なんというか、本当に、パコの偉大さを改めて感じさせる公演でありました。
トマティート、アウロラ・バルガス、ミゲル・ポベーダ、イスラエル・フェルナンデス、ファルキートがゲストという、超お買い得詰め合わせセットみたいな出演者。いやメインはパケーテ、デイエゴ・デル・モラオ、アントニオ・サンチェス、ホセ・デル・トマテ、ダビ・デ・アラアルという5人の世代の違うギタリストたちで、パコの曲をソロで、デュオで、トリオで、グループで、という形で綴っていくというものなのだけど、パコの曲もそのまま演奏するだけではなく、アレンジされていたりするし、ゲストのパートも、トマティートは『トゥーマッチ』から始めたし、アウロラが歌ったタンゴも『ソロ・キエロ・カミナール』以外はほぼいつものレトラたちだったり。そこらへん、ポベーダ、オマージュしたレトラとパコゆかりのレトラを組み合わせて歌ってて、さすがだな、と思ったことでした。でも2時間の公演は流石に長いし、演奏者の構成が変わるので仕方ないとはいえ、大道具さん(なのか?)がしょっちゅう舞台に出て椅子動かしてるし、ガラ公演だからしょうがないのかな、と思うけど、色々、もっとなんとかなったんじゃない?と思ったことでした。ほらさ、椅子動かさなくてもいいように、最初からあちこちにセットしておくとかさ。ここオペラ劇場で舞台広いし。
Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León イスラエル・フェルナンデスの歌で踊るファルキート。このジャケットがギターのデザインで、後ろにギターホールがあって、右手で隠れているところがギターネックになっている。 |
でね、パコの曲やフレーズ演奏するでしょ、でも間合いが違ったり、コンパスの回し方が違ったりするわけなんですよ。うーん、ガデスの『カルメン』をアドリアンが踊ったのを最初に見た時のような違和感というか。いや、そこは足がもう少し、伸びる、そこの姿勢は、とか頭に入っている姿と重ね合わせて違うよと思う感じ、と近いかもしれない。
で、音の芯というか重みがまた違うわけで。それはそうですよ、違う人間なんだから。こっちも別にパコのイミテーションを求めているわけじゃない。でもさあ、パコを演奏するならあの重みとかコンパス感覚とかがやっぱ懐かしくなる。ファルキートに習って、そのパソやってるのに歌に足を入れちゃう人っているじゃないですか、いや、だから、そうじゃなくて、ファルキートの歌に呼応するマルカールとか持って帰ってきてほしいなあ、って思う感じ。
個人的には、さすがのトマティートだったし、ディエゴ・デル・モラオがやっぱ良かった。音の太さとか、コンパスの回し方とか、モラオだけどやっぱパコにもいっぱいもらってきたんだなあ、と感じたことでした。当たり前なんだけど。ダビ・デ・アラアルのソロも良かったよ。
昔、パコにギタリストは誰が好きかと聞かれて、モライートと言って「違うスタイルだけどいいギタリストだね」って言われたことだとか、パコの公演聴きにきてたディエゴをパコに紹介しようとしたけどいいよとか遠慮してるうちにパコが帰ってしまったヒメナでのこととか(その数日後にパコから電話があり録音で一緒に演奏することになった!)なんか、見ながら色々思い出してた。思い出は財産。
それとね、実はこの夜の主役だったのはずーっとカホン叩きまくってたピラーニャかも。何がきてもしっかりサポート。かっこいい。
©︎ Kyoko Shikaze 2010年ラ・ウニオンでのリハーサル中のピラーニャ。ちょっとボケてるけど ピラーニャとはピラニアのこと。つまり食い尽くす人なんです。パコのグループにいる時もいつもケータリングにいたような記憶。この写真にも食べかけのサンドイッチが写ってますね。あんだけのパワーにはやはりエネルギー必要ってことですよね。 |
禁止されてることで周りに迷惑かける奴らにおろしたての靴で犬のうんこ踏むとか、鳥のフンが落ちてくるとか、どうぞ天罰を与えてやってください。
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