレバロ、父アントニオ・コレデーラ、弟セルヒオ・ベルナルらに加え、母の情夫役で芸術監督のアントニオ・ナハーロも出演している。監督就任後、振り付けはするものの舞台からは遠ざかっていたのだが、そのブランクを全く感じさせない存在感だ。また、父王の死後、エレクトラを娶った農夫役のエドゥアルド・マルティネスが素晴らしい。
世界中の劇場ででも上演されるべき名作が、スペイン舞踊の歴史の新しい1ページを開いていくことだろう。
2017年12月20日水曜日
スペイン国立バレエ「マリエンマへのオマージュ・ガラ」
12月19日、マドリードのサルスエラ劇場で開催されたマリエンマへのオマージュ・ガラ。
マリエンマは1917年バジャドリードのイスカル村に生まれ、2歳で家族と共に移住したパリで育ち、そこで舞踊を学び、初舞台を踏んだ。1940年にスペインに帰国してからは、マドリードのテアトロ・エスパニョールを始め、スペイン国内はもとより、ヨーロッパ、アメリカなど世界各国で公演したスペイン舞踊家。マドリードの王立演劇舞踊学校の校長を務め、スペイン舞踊をエスクエラ・ボレーラ、民族舞踊、ダンサ・エスティリサーダ、フラメンコの4ジャンルに分類するなど、教授/勉強法を確立した。2008年に亡くなったが、現在、王立舞踊学校にもその名を残す、スペイン舞踊の歴史を語る上で欠かせない存在。
スペイン国立バレエに振り付けた「ダンサ・イ・トロニオ」はかつて日本で上演されたこともあるのでそれを覚えている人もいるかもしれない。
この公演は彼女の生誕100周年を記念するもので、国立バレエによる「ダンサ・イ・トロニオ」再演に加え、マドリードの二つの舞踊学校の生徒たちによるものを加えて、マリエンマの振り付けを改めて見ようという試み。
最初は「ファンダンゴ」。マリア・デ・アビラ舞踊学校生徒6人によるものだが、もともとはスペイン国立バレエのために振り付けされたもので、いにしえのファンダンゴのパソをなぞってもいる、ダンサ・エスティリサーダの作品。
続いてバレエ団のサラ・アレバロによる「アンダルーサ」、ピアノ伴奏でのダンサ・エスティリサーダの小品。佳作。スペイン人舞踊家として初めて日本を訪れたアルヘンティーナも、ピアノ伴奏での公演だった。かつてのスペイン舞踊のエッセンスを感じさせる。
3曲目は国立の第一舞踊手エドゥアルド・マルティネスによる「ボレロ1830」。この作品はマリエンマが2002年、彼のために振り付けた、マリエンマ最後の振り付け作品。見事なボレーラのテクニックで魅せる。巨匠の振り付け意欲をかきつけたダンサーだけに、さすがの出来。
そして最後は、王立マリエンマ舞踊学の生徒たちによる「イベリカ」。ラベルの「ボレロ」に振り付けた1964年の作品。これが素晴らしかった。イビサやアストゥリアスなど、スペイン各地の民族舞踊に始まり、ボレーラ、フラメンコ、エスティリサーダへと進んでいく。さながら、スペイン舞踊の歴史を見るような、振り付け。エスティリサーダでは国立バレエのクリスティーナ・アギレラも出演。
日本でおなじみのホセ・グラネーロの振り付けにヒントを与えただろう振りもそこかしこに。
休憩を挟んでの第2部は国立バレエによる、「ダンサ・イ・トロニオ」
ボレーラ、エスティリサーダ、フラメンコ。スペイン舞踊のエッセンスを美しく表現している。
歴史あってのスペイン舞踊。スペイン舞踊の歴史を振り返る一夜だったと言えるだろう。
マリエンマは1917年バジャドリードのイスカル村に生まれ、2歳で家族と共に移住したパリで育ち、そこで舞踊を学び、初舞台を踏んだ。1940年にスペインに帰国してからは、マドリードのテアトロ・エスパニョールを始め、スペイン国内はもとより、ヨーロッパ、アメリカなど世界各国で公演したスペイン舞踊家。マドリードの王立演劇舞踊学校の校長を務め、スペイン舞踊をエスクエラ・ボレーラ、民族舞踊、ダンサ・エスティリサーダ、フラメンコの4ジャンルに分類するなど、教授/勉強法を確立した。2008年に亡くなったが、現在、王立舞踊学校にもその名を残す、スペイン舞踊の歴史を語る上で欠かせない存在。
スペイン国立バレエに振り付けた「ダンサ・イ・トロニオ」はかつて日本で上演されたこともあるのでそれを覚えている人もいるかもしれない。
この公演は彼女の生誕100周年を記念するもので、国立バレエによる「ダンサ・イ・トロニオ」再演に加え、マドリードの二つの舞踊学校の生徒たちによるものを加えて、マリエンマの振り付けを改めて見ようという試み。
最初は「ファンダンゴ」。マリア・デ・アビラ舞踊学校生徒6人によるものだが、もともとはスペイン国立バレエのために振り付けされたもので、いにしえのファンダンゴのパソをなぞってもいる、ダンサ・エスティリサーダの作品。
続いてバレエ団のサラ・アレバロによる「アンダルーサ」、ピアノ伴奏でのダンサ・エスティリサーダの小品。佳作。スペイン人舞踊家として初めて日本を訪れたアルヘンティーナも、ピアノ伴奏での公演だった。かつてのスペイン舞踊のエッセンスを感じさせる。
3曲目は国立の第一舞踊手エドゥアルド・マルティネスによる「ボレロ1830」。この作品はマリエンマが2002年、彼のために振り付けた、マリエンマ最後の振り付け作品。見事なボレーラのテクニックで魅せる。巨匠の振り付け意欲をかきつけたダンサーだけに、さすがの出来。
そして最後は、王立マリエンマ舞踊学の生徒たちによる「イベリカ」。ラベルの「ボレロ」に振り付けた1964年の作品。これが素晴らしかった。イビサやアストゥリアスなど、スペイン各地の民族舞踊に始まり、ボレーラ、フラメンコ、エスティリサーダへと進んでいく。さながら、スペイン舞踊の歴史を見るような、振り付け。エスティリサーダでは国立バレエのクリスティーナ・アギレラも出演。
日本でおなじみのホセ・グラネーロの振り付けにヒントを与えただろう振りもそこかしこに。
休憩を挟んでの第2部は国立バレエによる、「ダンサ・イ・トロニオ」
ボレーラ、エスティリサーダ、フラメンコ。スペイン舞踊のエッセンスを美しく表現している。
歴史あってのスペイン舞踊。スペイン舞踊の歴史を振り返る一夜だったと言えるだろう。
追悼マヌエル・モネオ
12月19日、へレスの病院で歌い手マヌエル・モネオが亡くなった。67歳。
1950年ヘレスのプラスエラ地区の生まれ。
フアン・モネオ“エル・トルタ”(1953)、ルイス・モネオの兄。
マヌエル・トーレの伝統とアントニオ・マイレーナの正統の流れをくむカンテヒターノの名手。
マヌエル・モラオのフラメンコ公演、フエベス・フラメンコスで頭角を表す。
1987年へレスのアルティスタにおくられるコパ・へレスを受賞。翌年、マヌエル・モラオの作品「エサ・フォルマ・デ・ビビル」に出演。1991年にはフランス、アウディビス社の「へレス、フィエスタ・イ・カンテ.ホンド」を弟フアンと、モライートの伴奏で録音。99年にもファミリーでのアルバム、2007年にはソロアルバムもリリースするなど録音もいろいろ。1995年の映画「フラメンコ」で、アグヘータスとともにマルティネーテを歌っていたのも印象に残る。
ソレア、シギリージャなどを得意とする、真面目な歌いっぷり。が、フィエスタで一節唸るのも厭わない。
息子バルージョ、マカレーナも歌い手、息子フアンはギタリスト。
ここ数年は持病の悪化もあって舞台からは遠ざかっていた。
冥福を祈る。
1950年ヘレスのプラスエラ地区の生まれ。
フアン・モネオ“エル・トルタ”(1953)、ルイス・モネオの兄。
マヌエル・トーレの伝統とアントニオ・マイレーナの正統の流れをくむカンテヒターノの名手。
マヌエル・モラオのフラメンコ公演、フエベス・フラメンコスで頭角を表す。
1987年へレスのアルティスタにおくられるコパ・へレスを受賞。翌年、マヌエル・モラオの作品「エサ・フォルマ・デ・ビビル」に出演。1991年にはフランス、アウディビス社の「へレス、フィエスタ・イ・カンテ.ホンド」を弟フアンと、モライートの伴奏で録音。99年にもファミリーでのアルバム、2007年にはソロアルバムもリリースするなど録音もいろいろ。1995年の映画「フラメンコ」で、アグヘータスとともにマルティネーテを歌っていたのも印象に残る。
ソレア、シギリージャなどを得意とする、真面目な歌いっぷり。が、フィエスタで一節唸るのも厭わない。
息子バルージョ、マカレーナも歌い手、息子フアンはギタリスト。
ここ数年は持病の悪化もあって舞台からは遠ざかっていた。
冥福を祈る。
2017年11月27日月曜日
アルカンヘル「アベセダリオ・フラメンコ」
セビージャのマエストランサ劇場でのアルカンヘルのリサイタル、「アベセダリオ・フラメンコ」。
通常のフラメンコのリサイタルとは、全く違うものだった。
オープニングは、シギリージャ、「カンパナス・デル・アルバ」。
カマロン・デ・ラ・イスラ、1984年のアルバム「ビビレ」に収録されたもので、オーケストラ伴奏で歌われた、斬新なもの。当時は反発もあったろう。
続く曲はローレ・イ・マヌエルの「ヌエボ・ディア」1975年発表の曲だ。
そう、これは、現代フラメンコの名曲を歌い継いでいくという試み。
その後も、ホセ・メルセが歌ったアレグリアス「ビボ・シエロ」(アルバム「アイレ」2000年収録)、カマロン「カナステーラ」(1972年)、ミゲル・ポベーダのタンゴ「ブエナ・インテンシオネス」(「ティエラ・デ・カルマ」2006年)とつづく。
どの曲もオリジナルをリスペクトしながらも、彼らしい味わいも付け加えている。
ミゲル・アンヘル・コルテスとダニ・デ・モロン、二人のギター伴奏も素晴らしい。
その二人が、エンリケ・モレンテ「ペケーニョ・ワルツ・ビエネサ」(「オメガ」1996年)やマノロ・サンルーカル「タウロマヒア」の「マエストランサ」なども散りばめて演奏したソロも良かった。
ローレ・イ・マヌエルの「ディメ」(「パサヘ・デル・アグア」1976年)、マイテ・マルティン「SOS」(「ムイ・フラヒル」1994年)、エンリケ・モレンテ「ペケーニョ・レロッホ」(2003年)、ディエゴ・カラスコ「ナナ・デ・コローレス」(「ボス・デ・レフェレンシア」1993年)、カマロンのファンダンゴ・デ・ウエルバ「センタオ・エン・エル・バジェ」(1981年)、ミゲル・ポベーダ「アルフィレレ・デ・コローレス」(2006年)、エンリケ・モレンテのタンゴ「カンシオン・デ・ラ・ロメリア」、「タンゴス・デ・ラ・プラサ」(1992年)そしてホセ・メルセの大ヒット作「アイレ」まで。
フラメンコで、他の人の曲を歌うということはあまりないが、名曲は名曲。
アントニオ・ガデスの振り付けがガデス亡き今も踊られるように、名曲はいろんな人が歌っていい。
アルカンヘルの声との相性もあるのか、エンリケ・モレンテの曲や「カナステーラ」はよかった。でもカンシオン風のフラメンコが多く、フラメンコ好きにはちょっと物足りなく感じられたのではないだろうか。
それでも満員の観客がスタンディングオーベーションで、最後、一緒に、ファンダンゴ・デ・ウエルバを合唱したのは鳥肌ものだった。
リサイタル終盤に、ジャズやロックでもスタンダードナンバーがある。フラメンコでも他の歌い手の曲でも歌ってもいいのではないか、云々、とこのリサイタルの動機を語っていたが、フラメンコのスタンダードナンバーは、メジーソのマラゲーニャだったり、グロリアのファンダンゴだったりするのではないだろうか。
最近の曲を中心にした結果、フラメンコ・フラメンコと言うよりも、フラメンコなカンシオン集になってしまった感がある。ベストヒットフラメンコ、的な。
エンリケの曲だけのアルカンヘルのアルバム、というのはちょっと聞いてみたい気がするけれど、ストレートなフラメンコと、カマロンやエンリケのレパートリーというコンサートの方が私好みではある。
通常のフラメンコのリサイタルとは、全く違うものだった。
オープニングは、シギリージャ、「カンパナス・デル・アルバ」。
カマロン・デ・ラ・イスラ、1984年のアルバム「ビビレ」に収録されたもので、オーケストラ伴奏で歌われた、斬新なもの。当時は反発もあったろう。
続く曲はローレ・イ・マヌエルの「ヌエボ・ディア」1975年発表の曲だ。
そう、これは、現代フラメンコの名曲を歌い継いでいくという試み。
その後も、ホセ・メルセが歌ったアレグリアス「ビボ・シエロ」(アルバム「アイレ」2000年収録)、カマロン「カナステーラ」(1972年)、ミゲル・ポベーダのタンゴ「ブエナ・インテンシオネス」(「ティエラ・デ・カルマ」2006年)とつづく。
どの曲もオリジナルをリスペクトしながらも、彼らしい味わいも付け加えている。
ミゲル・アンヘル・コルテスとダニ・デ・モロン、二人のギター伴奏も素晴らしい。
その二人が、エンリケ・モレンテ「ペケーニョ・ワルツ・ビエネサ」(「オメガ」1996年)やマノロ・サンルーカル「タウロマヒア」の「マエストランサ」なども散りばめて演奏したソロも良かった。
ローレ・イ・マヌエルの「ディメ」(「パサヘ・デル・アグア」1976年)、マイテ・マルティン「SOS」(「ムイ・フラヒル」1994年)、エンリケ・モレンテ「ペケーニョ・レロッホ」(2003年)、ディエゴ・カラスコ「ナナ・デ・コローレス」(「ボス・デ・レフェレンシア」1993年)、カマロンのファンダンゴ・デ・ウエルバ「センタオ・エン・エル・バジェ」(1981年)、ミゲル・ポベーダ「アルフィレレ・デ・コローレス」(2006年)、エンリケ・モレンテのタンゴ「カンシオン・デ・ラ・ロメリア」、「タンゴス・デ・ラ・プラサ」(1992年)そしてホセ・メルセの大ヒット作「アイレ」まで。
フラメンコで、他の人の曲を歌うということはあまりないが、名曲は名曲。
アントニオ・ガデスの振り付けがガデス亡き今も踊られるように、名曲はいろんな人が歌っていい。
アルカンヘルの声との相性もあるのか、エンリケ・モレンテの曲や「カナステーラ」はよかった。でもカンシオン風のフラメンコが多く、フラメンコ好きにはちょっと物足りなく感じられたのではないだろうか。
それでも満員の観客がスタンディングオーベーションで、最後、一緒に、ファンダンゴ・デ・ウエルバを合唱したのは鳥肌ものだった。
リサイタル終盤に、ジャズやロックでもスタンダードナンバーがある。フラメンコでも他の歌い手の曲でも歌ってもいいのではないか、云々、とこのリサイタルの動機を語っていたが、フラメンコのスタンダードナンバーは、メジーソのマラゲーニャだったり、グロリアのファンダンゴだったりするのではないだろうか。
最近の曲を中心にした結果、フラメンコ・フラメンコと言うよりも、フラメンコなカンシオン集になってしまった感がある。ベストヒットフラメンコ、的な。
エンリケの曲だけのアルカンヘルのアルバム、というのはちょっと聞いてみたい気がするけれど、ストレートなフラメンコと、カマロンやエンリケのレパートリーというコンサートの方が私好みではある。
2017年11月25日土曜日
サラ・バラス新作「ソンブラス」
マラガ、セルバンテス劇場での、サラ・バラスの新作「ソンブラス」。
これがアンダルシアでの初演と成る。5日間の公演がすべて満員御礼。
さすがの人気、そしてそれに応えた、彼女の熱い心がダイレクトに伝わってくるようなパフォーマンス。
前作「ボセス」は、彼女が敬愛する6人のアルティスタへのオマージュということもあるのか、ベースにどこか悲しい気持ちが流れているような感じがあり、抑制された雰囲気もあったように思うのだが、この「ソンブラス」は100%サラ!な作品。
明るく華やかで、エネルギーに満ち溢れている。
ソンブラスとは影のこと。
なので、影、シルエットを効果的に使いっているのはもちろん、ダンサーを描いた絵の幕も、写真で見るよりもずっと素晴らしく、そこにショーアップされた華やかな照明が加わり、雰囲気を盛り上げる。
シルエットでのオープニングから、「ボセス」でも踊っていた、ファルーカへ。
最近、各地のペーニャやフェスティバルで引っ張りだこの、歌のイスラエル・フェルナンデス、ルビオ・デ・プルーナが素晴らしい。
サラは水玉のシャツに黒いパンタロン、ベスト、スカーフといういでたち。
ギターやパーカッションとの掛け合いで聴かせるサパテアードは楽器のようで、フラメンコは音楽を生む舞踊なのだと改めて感じさせられる。
群舞でのバストンを使ったロマンセを挟んで(ここでも歌の良さが光る)、トルコブルーの衣装でサラが踊るのはセラーナ。多分、彼女がこの曲を踊るのは初めてではないだろうか。
サラの言葉の録音で影が踊る。
アバニコを使った群舞にティムのサックスが絡む。
黒い衣装のホセ・セラーノと真紅のサラとのワルツ。青い光の中、楽しそうに踊る、ロマッチックなシーンだ。ロルカの詩「ペケーニョ・ワルツ・ビエネサ/小さなウィーンのワルツ」をレナード・コーエンが歌った「テイク・ディス・ワルツ」。エンリケ・モレンテも歌った、この曲のノスタルジック
群舞のマリアーナ。
バタとマントンの群舞にティム。
ホセのソロは生き生きと本領発揮。レマテのかっこよさ。
アラ・マリキアンのバイオリン録音による群舞での男性のスカートをマントのように使う不思議な場面。
サラのアレグリアスは赤いマントンで。それがティムとのナンバーになり、二人の掛け合いで見せる。サパテアードの音は正確で美しく、エネルギッシュ。
終幕でのこのパワー。どこからこんな力が湧き出てくるのだろう。
全員でのブレリア、そしてフィン・デ・フィエスタに至るまで、力を抜くことなく全力投球。
最後はもちろん劇場全体がスタンディングオーベーション。
すべての観客を満足させるエンターテイナー。
スペイン語でいうシャポー、まさに脱帽だ。
これがアンダルシアでの初演と成る。5日間の公演がすべて満員御礼。
さすがの人気、そしてそれに応えた、彼女の熱い心がダイレクトに伝わってくるようなパフォーマンス。
前作「ボセス」は、彼女が敬愛する6人のアルティスタへのオマージュということもあるのか、ベースにどこか悲しい気持ちが流れているような感じがあり、抑制された雰囲気もあったように思うのだが、この「ソンブラス」は100%サラ!な作品。
明るく華やかで、エネルギーに満ち溢れている。
ソンブラスとは影のこと。
なので、影、シルエットを効果的に使いっているのはもちろん、ダンサーを描いた絵の幕も、写真で見るよりもずっと素晴らしく、そこにショーアップされた華やかな照明が加わり、雰囲気を盛り上げる。
シルエットでのオープニングから、「ボセス」でも踊っていた、ファルーカへ。
最近、各地のペーニャやフェスティバルで引っ張りだこの、歌のイスラエル・フェルナンデス、ルビオ・デ・プルーナが素晴らしい。
サラは水玉のシャツに黒いパンタロン、ベスト、スカーフといういでたち。
ギターやパーカッションとの掛け合いで聴かせるサパテアードは楽器のようで、フラメンコは音楽を生む舞踊なのだと改めて感じさせられる。
群舞でのバストンを使ったロマンセを挟んで(ここでも歌の良さが光る)、トルコブルーの衣装でサラが踊るのはセラーナ。多分、彼女がこの曲を踊るのは初めてではないだろうか。
サラの言葉の録音で影が踊る。
アバニコを使った群舞にティムのサックスが絡む。
黒い衣装のホセ・セラーノと真紅のサラとのワルツ。青い光の中、楽しそうに踊る、ロマッチックなシーンだ。ロルカの詩「ペケーニョ・ワルツ・ビエネサ/小さなウィーンのワルツ」をレナード・コーエンが歌った「テイク・ディス・ワルツ」。エンリケ・モレンテも歌った、この曲のノスタルジック
群舞のマリアーナ。
バタとマントンの群舞にティム。
ホセのソロは生き生きと本領発揮。レマテのかっこよさ。
アラ・マリキアンのバイオリン録音による群舞での男性のスカートをマントのように使う不思議な場面。
サラのアレグリアスは赤いマントンで。それがティムとのナンバーになり、二人の掛け合いで見せる。サパテアードの音は正確で美しく、エネルギッシュ。
終幕でのこのパワー。どこからこんな力が湧き出てくるのだろう。
全員でのブレリア、そしてフィン・デ・フィエスタに至るまで、力を抜くことなく全力投球。
最後はもちろん劇場全体がスタンディングオーベーション。
すべての観客を満足させるエンターテイナー。
スペイン語でいうシャポー、まさに脱帽だ。
2017年11月24日金曜日
ニームのフラメンコ祭
フランス、ニームのフラメンコ祭の記者会見がセビージャの、アンダルシア舞踊団稽古場で行われた。
来年のフェスティバルに出演する、マリ・ペーニャも歌い、雰囲気を盛り上げる。
最近のスペインのフェスティバルの記者会見よりも気合が入っている。
そしてプログラムももちろん充実。
アンドレス・マリンの新作「ドン・キホーテ」で開幕し、イスラエル・ガルバンで閉幕。
間にはカンテのリサイタルあり、リケーニの公演あり、
若手も踊りではダビ・コリア、歌ではダビ・カルピオ、アルコス出身のファビの公演あり、とバランスとれたプログラム。
エストレマドゥーラの公演では、エストレマドゥーラ出身ながらセビージャ在住のエンリケ・エストレメーニョとマドリー在住のグアディアナも出演するのが嬉しい。
こういうのって初めての試みでは?楽しみだ。
来年のフェスティバルに出演する、マリ・ペーニャも歌い、雰囲気を盛り上げる。
最近のスペインのフェスティバルの記者会見よりも気合が入っている。
そしてプログラムももちろん充実。
アンドレス・マリンの新作「ドン・キホーテ」で開幕し、イスラエル・ガルバンで閉幕。
間にはカンテのリサイタルあり、リケーニの公演あり、
若手も踊りではダビ・コリア、歌ではダビ・カルピオ、アルコス出身のファビの公演あり、とバランスとれたプログラム。
エストレマドゥーラの公演では、エストレマドゥーラ出身ながらセビージャ在住のエンリケ・エストレメーニョとマドリー在住のグアディアナも出演するのが嬉しい。
こういうのって初めての試みでは?楽しみだ。
◇第27回ニーム フラメンコ祭
1/11(木)20時「ドン・キホーテ」
[出]〈b〉アンドレス・マリン、パトリシア・ゲレーロ、アベル・アラナ、〈perc, drums〉ダニエル・スアレス、〈c, エレキベース〉ロサリオ“ラ・トレメンディータ”、〈チェロ〉サンチョ・アルメンドラル、〈エレキギター〉ホルヘ・ルビアレス
1/12(金)20時「アル・ソン・デ・エストレマドゥーラ」
[出]〈g〉ミゲル・バルガス、フアン・バルガス、〈c〉アレハンドラ・ベガ、エンリケ“エル・エストレメーニョ”、“グアディアナ”、“ラ・カイタ”、〈b〉アントニオ・シルバ“エル・ペレリグリーノ”
1/13(土)20時「エル・エンクエントロ」
[出]〈b〉ダビ・コリア、アナ・モラーレス、フロレンシア・オリャン、パウラ・コミトレ、ラファエル・ラミレス、〈c〉アントニオ・カンポス、エル・ロンドロ、〈g〉ヘスース・トーレス、ホセ・ルイス・メディーナ、〈perc〉ダニエル・スアレス
1/14(日)20時「パルケ・デ・マリア・ルイサ」
[出]〈g〉ラファル・リケーニ、フアン・カンパージョ、パコ・ロルダン、〈チェロ〉グレッチェン・タルボット、ゲスト〈b〉ハビエル・バロン
1/16(火)20時
[出]〈c〉マリ・ペーニャ、〈g〉アントニオ・モジャ、〈violin〉ファイサル・コウリチ、〈perc〉パコ・ベガ、〈palmas、b〉ロシオ・ラ・トゥロネーラ、フアン・アマジャ、ゲスト〈b〉カルメン・レデスマ、〈piano〉ペドロ・リカルド・ミーニョ
1/17(水)20時
[出]〈c〉ルイス・モネオ、アントニオ・レジェス、〈g〉フアン・マヌエル・モネオ・カラスコ、ディエゴ・アマジャ、〈palmas〉マヌエル・モネオ・カラスコ、アントニオ・ホセ・サンチェス・ヌニェス
1/19(金)、20(土)20時「ラ・フィエスタ」
[出]イスラエル・ガルバン、ボボーテ、エロイサ・カントン、エミリオ・カラカフェ、ラモン・マルティネス、ニーニョ・デ・エルチェ、アレハンドロ・ロハス=マルコス、アリア・セジャミ、ウチ
[場]フランス ニーム ベルナデッタ・ラフォン劇場
1/13(土)17時
[出]〈c〉ぺぺ・デ・プーラ、〈g〉フアン・カンパージョ
1/20(土)17時
[出]〈c〉ラ・ファビ、〈g〉アントニオ・モジャ
[場]フランス ニーム エマニュエル・ダルソン高校
1/14(日)15時「パシオナリア」
[出]〈c〉クララ・トゥデラ、〈g〉グレゴリオ・イボル・サンチェス、〈piano〉ラファエル・レモニエル、〈コントラバス〉ペドロ・マルティネス、〈perc〉シャビエル・ダサンドレ
1/18(木)20時「ソロス」
[出]〈c〉ダビ・カルピオ、〈g〉マヌエル・バレンシア、〈コントラバス〉パブロ・マルティン、ゲスト〈b〉マヌエル・リニャン
[場]フランス ニーム オデオン
1/15(月)20時「クラロオスクロ」/「エレクトロフラメンコ」
[出]〈b〉アンヘル・ムニョス、〈c、g〉ミゲル・オルテガ、〈fl, sax,クラリネット、ハーモニカ〉ディエゴ・ビジェガス、〈サンプラー他〉アルトマティコ/ゲスト〈b〉ダビ・コリア
[場]フランス ニーム ラ・パロマ
[問]www.theatredenimes.com
2017年11月22日水曜日
へレス・オフ・フェスティバル
へレスのフェスティバルに合わせて、開催されているオフ・フェスティバルのプログラムが発表になった。
今年はアンヘリータ・ゴメスに捧げられている。
他にもカプージョやペリキン、フアナ・ラ・デ・ラ・ピパ、ドローレス・アグヘータら地元のベテランが出演するほか、ラファル・カンパージョ、アデラ・カンパージョ、トゥルコなど、実力派踊り手たちの名前も。
今年はアンヘリータ・ゴメスに捧げられている。
他にもカプージョやペリキン、フアナ・ラ・デ・ラ・ピパ、ドローレス・アグヘータら地元のベテランが出演するほか、ラファル・カンパージョ、アデラ・カンパージョ、トゥルコなど、実力派踊り手たちの名前も。
初日は去年同様、日本人アルティスタたちが出演する。
◆第7回ヘレス・オフ・フェスティバル
2/23(金)17時[出]〈b〉マリア・バルガス舞踊学校
19時[出]〈c, piano〉コザトアヤ
21時[出]〈c〉ハタハルミ
22時30分[出]〈c〉エル・カルテーロ
23時59分[出]〈g〉ニーニョ・ヘロ
2/24(土)17時[出]〈b〉カルメン・エレーラ舞踊学校
19時[出]〈b〉ファビオラ・バルバ
21時[出]〈b〉ジェシカ・ブレア
23時30分[出]〈c〉カプージョ・デ・へレス
2/25(日)17時[出]〈b〉マリア・バルガス舞踊学校
19時[出]〈b〉ラファエル・カンパージョ
21時[出]〈c〉ルイス・バルガス“エル・モノ”
23時映画「スエニャ・コンミーゴ」
2/26(月)19時[出]〈b〉フアン・ポルビージョ
21時[出]〈c〉エルー・デ・へレス
23時[出]〈c〉ナタリア・デル・マル“ラ・セラータ”
2/27(火)21時[出]〈c〉ルイサ・ムニョス
23時[出]〈c〉サムエル・セラーノ
2/28(水)19時[出]〈b〉チキ・デ・へレス舞踊学校
21時[出]〈b〉マリアン・ヒメネス
23時[出]〈c〉アントニオ・マレーナ
3/1(木)19時[出]〈b〉パウラ・シエラ
21時[出]〈c〉ファリーニャ
23時[出]〈b〉アデラ・カンパージョ
3/2(金)17時[出]〈b〉スサナ・チャコン舞踊学校
19時[出]〈b〉フェルナンド・ガラン
21時[出]〈b〉マヌエラ・カルピオ
23時[出]〈c〉エル・キニ
3/3(土)17時[出]〈b〉ベアトリス・モラーレス舞踊学校
19時[出]〈b〉ベアトリス・モラーレス
23時[出]〈c〉アントニオ・レジェス
3/4(日)17時[出]〈b〉マリアン・ヒメネス舞踊学校
19時[出]〈g〉〈g〉ヘスーレ・カリージョ
21時[出]〈b〉マルタ・ラ・トロジャ
23時[出]〈b〉マリア・フンカル
00時30分[出]〈c〉ホセ・ソト“ソルデリータ”
3/5(月)19時[出]〈b〉サライ・ガルシア
21時[出]〈c,g〉リカルド・ピニェーロ
23時[出]〈c〉ドローレス・アグヘータ
3/6(火)19時[出]〈b〉カルロス・カルボネル
23時[出]〈c〉ロサリオ・エレディア
3/7(水)19時[出]〈b〉ダビ・ロメーロ
21時[出]〈b〉フェルナンド・ヒメネス
23時[出]〈c〉ティア・フアナ・ラ・デル・ピパ
3/8(木)19時[出]〈b〉ラ・トゥルコ
22時30分[出]〈g〉ロマン・ビセンティ
00時30分[出]〈c〉マラ・レイ
3/9(金)17時[出]〈b〉マリア・デル・マル・モレーノ舞踊学校
19時[出]〈c〉マリア・フェルナンデス
21時[出]〈b〉パルミラ・ドゥラン
23時[出]〈b〉マカレーナ・ラミレス
3/10(土)17時[出]〈b〉スサナ・チャコン舞踊学校
19時[出]〈b〉フアン・アベシージャ
21時[出]〈b〉ビセンタ・ガルベス
23時[出]〈piano〉レイナ・ヒターナ
[場]へレス ラ・グアリダ・デル・アンヘル
[問]https://www.facebook.com/laguaridadelangel/
2017年11月13日月曜日
キンテーロ劇場のフラメンコ
セビージャの中心部、カンパナからほど近い、キンテーロ劇場でのフラメンコ公演。
カルペータやファルー、ヘレスのアルティスタによるクリスマスコンサートなどいろいろ楽しそうだ。
◇セビージャ、キンテーロ劇場のフラメンコ
11/25(土)21時
[出]〈b〉カルペータ、〈c〉エル・ネグロ、〈g〉ラウル・ビセンティ、〈piano、ベース〉メルチョール・ボルハ、〈perc〉ファリ・デル・エレクトリコ
[料]15ユーロ
11/30(木)、12/1(金)21時「テレモートのクリスマス」
[出]〈c〉マリア・テレモート、エル・ペチュギータ、ラ・カルボネーラ他、ゲスト〈b〉ラ・ルピ
[料]20ユーロ 12/1売り切れ
12/18(月)、19(火)21時
[出]〈b〉ファルーコ、バルージョ、ファルーカ、カルペータ(18)、ぺぺ・トーレス(19)
12/30(土)21時 「アシ・カンタ・ヘレス・エン・ナビダ」
[出]〈c〉レラ・ソト、フェリパ・デル・モレーノ、マヌエラ&ドローレス・デ・ペリキン、ラ・フンケーラ、エステファニア・サルサナ、フアン・デ・ラ・もれーな、ホセレーテ、ノノ・デ・ペリキン、マヌエル・デ・カンタローテ、ホセ・デ・ラ・メルチョーラ、〈perc〉フアン・ディエゴ・バレンシア、〈g〉フェルナンド・デ・ラ・モレーナ・イーホ、特別協力〈c〉ヘスース・メンデス
[場]セビージャ キンテーロ劇場
[問]http://www.teatroquintero.es
2017年11月11日土曜日
さよなら チキート
チキート・デ・ラ・カルサーが、11月11日、故郷マラガの病院で亡くなった。
1932年マラガ生まれの歌い手。
90年代に得意とするチステ、小話でテレビに出て有名になり、映画に主演するなど人気を博した。
本名グレゴリオ・エステバン・サンチェス・フェルナンデス。
マラガのラ・カルサーダ・デ・ラ・トリニダー地区の生まれ。8歳の時から地元のタブラオで歌っていたという。
踊り伴唱で数々のアルティスタと共演。マドリードの大きな劇場にも出演し、
1964年には国営放送のフラメンコ番組に出演している。
日本にも、1973年秋から1974年春にラウルのグループで、1975年秋から1976年にかけて、リカルドのグループで、と2回ほど、新宿「エル・フラメンコ」に出演した。
80年代にはマラガ、トレモリノスにあった、踊り手マリキージャのタブラオで、高橋英子、俵英三とも共演していたという。
ずいぶん前に引退し、2012年に妻を亡くしてからはマラガで一人暮らし。
10月、家で倒れていたのを発見され、そこからは回復したものの
10月30日、狭心症で入院し、昨夜容態が悪化したという。
冥福を。
1932年マラガ生まれの歌い手。
90年代に得意とするチステ、小話でテレビに出て有名になり、映画に主演するなど人気を博した。
本名グレゴリオ・エステバン・サンチェス・フェルナンデス。
マラガのラ・カルサーダ・デ・ラ・トリニダー地区の生まれ。8歳の時から地元のタブラオで歌っていたという。
踊り伴唱で数々のアルティスタと共演。マドリードの大きな劇場にも出演し、
1964年には国営放送のフラメンコ番組に出演している。
日本にも、1973年秋から1974年春にラウルのグループで、1975年秋から1976年にかけて、リカルドのグループで、と2回ほど、新宿「エル・フラメンコ」に出演した。
80年代にはマラガ、トレモリノスにあった、踊り手マリキージャのタブラオで、高橋英子、俵英三とも共演していたという。
ずいぶん前に引退し、2012年に妻を亡くしてからはマラガで一人暮らし。
10月、家で倒れていたのを発見され、そこからは回復したものの
10月30日、狭心症で入院し、昨夜容態が悪化したという。
冥福を。
2017年11月5日日曜日
日本のフラメンコ 石井智子「ちはやふる 大地の歌」
素晴らしかった。いやあ、本当に素晴らしかった。
これが二日間、2回の公演だけなんてもったいなさすぎる。
美しく、楽しい。非常に完成度の高い作品。
フラメンコが好きな人だけでなく、広く一般に楽しむことができる、そんな作品。
石井智子スペイン舞踊40周年記念公演は11月4日、5日に 北千住シアター1010で。
その4日の公演を見た。第一部は百人一首をテーマとした、和とフラメンコとの競演、第二部はフラメンコだけでなく、民族舞踊であるホタやエスクエラ・ボレーラも取り入れて、広くスペイン舞踊の世界をみせると言う二部構成。その構成も見事なら、それぞれの演目もしっかりと作られていて破綻がない。
独りよがりになることも、観客におもねることもなく、観て美しく、楽しい。
かるたが、花が舞い、水が流れ、モチーフとなった歌の書(桃果)がプロジェクションマッピングで描かれる中、和歌の世界がフラメンコと和の楽器で展開されていく。
太鼓の上でのサパテアード。和のテイストのフラメンコ衣装。
小野小町に扮した石井の美しさ。
和太鼓と尺八に絡む在原業平となったフンコのサパテアード。「Pasión 情熱」
「Melancolía 憂い」での、小町の黒い長い髪はフラメンコ的でもあり、遠くて近い、スペインと日本、フラメンコと私たちを象徴しているようでもある。
客席から登場した太鼓隊とカスタネット鳴らす群舞が競演する「Brisaそよ風」の場面の楽しさは特筆ものだ。太鼓の音にカスタネットも負けていない。フォーメーションでみせる美しさは群舞の醍醐味だろう。モチーフとなった持統天皇の時代、万葉集的なおおらかさが感じられる。
「Lamento 嘆き」ギターと琴の競演は初めて見たが、美しい。お互いを引き立てあうのは、演者の互いへのレスペト、敬意ゆえのことだろう。
「Destino宿命」はチェロと尺八による、スペインを代表する作曲家の一人、アルベニスの「アストゥリアス」で、ふた組のパレハが踊るという趣向。スペインのクラシック音楽と和楽器の出会いは新鮮。また振り付けも美しい。客演の松田知也、土方憲人も好演。
「Firmamento天空」は圧巻の一言。太鼓や琴の音で、華やかに踊る群舞は風であり雲、その中に、天照大神のように降臨する天女、石井智子。その存在感。タイプは違うが、マヌエラ・カラスコのような、女神感が確かにある。よく揃った群舞も華やかで楽しい。
第二部のオープニングはホタ。
跳躍が特徴的なこの舞踊を、子供の時から毎週習っている、地元の人やスペインの公立舞踊学校スペイン舞踊科出身者以外で、これだけ踊るのは珍しい。かつてはスペイン舞踊団の演目としてよく取り上げられ、若き日のファルーコらもピラール・ロペス舞踊団などで踊っていたという。小松原舞踊団時代に、ホタ中興の祖とでもいうべき、ペドロ・アソリンの直接指導を受けた石井が男装で、舞踊団の後輩、中島朋子とパレハで踊る。
足を高く上げるその角度! そして跳躍。男性顔負け。ダイナミックで楽しい。
エル・フンコは椅子に座ってはじめるソレア。シンプルだが、フラメンコのエッセンスが強く感じられるソレア。椅子1脚だけで、ドラマチックに見えてくる。
エスクエラ・ボレーラのセビジャーナスも日本で踊られるのは珍しい。バレエの素養のない人がここまで踊るまでにはどれだけの苦労があったろう。いや、素養があっても、ボレーラ独特の、首のラインとか、軽く曲げた腕のラインとか、非常に難しいはずだ。
真紅のバタ・デ・コーラの石井によるシギリージャ。カスタネットとマントンを使っての伝統を感じさせるシギリージャ。カスタネットの音色に至るまでひたすらに、これもまた美しい。ミゲル・ペレスのギターの素晴らしさ。フアン・ホセ・アマドールの声の深い響き。バックを飾る、堀越千秋の幕が、モライートのシギリージャの調べを思い起こさせる。二人とも今はいない。オマージュを感じる。
同じく堀越の幕が舞台を額のように彩り、洞窟を作り、モスカ、カチューチャ、タンゴなどグラナダのフラメンコをみせる。洞窟のフラメンコの店で踊られているものよりも、より洗練された、舞台のための、舞踊団のための、という感じ、だけど、それは決して悪いことではない。群舞のフォーメーションや子供を使ってのちょっとした芝居風の動きなど、“みせる”工夫が随所に施されている。モスカやカチューチャのコーラスも良かった。
ファルーカはモダンな男装だったが、個人的には、彼女の雰囲気から、クラシカルなアマソナ風の、巻きスカートに丈の短いジャケットといった乗馬服風のものなどもよかったのではないかと思う。
フンコと石井の息子、岩崎蒼生が二人でみせるブレリアも、ちょっと芝居が入った二人の掛け合いが楽しい。それにしても上手くなった。フラメンコを踊る子供、ではなく、踊り手として評価される時が来た。ちょっとした間合いや回転に味があり、スペインで多くの師に学んでいるだけのことはある。
最後はアレグリアス。バタ・デ・コーラでの群舞、最初、練習の時と歌が変わったのか、きっかけが上手くわからなかったような出足の不揃いなどはあったものの、すぐに取り戻す。石井とフンコのパレハも、長年の共演の成果もあるのだろう、息が合っていて、安定感がある。
最後はフンコが歌うタンギージョ。第一部に出演していた太鼓隊なども加わり、楽しいフィエスタ。色とりどりの衣装も、それぞれがある程度自由に踊っているのだろう部分もあって、とにかく楽しく、気分が上がって閉幕を迎える。
ブラボー!
石井の存在感、それをサポートするスペイン人アルティスタたちも一流。
和を意識した衣装や和楽器とのコラボレーションも楽しく、それを彩る、プロジェクションマッピングなど、美術も素晴らしい。照明は、時に、ここはスペインですか?というくらいに暗めだったのがちょっと残念だったけれど。(やっぱ私は踊り手の顔が見たい)
フラメンコを知らない人でも楽しめる内容、構成。作品としての完成度はピカイチ。
衣装も華やかで素晴らしい。
小松原舞踊団での経験、大学の芸術学部での学び、スペイン人たちとの共演、そして自らが主となって作ってきた数々の舞台。そんな経験がぎゅっと凝縮されての舞台だ。
特に良かったのが振り付け。群舞も、全員が同じ振りを客席に向かってするだけではなく、フォーメーションを考えて、工夫されている。また、一人だけがいつも前のセンターというわけではなく、それぞれに見所をちゃんとつくっている、という感じ。また、群舞でも違う振りをするところもあり、タンギージョなどでは個性も垣間見える。
40年のキャリアはだてじゃない。
さて、次は何を見せてくれるのか? 楽しみなことである。
でもその前に、これ、文化庁かどこかお金出してもらって、ぜひ、スペインでもやってもらいたい。日本とスペインの文化の融合、このレベルまで、ってあまりないですよ。
これが二日間、2回の公演だけなんてもったいなさすぎる。
美しく、楽しい。非常に完成度の高い作品。
フラメンコが好きな人だけでなく、広く一般に楽しむことができる、そんな作品。
石井智子スペイン舞踊40周年記念公演は11月4日、5日に 北千住シアター1010で。
その4日の公演を見た。第一部は百人一首をテーマとした、和とフラメンコとの競演、第二部はフラメンコだけでなく、民族舞踊であるホタやエスクエラ・ボレーラも取り入れて、広くスペイン舞踊の世界をみせると言う二部構成。その構成も見事なら、それぞれの演目もしっかりと作られていて破綻がない。
独りよがりになることも、観客におもねることもなく、観て美しく、楽しい。
かるたが、花が舞い、水が流れ、モチーフとなった歌の書(桃果)がプロジェクションマッピングで描かれる中、和歌の世界がフラメンコと和の楽器で展開されていく。
太鼓の上でのサパテアード。和のテイストのフラメンコ衣装。
小野小町に扮した石井の美しさ。
和太鼓と尺八に絡む在原業平となったフンコのサパテアード。「Pasión 情熱」
「Melancolía 憂い」での、小町の黒い長い髪はフラメンコ的でもあり、遠くて近い、スペインと日本、フラメンコと私たちを象徴しているようでもある。
客席から登場した太鼓隊とカスタネット鳴らす群舞が競演する「Brisaそよ風」の場面の楽しさは特筆ものだ。太鼓の音にカスタネットも負けていない。フォーメーションでみせる美しさは群舞の醍醐味だろう。モチーフとなった持統天皇の時代、万葉集的なおおらかさが感じられる。
「Lamento 嘆き」ギターと琴の競演は初めて見たが、美しい。お互いを引き立てあうのは、演者の互いへのレスペト、敬意ゆえのことだろう。
「Destino宿命」はチェロと尺八による、スペインを代表する作曲家の一人、アルベニスの「アストゥリアス」で、ふた組のパレハが踊るという趣向。スペインのクラシック音楽と和楽器の出会いは新鮮。また振り付けも美しい。客演の松田知也、土方憲人も好演。
「Firmamento天空」は圧巻の一言。太鼓や琴の音で、華やかに踊る群舞は風であり雲、その中に、天照大神のように降臨する天女、石井智子。その存在感。タイプは違うが、マヌエラ・カラスコのような、女神感が確かにある。よく揃った群舞も華やかで楽しい。
第二部のオープニングはホタ。
跳躍が特徴的なこの舞踊を、子供の時から毎週習っている、地元の人やスペインの公立舞踊学校スペイン舞踊科出身者以外で、これだけ踊るのは珍しい。かつてはスペイン舞踊団の演目としてよく取り上げられ、若き日のファルーコらもピラール・ロペス舞踊団などで踊っていたという。小松原舞踊団時代に、ホタ中興の祖とでもいうべき、ペドロ・アソリンの直接指導を受けた石井が男装で、舞踊団の後輩、中島朋子とパレハで踊る。
足を高く上げるその角度! そして跳躍。男性顔負け。ダイナミックで楽しい。
エル・フンコは椅子に座ってはじめるソレア。シンプルだが、フラメンコのエッセンスが強く感じられるソレア。椅子1脚だけで、ドラマチックに見えてくる。
エスクエラ・ボレーラのセビジャーナスも日本で踊られるのは珍しい。バレエの素養のない人がここまで踊るまでにはどれだけの苦労があったろう。いや、素養があっても、ボレーラ独特の、首のラインとか、軽く曲げた腕のラインとか、非常に難しいはずだ。
真紅のバタ・デ・コーラの石井によるシギリージャ。カスタネットとマントンを使っての伝統を感じさせるシギリージャ。カスタネットの音色に至るまでひたすらに、これもまた美しい。ミゲル・ペレスのギターの素晴らしさ。フアン・ホセ・アマドールの声の深い響き。バックを飾る、堀越千秋の幕が、モライートのシギリージャの調べを思い起こさせる。二人とも今はいない。オマージュを感じる。
同じく堀越の幕が舞台を額のように彩り、洞窟を作り、モスカ、カチューチャ、タンゴなどグラナダのフラメンコをみせる。洞窟のフラメンコの店で踊られているものよりも、より洗練された、舞台のための、舞踊団のための、という感じ、だけど、それは決して悪いことではない。群舞のフォーメーションや子供を使ってのちょっとした芝居風の動きなど、“みせる”工夫が随所に施されている。モスカやカチューチャのコーラスも良かった。
ファルーカはモダンな男装だったが、個人的には、彼女の雰囲気から、クラシカルなアマソナ風の、巻きスカートに丈の短いジャケットといった乗馬服風のものなどもよかったのではないかと思う。
フンコと石井の息子、岩崎蒼生が二人でみせるブレリアも、ちょっと芝居が入った二人の掛け合いが楽しい。それにしても上手くなった。フラメンコを踊る子供、ではなく、踊り手として評価される時が来た。ちょっとした間合いや回転に味があり、スペインで多くの師に学んでいるだけのことはある。
最後はアレグリアス。バタ・デ・コーラでの群舞、最初、練習の時と歌が変わったのか、きっかけが上手くわからなかったような出足の不揃いなどはあったものの、すぐに取り戻す。石井とフンコのパレハも、長年の共演の成果もあるのだろう、息が合っていて、安定感がある。
最後はフンコが歌うタンギージョ。第一部に出演していた太鼓隊なども加わり、楽しいフィエスタ。色とりどりの衣装も、それぞれがある程度自由に踊っているのだろう部分もあって、とにかく楽しく、気分が上がって閉幕を迎える。
ブラボー!
石井の存在感、それをサポートするスペイン人アルティスタたちも一流。
和を意識した衣装や和楽器とのコラボレーションも楽しく、それを彩る、プロジェクションマッピングなど、美術も素晴らしい。照明は、時に、ここはスペインですか?というくらいに暗めだったのがちょっと残念だったけれど。(やっぱ私は踊り手の顔が見たい)
フラメンコを知らない人でも楽しめる内容、構成。作品としての完成度はピカイチ。
衣装も華やかで素晴らしい。
小松原舞踊団での経験、大学の芸術学部での学び、スペイン人たちとの共演、そして自らが主となって作ってきた数々の舞台。そんな経験がぎゅっと凝縮されての舞台だ。
特に良かったのが振り付け。群舞も、全員が同じ振りを客席に向かってするだけではなく、フォーメーションを考えて、工夫されている。また、一人だけがいつも前のセンターというわけではなく、それぞれに見所をちゃんとつくっている、という感じ。また、群舞でも違う振りをするところもあり、タンギージョなどでは個性も垣間見える。
40年のキャリアはだてじゃない。
さて、次は何を見せてくれるのか? 楽しみなことである。
でもその前に、これ、文化庁かどこかお金出してもらって、ぜひ、スペインでもやってもらいたい。日本とスペインの文化の融合、このレベルまで、ってあまりないですよ。
2017年11月3日金曜日
日本のフラメンコ アルハムブラ、ソラジャ・クラビホ、ホセリート・フェルナンデス
西日暮里の老舗スペイン料理店&タブラオ、アルハムブラで、来日したばかりのソラジャ・クラビホとホセリート・フェルナンデスを迎えての西日フラメンコ交流とでもいうべきライブ。
1部のトップバッターは田中菜穂子。男装でのファルーカ。男装がよく似合う。
ファルーカというと、男性的な直線的な動きで、ギターがサパテアードと絡んでいく、というのが定番。が、ここではパリージョ、カスタネットを使うのだ。初めて見た。
彼女が師、ロシオ・アルカイデに学んだものだという。
通常は歌は最初に少し入るくらいなのだが、ここでは歌もたっぷり、というのも珍しい。
カスタネットを手につけているので、ファルーカの特徴である直接的な腕の動きが少なくなってしまうのはちょっと残念。また、せっかくカスタネットを使うなら、サパテアードとギターの掛け合いで見せるような、音の競演が見たかったかも。
通常、それを使わない曲目で使うならば、ああ、これだから使うんだ、と納得させることが必要なように思う。それだけ難しいことにトライしたわけで今後が期待。
二人目の野上裕美はアレグリアス。ここで出演者全員が舞台に上がってクアドロ風に。
上がっていたのだろうか。曲の間中、ずーっと怖い顔。真剣さの表れかもしれないが、アレグリアスには似合わない。ニコニコ笑わなくとも、せめて口角上げて、アレグリアスのアイレ、空気を表情でも表現するべきだと思う。踊りは体の動きだけでなく、顔の表情や衣装なども含めて表現するものだ。
1部の最後を締めたのは、お久しぶりなホセリート・フェルナンデス。
フェステーロ風にブレリアを歌い、そこからソレアへ。
サパテアードで押していく、きっちり構成された今風のソレアではなく、マルカールとサパテアードでの、昔風の、アイローサな、雰囲気のあるソレアで、かえって新鮮。とにかくナチュラルなのだ。気負ったところの全くない、普通の、自然なフラメンコ。ああ、こういうのって、日本にはないよなあ。
2部はクアドロ風に全員舞台に座って。
瀬戸口琴葉はシギリージャ。動きはいい。が、シギリージャらしい重みが感じられない。フラメンコのペソは年齢によって得られるところも多いので仕方ないのかな。フレッシュなシギリージャも決して悪くはないのだが、やはり重みが欲しい。振り付けのメリハリ、歌との関係、まだまだ学ぶことは多いだろう。他の曲を見てみたい。
正路あすかはソレア。以前見たものとは全く違う、ドラマチックなもの。といっても芝居仕立てなのではない。表現がドラマチックなのだ。グラナダ風の小さなブラソが彼女らしさになっている。ただ少々長い感じがあるので、あともう少し整理できればもっと良くなるのではないか。
閉幕を飾ったのはソラジャ。バタ・デ・コーラでのアレグリアス。シンプルなバタはセビージャ風の豪華なバタではない。が、元気はつらつなソラジャには似つかわしい、かも。
歌と掛け合いしたり、鉄火肌フラメンコの面目躍如。
慣れない共演者でも、ミュージシャンをリードしてしっかり仕事をしているソラジャはやっぱりすごい。キャリアはダテじゃない。
最後は全員でフィン・デ・フィエスタ。
フラメンコはいいなあ。日本とスペイン、距離が一挙に縮まる。
追記
舞台で、日本人のカンテでスペイン人が踊るのを見たのは今回が初めてだったので感慨ひとしお。私がスペインに行った三十年前は、日本人のライブはギター伴奏のみが定番で、歌が入るのは特別な公演の時くらい、という時代でありました。それが今や、プロではない生徒さんクラスのイベントなどでも歌が入る。すごいなあ。もちろん、スペインのレベルからしたらまだまだです。
今回の歌い手さんも、口跡がいいというのか、レトラが聞き取りやすいな、いろいろなレトラをよく知って歌ってらっしゃるな、すごいな、とは思いましたが、正直、あれ、ここでそのレトラはないんじゃないか、とか思ったり、タイミングにうーん、と思ったりもしました。
ここでそのレトラ、という感覚、これはどこかに決まりが書いてある、とかいうわけではないので、あくまで例えばですが、リズムを上げた後とかにはシリアスすぎるレトラは来ないよなあ、とか、そういう感じのことなのですが。スペイン人の歌い手を見ていてこんな風に思うことはほぼないので、なんか不思議な感じでした。ちなみにこれは彼女にだけでなく、他の日本人の歌い手さんでも感じたことはありますよ。念のため。
ま、踊りが歌を引っ張るわけではあるのですが、歌が始まってしまえば、踊りもそちらに合わせねばならないところもあり、なので、難しいですね。
いい歌があると自然に体が動く、というようなことは実際あると思いますし、ソロとしてのカンテは上手でも舞踊伴唱の経験がない場合、うまくいかないこともあるでしょう。
ソラジャは日本人の歌い手の歌を、引っ張って、自分の踊りの中に入れていきました。すごいなあ。今へレスに住んで、若手の歌い手やギタリストたちも、彼女との共演で学ぶことが多いと感謝されているそうですが、さもありなん。彼女からは踊り以外にも学ぶことがたくさんあるはず。共演の機会がある日本人はラッキーです。
追記の追記
今日、あるアルティスタと話していて気づいたのですが、レトラの選び方が、という批評ということは、それだけレベルが高いアルティスタだから、ということでもあるのですよね。発音、コンパス、音程、レトラの知識、踊りの知識、と一通りのことができているからこそ、歌詞の選び方などで不満が出てくるわけで。
30年前、歌のないフラメンコが普通だったことを思えば、本当、時代は変わりました。
すごいな。頑張れ、日本人カンタオーレス!
1部のトップバッターは田中菜穂子。男装でのファルーカ。男装がよく似合う。
ファルーカというと、男性的な直線的な動きで、ギターがサパテアードと絡んでいく、というのが定番。が、ここではパリージョ、カスタネットを使うのだ。初めて見た。
彼女が師、ロシオ・アルカイデに学んだものだという。
通常は歌は最初に少し入るくらいなのだが、ここでは歌もたっぷり、というのも珍しい。
カスタネットを手につけているので、ファルーカの特徴である直接的な腕の動きが少なくなってしまうのはちょっと残念。また、せっかくカスタネットを使うなら、サパテアードとギターの掛け合いで見せるような、音の競演が見たかったかも。
通常、それを使わない曲目で使うならば、ああ、これだから使うんだ、と納得させることが必要なように思う。それだけ難しいことにトライしたわけで今後が期待。
二人目の野上裕美はアレグリアス。ここで出演者全員が舞台に上がってクアドロ風に。
上がっていたのだろうか。曲の間中、ずーっと怖い顔。真剣さの表れかもしれないが、アレグリアスには似合わない。ニコニコ笑わなくとも、せめて口角上げて、アレグリアスのアイレ、空気を表情でも表現するべきだと思う。踊りは体の動きだけでなく、顔の表情や衣装なども含めて表現するものだ。
1部の最後を締めたのは、お久しぶりなホセリート・フェルナンデス。
フェステーロ風にブレリアを歌い、そこからソレアへ。
サパテアードで押していく、きっちり構成された今風のソレアではなく、マルカールとサパテアードでの、昔風の、アイローサな、雰囲気のあるソレアで、かえって新鮮。とにかくナチュラルなのだ。気負ったところの全くない、普通の、自然なフラメンコ。ああ、こういうのって、日本にはないよなあ。
2部はクアドロ風に全員舞台に座って。
瀬戸口琴葉はシギリージャ。動きはいい。が、シギリージャらしい重みが感じられない。フラメンコのペソは年齢によって得られるところも多いので仕方ないのかな。フレッシュなシギリージャも決して悪くはないのだが、やはり重みが欲しい。振り付けのメリハリ、歌との関係、まだまだ学ぶことは多いだろう。他の曲を見てみたい。
正路あすかはソレア。以前見たものとは全く違う、ドラマチックなもの。といっても芝居仕立てなのではない。表現がドラマチックなのだ。グラナダ風の小さなブラソが彼女らしさになっている。ただ少々長い感じがあるので、あともう少し整理できればもっと良くなるのではないか。
閉幕を飾ったのはソラジャ。バタ・デ・コーラでのアレグリアス。シンプルなバタはセビージャ風の豪華なバタではない。が、元気はつらつなソラジャには似つかわしい、かも。
歌と掛け合いしたり、鉄火肌フラメンコの面目躍如。
慣れない共演者でも、ミュージシャンをリードしてしっかり仕事をしているソラジャはやっぱりすごい。キャリアはダテじゃない。
最後は全員でフィン・デ・フィエスタ。
フラメンコはいいなあ。日本とスペイン、距離が一挙に縮まる。
追記
舞台で、日本人のカンテでスペイン人が踊るのを見たのは今回が初めてだったので感慨ひとしお。私がスペインに行った三十年前は、日本人のライブはギター伴奏のみが定番で、歌が入るのは特別な公演の時くらい、という時代でありました。それが今や、プロではない生徒さんクラスのイベントなどでも歌が入る。すごいなあ。もちろん、スペインのレベルからしたらまだまだです。
今回の歌い手さんも、口跡がいいというのか、レトラが聞き取りやすいな、いろいろなレトラをよく知って歌ってらっしゃるな、すごいな、とは思いましたが、正直、あれ、ここでそのレトラはないんじゃないか、とか思ったり、タイミングにうーん、と思ったりもしました。
ここでそのレトラ、という感覚、これはどこかに決まりが書いてある、とかいうわけではないので、あくまで例えばですが、リズムを上げた後とかにはシリアスすぎるレトラは来ないよなあ、とか、そういう感じのことなのですが。スペイン人の歌い手を見ていてこんな風に思うことはほぼないので、なんか不思議な感じでした。ちなみにこれは彼女にだけでなく、他の日本人の歌い手さんでも感じたことはありますよ。念のため。
ま、踊りが歌を引っ張るわけではあるのですが、歌が始まってしまえば、踊りもそちらに合わせねばならないところもあり、なので、難しいですね。
いい歌があると自然に体が動く、というようなことは実際あると思いますし、ソロとしてのカンテは上手でも舞踊伴唱の経験がない場合、うまくいかないこともあるでしょう。
ソラジャは日本人の歌い手の歌を、引っ張って、自分の踊りの中に入れていきました。すごいなあ。今へレスに住んで、若手の歌い手やギタリストたちも、彼女との共演で学ぶことが多いと感謝されているそうですが、さもありなん。彼女からは踊り以外にも学ぶことがたくさんあるはず。共演の機会がある日本人はラッキーです。
追記の追記
今日、あるアルティスタと話していて気づいたのですが、レトラの選び方が、という批評ということは、それだけレベルが高いアルティスタだから、ということでもあるのですよね。発音、コンパス、音程、レトラの知識、踊りの知識、と一通りのことができているからこそ、歌詞の選び方などで不満が出てくるわけで。
30年前、歌のないフラメンコが普通だったことを思えば、本当、時代は変わりました。
すごいな。頑張れ、日本人カンタオーレス!
2017年10月29日日曜日
日本のフラメンコ 高橋英子「Vente a mi Cueva私のクエバ(洞窟)で待ってます!」
ガロルチでの高橋英子のライブは「ベンテ・ア・ミ・クエバ」、直訳だと私の洞窟においで、だが、タイトルとしては私のクエバで待っています、とか。
フラメンコで、クエバ、洞窟といえば、グラナダのヒターノたちが暮らしたサクロモンテの洞窟のことで、家であり、フラメンコを見せる店であり…グラナダで長く暮らした高橋ならではのタイトルだろう。実際、クエバを持っていたのだと聞いたことがある。
第一部は、グラナイーナからファンダンゴ・デ・グラナダ、タンゴと進む、グラナダ・アンソロジー的曲で開幕。私が彼女の踊りを見るのは何年振りだろう。以前の印象、とにかくプーロな感じのフラメンコとはだいぶ違う。正直、ちょっとひやっとするところもないではなかったが、小さめのブラソがグラナダ風で、雰囲気がある。個性的だ。
鈴木尚伴奏での石塚隆充のカンテソロはソレア。歌とギターはあまり相性がよくないようにみえたのは気のせい?
大塚友美のバンベーラ。舞台に出てきた時、肩にかけた長方形のシージョで、カルメン・レデスマみたいと思ったのが当たりだったようだ。カルメン風ではあるのだが、カルメンやコンチャ・バルガスのような、シンプルな振りは本当に難しい。
プログラムだとこれで終わりのはずで、場内放送もあったのだが、舞台からもう一曲、と声がかかり、高橋のソロ。タンバリンを使ってのサンブラ。ギターの古い響き。雰囲気がある。
高橋の踊りは、クエバ風というか、劇場の大舞台でのような大きな踊りではなく、クエバのような限られた空間でのような、小さな、親密な感じのものだ。
第二部はクアドロとなっており、実際、舞台に出演者全員がいて、一緒に歌い、踊ると言う形。タイトルにあるように、高橋のクエバにやってきてフィエスタをしているという趣向。ちょっと芝居掛かった喋りがあったり、昔のタブラオのクアドロ風のハレオを歌ってパルマで遊んだり。高橋は歌い、語り、踊る。
グラナダのフラメンコの名物おじさん的存在、クーロ・アルバイシンのように、芝居っぽく語り始めたかと思うと、エネルギッシュなクエバのおばちゃんのように、歌い踊る。
自由に、フラメンコを遊ぶ。歌がうまいわけではない。でも大好きで歌っているのが伝わってくる。フラメンコの楽しさを伝えようと頑張っていることが。
細かいことを言ったらきりがない。
ハレオ(ニーニャ・デ・ラ・ベンタとかサペサペトか、これ、昔エンリケ坂井さんのパルマ教室でやってたのと同じで懐かしい)は全員で一緒に歌っていた方がそれっぽいし、スペイン語の語りはもっとオーバーに芝居掛かって、それこそクーロのようにやっていいと思う。台本はないんだろうと思うのだけど、あるのかな?もっと工夫できるかも。
カルメン・ポルセルが化粧しないのはアレルギーかなんかなのだろうか? 美人さんなんだから口紅とかつけた方がもっと綺麗だと思うし、彼女のルンベーラももっと芝居がかるというか、オーバーなくらいに入り込んでやって欲しいところだ。
そう、こういうのってその気になってやった方が勝ちなのである。
それでも、フラメンコの伝統も、空気も、生活も、何もないけれど、少しずつフラメンコへの愛が育ってきた日本に、フラメンコってこんなに楽しいのよ、フラメンコにはこんな楽しみ方もあるのよ、と全身で語りかけてくる。
そうなんだよね。
スペインにはいろんなフラメンコがある。
決して舞台の上だけのものではないし、シリアスなものだけでなく、コミカルなものもある。やったもん勝ち、楽しんだもん勝ち、なところもある。もちろん、一人でやるものではないから、周りや自分を見極めることも、空気を読むことも必要だ。でもまずは楽しもう。眉間にしわよせて踊るだけじゃもったいないよ。観て楽しみ、歌い踊って楽しむ。
うん、みんなでもっと楽しもう、フラメンコを。
フラメンコで、クエバ、洞窟といえば、グラナダのヒターノたちが暮らしたサクロモンテの洞窟のことで、家であり、フラメンコを見せる店であり…グラナダで長く暮らした高橋ならではのタイトルだろう。実際、クエバを持っていたのだと聞いたことがある。
第一部は、グラナイーナからファンダンゴ・デ・グラナダ、タンゴと進む、グラナダ・アンソロジー的曲で開幕。私が彼女の踊りを見るのは何年振りだろう。以前の印象、とにかくプーロな感じのフラメンコとはだいぶ違う。正直、ちょっとひやっとするところもないではなかったが、小さめのブラソがグラナダ風で、雰囲気がある。個性的だ。
鈴木尚伴奏での石塚隆充のカンテソロはソレア。歌とギターはあまり相性がよくないようにみえたのは気のせい?
大塚友美のバンベーラ。舞台に出てきた時、肩にかけた長方形のシージョで、カルメン・レデスマみたいと思ったのが当たりだったようだ。カルメン風ではあるのだが、カルメンやコンチャ・バルガスのような、シンプルな振りは本当に難しい。
プログラムだとこれで終わりのはずで、場内放送もあったのだが、舞台からもう一曲、と声がかかり、高橋のソロ。タンバリンを使ってのサンブラ。ギターの古い響き。雰囲気がある。
高橋の踊りは、クエバ風というか、劇場の大舞台でのような大きな踊りではなく、クエバのような限られた空間でのような、小さな、親密な感じのものだ。
第二部はクアドロとなっており、実際、舞台に出演者全員がいて、一緒に歌い、踊ると言う形。タイトルにあるように、高橋のクエバにやってきてフィエスタをしているという趣向。ちょっと芝居掛かった喋りがあったり、昔のタブラオのクアドロ風のハレオを歌ってパルマで遊んだり。高橋は歌い、語り、踊る。
グラナダのフラメンコの名物おじさん的存在、クーロ・アルバイシンのように、芝居っぽく語り始めたかと思うと、エネルギッシュなクエバのおばちゃんのように、歌い踊る。
自由に、フラメンコを遊ぶ。歌がうまいわけではない。でも大好きで歌っているのが伝わってくる。フラメンコの楽しさを伝えようと頑張っていることが。
細かいことを言ったらきりがない。
ハレオ(ニーニャ・デ・ラ・ベンタとかサペサペトか、これ、昔エンリケ坂井さんのパルマ教室でやってたのと同じで懐かしい)は全員で一緒に歌っていた方がそれっぽいし、スペイン語の語りはもっとオーバーに芝居掛かって、それこそクーロのようにやっていいと思う。台本はないんだろうと思うのだけど、あるのかな?もっと工夫できるかも。
カルメン・ポルセルが化粧しないのはアレルギーかなんかなのだろうか? 美人さんなんだから口紅とかつけた方がもっと綺麗だと思うし、彼女のルンベーラももっと芝居がかるというか、オーバーなくらいに入り込んでやって欲しいところだ。
そう、こういうのってその気になってやった方が勝ちなのである。
それでも、フラメンコの伝統も、空気も、生活も、何もないけれど、少しずつフラメンコへの愛が育ってきた日本に、フラメンコってこんなに楽しいのよ、フラメンコにはこんな楽しみ方もあるのよ、と全身で語りかけてくる。
そうなんだよね。
スペインにはいろんなフラメンコがある。
決して舞台の上だけのものではないし、シリアスなものだけでなく、コミカルなものもある。やったもん勝ち、楽しんだもん勝ち、なところもある。もちろん、一人でやるものではないから、周りや自分を見極めることも、空気を読むことも必要だ。でもまずは楽しもう。眉間にしわよせて踊るだけじゃもったいないよ。観て楽しみ、歌い踊って楽しむ。
うん、みんなでもっと楽しもう、フラメンコを。
2017年10月28日土曜日
日本のフラメンコ AMIフラメンコ・リサイタル公演Mi Sentir Madre〜母〜
いやあ、そうきましたか。意外。
AMIといえば、マドリード、セビージャで学び、コルドバのコンクールでグアヒーラを踊って日本人として唯一、優勝した人。いわゆるエスクエラ・セビジャナーナ、セビージャ風の女性舞踊を会得し、優雅な舞には定評がある。
だから今度も、と思っていたのだが、この公演ではフラメンコをフラメンコとして踊るのではなく、母と娘というテーマを、フラメンコを言語として使って表現する、というものだった。いわば、フラメンコを使っての創作舞踊。
妊娠、出産、子育て、娘の反抗期、母娘の軋轢、母の子への思い、母の老い、そして別れ、と3組の母娘で描いていくというもの。
シンプルなストーリー。女性なら誰もが見につまされるところがある物語。
母への思い。母の思い。娘の思い。
師と弟子もまた、母娘のようなものなのかもしれない。
最初の場面は「誕生まで」マノロ・サンルーカルの名作「タウロマヒア」のアレグリアス「プエルタ・デ・プリンシペ」での「胎児の力」というシーンに始まる。音楽こそフラメンコだが、踊り自体はフラメンコに縛られない、自由な創作。
続く「妊婦の願い」は、ジャズ風ピアノ伴奏のナナ(誰だろう?パシオン・ベガらスペイン歌謡系とも思ったけど、アクセントからして外国人?わからない)も録音。ブレリアでやっと生演奏に。ダビ・ラゴスのリガール、音のつなげ方にオレ!
子供を失った母をAMIがソロで踊るが、これもピアノの録音。髪型のせいか、AMIの姿に、その師岡田昌己の姿が重なる。会場にいらした岡田氏にいうと「全然違う」ということなのだけど、私にはその佇まいが師を思い出させた。
「幼児期の幸せ」はタンギージョ、「子供の成長」はグアヒーラ、というようにフラメンコ曲を使って、フラメンコな振り付けも使われてはいる。でも、あくまでもテーマ優先。
独立したフラメンコ曲とはなっていない、という感じを受ける。それでもグアヒーラの足使いなどに素敵なデテールがあって、ちょっとハッピーにしてくれる。
レトラも母を歌ったものなどを多く歌っているし、オリジナル?と思われるものもあるのだが、聞き取りにくく、その内容を全部理解できた人は少ないだろう。音響は今ひとつ。
パルマの音が大きすぎたり、ギターや歌が大きすぎて靴音を消したり。残念。
母の子への思いや老いていく母と近くにいない娘の場面など、外国に暮らす私もそうだが、身につまされた人が多かったのだろう、あちこちですすり泣きが聞こえた。
最後は、母との別れをイメージさせる場面で終わる。
普遍的なテーマをシンプルな形で表現し、伝えたかったことはおそらく完璧に伝わっているだろう。が、フラメンコのリサイタルとしてみたら食い足りない。マイムや表情で言いたいだろうことは伝わるのだけれど。
ここで出演者はお辞儀をして、一旦終わりといった感じがあるのだが、その後、すぐ、ミュージシャンたちのカディスのブレリアが始まり、アレグリアスへ。華やかなバタ・デ・コーラのAMIの一人舞。ミラグロス譲りのパソがいろいろ出てきて、その見事な演技にオレ。
これはフラメンコを目当てに来たお客さんへのサービス? でもこの踊りを、作品のフィン・デ・フィエスタとしてでなく、作品の中に組み込むこともできたのでは?
ひとつのフラメンコの曲としても見ることができて、全体の流れで、テーマを伝える、というのもありなのでは?
バタさばきはさすがだが、衣装が彼女には役不足。丁寧な仕事が施されたバタなのだが、バタの部分にハリがなく(バタの部分の裏のフリルが少ない?そこの生地がぺしゃんとなってる?)せっかくのバタさばきに応えきれていない。バタの足使いが見えるのは、練習生には勉強になるだろうが、普通はあんなに見えないはず。残念。
群舞は、水玉衣装でセビージャぽいタンゴ。個性も見え隠れして楽しい。
そして盛んな拍手に応えて挨拶、また挨拶。
日本人が、フラメンコを演じる時代から、フラメンコを自分の言語として使う時代になったと見るべきなのだろう。それも上辺だけで捉えた、見せかけだけのフラメンコではなく、しっかり基本を抑えたフラメンコ。
うーん、でも個人的には、物語とフラメンコ曲の両立が見たいかもしれない。
母への思いも、母娘の歴史を追う以外でも表現できたのではないか、とも思う。
母娘を3組登場させたのは普遍性を表すため? でも本当にその必要があったのだろうか。また母役娘役を踊るダンサーが固定していたが、見た目年齢が近いからどちらが母かと戸惑う感じも正直あった。場面ごとにもっと自由に変えてもよかったかも? 母もまた娘であり、娘もまた母になるかもだし。あ、それじゃ複雑で舞踊では伝えきれない?
いや、そんなことはないでしょう。。。
などと見る側はいろいろ考えます。
でもいろいろと考えさせてくれる作品に出会えたことは良かった。
また次のAMIが見てみたい。
AMIといえば、マドリード、セビージャで学び、コルドバのコンクールでグアヒーラを踊って日本人として唯一、優勝した人。いわゆるエスクエラ・セビジャナーナ、セビージャ風の女性舞踊を会得し、優雅な舞には定評がある。
だから今度も、と思っていたのだが、この公演ではフラメンコをフラメンコとして踊るのではなく、母と娘というテーマを、フラメンコを言語として使って表現する、というものだった。いわば、フラメンコを使っての創作舞踊。
妊娠、出産、子育て、娘の反抗期、母娘の軋轢、母の子への思い、母の老い、そして別れ、と3組の母娘で描いていくというもの。
シンプルなストーリー。女性なら誰もが見につまされるところがある物語。
母への思い。母の思い。娘の思い。
師と弟子もまた、母娘のようなものなのかもしれない。
最初の場面は「誕生まで」マノロ・サンルーカルの名作「タウロマヒア」のアレグリアス「プエルタ・デ・プリンシペ」での「胎児の力」というシーンに始まる。音楽こそフラメンコだが、踊り自体はフラメンコに縛られない、自由な創作。
続く「妊婦の願い」は、ジャズ風ピアノ伴奏のナナ(誰だろう?パシオン・ベガらスペイン歌謡系とも思ったけど、アクセントからして外国人?わからない)も録音。ブレリアでやっと生演奏に。ダビ・ラゴスのリガール、音のつなげ方にオレ!
子供を失った母をAMIがソロで踊るが、これもピアノの録音。髪型のせいか、AMIの姿に、その師岡田昌己の姿が重なる。会場にいらした岡田氏にいうと「全然違う」ということなのだけど、私にはその佇まいが師を思い出させた。
「幼児期の幸せ」はタンギージョ、「子供の成長」はグアヒーラ、というようにフラメンコ曲を使って、フラメンコな振り付けも使われてはいる。でも、あくまでもテーマ優先。
独立したフラメンコ曲とはなっていない、という感じを受ける。それでもグアヒーラの足使いなどに素敵なデテールがあって、ちょっとハッピーにしてくれる。
レトラも母を歌ったものなどを多く歌っているし、オリジナル?と思われるものもあるのだが、聞き取りにくく、その内容を全部理解できた人は少ないだろう。音響は今ひとつ。
パルマの音が大きすぎたり、ギターや歌が大きすぎて靴音を消したり。残念。
母の子への思いや老いていく母と近くにいない娘の場面など、外国に暮らす私もそうだが、身につまされた人が多かったのだろう、あちこちですすり泣きが聞こえた。
最後は、母との別れをイメージさせる場面で終わる。
普遍的なテーマをシンプルな形で表現し、伝えたかったことはおそらく完璧に伝わっているだろう。が、フラメンコのリサイタルとしてみたら食い足りない。マイムや表情で言いたいだろうことは伝わるのだけれど。
ここで出演者はお辞儀をして、一旦終わりといった感じがあるのだが、その後、すぐ、ミュージシャンたちのカディスのブレリアが始まり、アレグリアスへ。華やかなバタ・デ・コーラのAMIの一人舞。ミラグロス譲りのパソがいろいろ出てきて、その見事な演技にオレ。
これはフラメンコを目当てに来たお客さんへのサービス? でもこの踊りを、作品のフィン・デ・フィエスタとしてでなく、作品の中に組み込むこともできたのでは?
ひとつのフラメンコの曲としても見ることができて、全体の流れで、テーマを伝える、というのもありなのでは?
バタさばきはさすがだが、衣装が彼女には役不足。丁寧な仕事が施されたバタなのだが、バタの部分にハリがなく(バタの部分の裏のフリルが少ない?そこの生地がぺしゃんとなってる?)せっかくのバタさばきに応えきれていない。バタの足使いが見えるのは、練習生には勉強になるだろうが、普通はあんなに見えないはず。残念。
群舞は、水玉衣装でセビージャぽいタンゴ。個性も見え隠れして楽しい。
そして盛んな拍手に応えて挨拶、また挨拶。
日本人が、フラメンコを演じる時代から、フラメンコを自分の言語として使う時代になったと見るべきなのだろう。それも上辺だけで捉えた、見せかけだけのフラメンコではなく、しっかり基本を抑えたフラメンコ。
うーん、でも個人的には、物語とフラメンコ曲の両立が見たいかもしれない。
母への思いも、母娘の歴史を追う以外でも表現できたのではないか、とも思う。
母娘を3組登場させたのは普遍性を表すため? でも本当にその必要があったのだろうか。また母役娘役を踊るダンサーが固定していたが、見た目年齢が近いからどちらが母かと戸惑う感じも正直あった。場面ごとにもっと自由に変えてもよかったかも? 母もまた娘であり、娘もまた母になるかもだし。あ、それじゃ複雑で舞踊では伝えきれない?
いや、そんなことはないでしょう。。。
などと見る側はいろいろ考えます。
でもいろいろと考えさせてくれる作品に出会えたことは良かった。
また次のAMIが見てみたい。
2017年10月27日金曜日
マドリード・エン・ダンサ2017
マドリード共同体の舞踊祭、マドリード・エン・ダンサ2017のプログラムが発表された。
アイーダ・ゴメスが監督を務めるこのフェスティバル、フラメンコ&スペイン舞踊のプログラムも充実。
アントニオ・カナーレスは彼の出世作というべき「トレロ」を再演。
かつて牛を踊ったアンヘル・ロハスが闘牛士を踊り、またカナーレス門下のポル・バケーロが闘牛士と牛の両方を日替わりで踊る。
カナーレス自身は「ベルナルダ」でベルナルダを踊る予定。
他にもダニエル・ドーニャやイサベル・バジョンら充実のプログラム。ただし、へレスのフェスティバルでも観ることができる作品が多い。
アイーダ・ゴメスが監督を務めるこのフェスティバル、フラメンコ&スペイン舞踊のプログラムも充実。
アントニオ・カナーレスは彼の出世作というべき「トレロ」を再演。
かつて牛を踊ったアンヘル・ロハスが闘牛士を踊り、またカナーレス門下のポル・バケーロが闘牛士と牛の両方を日替わりで踊る。
カナーレス自身は「ベルナルダ」でベルナルダを踊る予定。
他にもダニエル・ドーニャやイサベル・バジョンら充実のプログラム。ただし、へレスのフェスティバルでも観ることができる作品が多い。
◇マドリード・エン・ダンサ2017
11/21(火)、22(水)20時「アビタット」
[出]〈b〉ダニエル・ドーニャ、クリスティアン・マルティン、アルフレド・バレロ、ダビ・バスケス
[場]マドリード カナル劇場サラ・ベルデ
11/25(土)20時「アタンド・カボス」
[出]〈b〉マリアノ・ベルナル、〈c〉ロシオ・バサン、〈g〉ラモン・アマドール、〈〈perc〉〉ボテージャ
[場]マドリード圏 セントロ・コマルカル・デ・ウマニダデス カルデナル・ゴンサガ シエラ・ノルテ
12/2(土)20時30分、3(日)19時30分「トレロ」「ベルナルダ」
[出]〈b〉アントニオ・カナーレス舞踊団
[場]マドリード カナル劇場サラ・ロハ
12/6(水)20時30分「ペティサ・ロカ」
[出]〈b〉サラ・カレーロ、〈c〉ヘマ・カバジェーロ、〈g〉ホセ・アルマルチャ
[場]マドリード カナル劇場サラ・ロハ
12/10(日)19時30分「ベシノス」
[出]〈b〉マルコス・ダンサ(カルロス・チャモロ、マリアナ・コジャド)
[場]マドリード圏サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル レアル・コリセオ・デ・カルロスIII
12/12(火)20時30分「カテドラル」
[出]〈b〉パトリシア・ゲレーロ
[場]マドリード カナル劇場サラ・ロハ
12/13(水)20時30分「ジュジュ」
[出]〈b〉イサベル・バジョン
[場]マドリード カナル劇場サラ・ロハ
[問]http://www.madrid.org/madridendanza/2017/programacion.html
2017年10月23日月曜日
ヘレスのフェスティバル、プログラム発表
ヘレスのプログラムが発表になりました!
前売り開始は11月2日木曜日。
フェスティバル主催のクルシージョに申し込んでいる人は、期間中のビジャマルタ劇場の公演の入場券は含まれていますが、その他の会場の公演や期間外の公演は別途購入せねばなりません。人気の公演は売り切れになることも多いので早めにチェック、が吉ですよ。
前売り開始は11月2日木曜日。
フェスティバル主催のクルシージョに申し込んでいる人は、期間中のビジャマルタ劇場の公演の入場券は含まれていますが、その他の会場の公演や期間外の公演は別途購入せねばなりません。人気の公演は売り切れになることも多いので早めにチェック、が吉ですよ。
◆第22回ヘレス・フェスティバル
2/23(金)21時「エリターニャ」「万トンのソレア」「サパテアード」「アレント」
[出]〈b〉スペイン国立バレエ
[場]ビジャマルタ劇場
2/23(金)24時「ドス・パルテス・デ・ミ」
[出]〈g〉アントニオ・レイ、ゲスト〈b〉ホアキン・グリロ
[場]ボデガ・ゴンサレス・ビアス
2/24(土)19時
[出]〈g〉ダビ・カルモナ、ゲスト〈c〉ルイス・エル・サンボ
[場]サラ・パウル
2/24(土)21時「バイレ・デ・アウトール」
[出]〈b〉マヌエル・リニャン
[場]ビジャマルタ劇場
2/24(土)24時「ディエス・ルストロス・デ・カンテ」
[出]〈c〉ビセンテ・ソト、ゲスト〈c〉ラ・マカニータ、メルチョーラ・オルテガ、レラ・ソト、〈g〉パリージャ・デ・ヘレス、アルフレド・ラゴス、ディエゴ・デル・モラオ、マヌエル・バレンシア、フアン・ディエゴ、ノノ・ヘロ
[場]ボデガ・ゴンサレス・ビアス
2/25(日)19時「デリリウム・トレメンス」
[出]〈c〉ロサリオ・ラ・トレメンディータ
[場]ボデガ・ゴンサレス・ビアス
2/25(日)21時「ラ・パウラ」
[出]〈b〉ラ・ルピ、ゲスト〈c〉マリア・テレモート
[場]ビジャマルタ劇場
2/25(日)24時「エモベレ」
[出]〈b〉ルシア・ラ・ピニョーナ、演出ホセ・マルドナード
[場]サラ・パウル
2/26(月)19時「バホ・デ・ギア」
[出]〈sax, flauta〉ディエゴ・ビジェーガス、ゲスト〈b〉マリア・モレーノ
[場]サラ・パウル
2/26(月)21時「フラメンカ
[出]〈b〉ベレン・ロペス
[場]サラ・コンパニア
2/27(火)19時「レディトゥム」
[出]〈b〉ホセ・バリオス
[場]サラ・コンパニア
2/27(火)21時「バモアジャ」初演
[出]〈b〉フラメンコ国際舞踊団、ゲスト〈b〉小島章司
[場]ビジャマルタ劇場
2/27(土)24時「ライセス」
[出]〈c〉マリア・テレモート
[場]ボデガ・ゴンサレス・ビアス
2/28(水)13時「シン・ペルミソ・デ・レシデンシア」
[出]〈b〉アナ・モラーレス
[場]
2/28(水)19時「フィルマメント」
[出]〈c〉ロシオ・マルケス
[場]ボデガ・ゴンサレス・ビアス
2/28(水)21時「カイダ・デル・シエロ」
[出]〈b〉ロシオ・モリーナ
[場]ビジャマルタ劇場
2/28(水)24時「センティオ・カバル、バイランド・パ・カンター」
[出]〈b〉ミゲル・アンヘル・エレディア、ゲスト〈b〉コンチャ・バルガス
[場]サラ・コンパニア
3/1(木)19時「3デウノ」
[出]〈g〉エミリオ・オチャンド、特別協力マカリネス
[場]サラ・コンパニア
3/1(木)21時「コンーセクエンシア」
[出]〈b〉アルフォンソ・ロサ
[場]ビジャマルタ劇場
3/2(金)19時「ロ・トライゴ・アンダオ」
[出]〈c〉ヘマ・カバジェーロ、〈g〉ハビエル・パティノ
[場]サラ・コンパニア
3/2(金)21時「ケ・パサリア・シ・パサラ」
[出]〈c〉ダビ・パロマール、〈g〉リキ・リベラ、〈b〉エル・フンコ、〈perc〉ロベルト・ハエン
[場]ビジャマルタ劇場
3/2(金)24時「エル・ソニド・デ・ミス・ディアス」
[出]〈b〉ヘマ・モネオ、ゲスト〈c〉ルイス・モネオ
[場]サラ・パウル
3/3(土)19時「ラ・ギターラ・エン・エル・ティエンポ」
[出]〈g〉サンティアゴ・ララ
[場]サラ・パウル
3/3(土)21時「ラ・トゥルネエ」
[出]〈b〉アンドレス・ペーニャ、ピラール・オガージャ、演出ダビ・コリア
[場]ビジャマルタ劇場
3/3(土)24時「ラス・プエルタス・デ・ガデス」
[出]〈c〉エンカルナ・アニージョ、ゲスト〈b〉エドゥアルド・ゲレーロ
[場]サラ・コンパニア
3/4(日)19時「ADM」
[出]〈b〉モリネーロ・エン・コンパニア
[場]サラ・コンパニア
3/4(日)21時「フラメンコ、トラディシオン、バングアルディア。プロジェクト・カンテーラ」
[出]〈b〉アンダルシア舞踊団
[場]ビジャマルタ劇場
3/5(月)19時「トリノ、フラメンコ・プーロ舞踊国際コンクール・ガラ」
[場]サラ・コンパニア
3/5(月)21時30分「プントス・イナカバードス」
[出]〈b〉ヘスース・フェルナンデス、ゲスト〈c〉ミゲル・オルテガ、特別協力〈b〉イバン・アマジャ。アナベル・モレーノ、演出ダニエル・ドーニャ
[場]サラ・パウル
3/6(火)19時「キメラス・デル・ティエンポ/レクエルドス」
[出]〈c〉エセキエル・ベニテス、ゲスト〈c〉ヘスース・メンデス、〈b〉マリア・デル・マル・モレーノ
[場]サラ・コンパニア
3/6(火)21時「ナシーダ・ソンブラ」
[出]〈b〉ラファエラ・カラスコ
[場]ビジャマルタ劇場
3/7(水)19時「コン・ラ・ボス・エン・ラ・ティエラ」
[出]〈c〉ダビ・カルピオ、ゲスト〈g〉マヌエル・バレンシア、〈base〉パブロ・マルティン、〈sax, fl〉ディエゴ・ビジェガス、特別協力〈g〉ディエゴ・デル・モラオ、サンティアゴ・ララ
[場]サラ・パウル
3/7(水)21時「ノ・パウサ」
[出]〈b〉ダニエル・ドーニャ・スペイン舞踊団
[場]ビジャマルタ劇場
3/8(木)19時「ペティサ・ロカ」
[出]〈b〉サラ・カレーロ
[場]サラ・コンパニア
3/8(木)21時「ジェレン」
[出]〈b〉アントニオ・モリーナ“エル・チョロ”、ゲスト〈c〉ペドロ・エル・グラナイーノ、演出マヌエル・リニャン、振付バレリアーノ・パーニョス、ロシオ・モリーナ
[場]ビジャマルタ劇場
3/9(金)19時「オリヘン」
[出]〈g〉ホセ・カルロス・ゴメス、ゲスト〈b〉エル・フンコ
[場]サラ・パウル
3/9(金)21時「ジュジュ」
[出]〈b〉イサベル・バジョン・フラメンコ舞踊団
[場]ビジャマルタ劇場
3/9(金)24時「バイラール・パラ・コンタールロ」
[出]〈b〉フアン・オガージャ
[場]サラ・コンパニア
3/10(土)17時
[出]〈b〉ハビエル・ラトーレのクラス生徒
[場]サラ・コンパニア
3/10(土)19時「ギターラ・デ・カル」
[出]〈g〉ぺぺ・アビチュエラ、ディエゴ・デ・モロン、ゲスト〈b〉ぺぺ・トーレス
[場]サラ・パウル
3/10(土)21時「ア・バイラール」
[出]〈b〉エル・カルペータ、ゲスト〈b〉アントニオ・カナーレス、ラ・ファルーカ、アフリカ・ラ・ファラオナ、演出アントニオ・カナーレス
[場]ビジャマルタ劇場
[問]http://www.festivaldejerez.es