2023年9月24日日曜日

ダビ・ラゴス『デル・シレンシオ』


いやあ、良きコンサートでありました。


 ダビ・ラゴスは今、最高の時期なのかもしれない。完璧な音程、声量、歌に込める心/方向性。

共演はピアノ/クラヴィコードのアレハンドロ・ロハス・マルコスとサックス/角笛のフアン・ヒメネス。三人だけの舞台。

トリージャ/マルティネーテ、ソレア・アポラー、マラゲーニャ/アバンドラオ、シギリージャ…フラメンコ曲だけど伴奏はギターではなくピアノとサックス。それも現代音楽的というのか、フラメンコとは全く関係ないように聞こえる演奏を奏でたかと思うと、クラヴィコードがマラゲーニャのギター伴奏を完コピして、そこにサックスで歌のメロディが、メリスマも含めて完璧に再現される。それに続いて今度はダビが歌う。それだけでは全くフラメンコには聞こえない音たち、それでも歌はその中をまっすぐ、脇に逸れることなく本筋で、カンテを歌い続ける、という感じ。この三人の組み合わせの妙が絶品。パーカッションはいないのだけど、ピアノの弦の上に置いたものものやサックスがパーカッションのような効果も作りつつ、三人、いや楽器は二人だけなのに、オーケストラがいるような、そんな気分になるくらい立体的で厚みがある。

ダビが歌うのはアナーキストとされて処刑された農夫の話やマラガで起きた避難民への空爆というゲルニカにも匹敵する惨状などなど、歴史の話。忘れてはいけない、ついこの間の話。記憶がなければ私たちはからっぽ、と歌うダビ。イデオロギーに囚われてしまった人たちが起こした過ち、悲劇。どのイデオロギーが悪いというわけではなく。

モレンテの影を感じたのは、歌ったメロディのせいばかりではないだろう。アルカンヘルラトは違う形で、モレンテの志を継いでいるという印象。フラメンコを、すでにあるものを再現していくものとしてではなく、フラメンコを自分の考えやメッセージを伝える言語として使っていくこともできるのだ、と言っているというのか、新しい試みでフラメンコをより豊かなものにしている、という感じ。長年共演を続けているイスラエル・ガルバンの影響もあるだろう。実際、アレハンドロやフアンとはイスラの作品で出会っている。イスラの作品『ロ・レアル』の影響もあるだろう。

で、これを書く前に新聞に出た評を読んでいて気がついた。昨年のビエナルでやっていたじゃないかと。なぜ思い出さなかったのだろう。歌の内容が聞いたことあるな、と思ったのだけど『オディエルノ』という前作のコンサートだろうと思っていた。いやいやまじ記憶力がヤバいっす。昨年の公演ではギターやパーカッション、さらに踊りなどゲストも加わっていたのだが、今回トリオ、三人になったことで、研ぎ澄まされ、メッセージ性がより明確になったような。

フラメンコの凄さと可能性を改めて感じさせてもらったことでした。





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