パストーラ・ガルバンは満員のマエストランサ劇場で。
セビージャの踊り手たちを通して
自分をみつめなおす、ということらしい。
舞台上手が楽屋という設定。
そこから下手の舞台にでていく。
まずは白いバタ・デ・コーラでマティルデ・コラルのアレグリアス。
マティルデの踊りをビデオででも見たことがある人なら誰もがわかるだろう、
マティルデの美しいブラソやシンプルな足などを真似しているのだが
何かが違う。
最初に椅子に座ったときの違和感は
マティルデのあごをあげ手、背筋を伸ばしたあの美しい形と
あまりに違うから。
マティルデの振りではありながらマティルデのエッセンスではなく
かたちだけを真似て、カリカチュアのようになっているように思えたのだ。
次のローリ・フローレスのシギリージャも同様。
ローリといえばカスタネットでバタ・デ・コーラのシギリージャだが
ここでパストーラは黒いバタに着替えて登場。
カスタネットもそつなくこなすのだが、
その背中を丸めたところがローリの物真似にみえる。
彼女の威厳、厳しい感じなどを表現してほしいのだが。
ミラグロス・メンヒバルのタラントも同じ調子。
コピーしてるのはミラグロスのちょっと芝居がかったようなマイム。
なぜかうしろをむいたギタリスト。
舞台裏からみている様子をしたいならパストーラも
舞台奥に向かって踊るはずだがそうはならず、で、意味が無い。
踊り手をみずともひけるかどうかのテストでもあるまいし。
なぜか舞台上で着替えて
母エウヘニア・デ・ロス・レジェスと父ホセ・ガルバンのカーニャ。
Bienal. A.Acedo |
父は男物のジャケットをかけた洋服掛けで
一人で踊る。
エウヘニアの踊りはみたことがないのでこれはコメントしずらいが
ここではパストーラらしく踊るだろうという期待は外れ
古風なカーニャでしかない。
ティア・フアナのティエント、タンゴのカンテソロ。
セビージャの踊り手がテーマなのになぜ彼女なのかちょっと不可解。
カルメン・レデスマのロマンセは
レブリーハ風のロマンセなのだが
ここでも仕草の物真似が中心。
物真似とみれば面白いかも、とやけになってくる。
あのおきゃんというか、鉄火肌というか、
ムイ・フラメンカなパストーラらしい踊りがみたいのだ。
そこでゲストのファルー。
コルドベスをかぶり、バストンを手に下手から登場。
このソレアがすごかった。
祖父ファルーコそのままで
二人の姿がみごとに重なる。
ファルーは祖父よりずっと細いのに踊っているとき
祖父のあのお腹がみえた気がしたほど。
祖父の振りでありながらファルーらしい感じもあって
いやあ鳥肌ものでありました。
再びパストーラでマヌエラ・カラスコのソレア。
マヌエラのソレアの、特徴的な振りを真似するものの
うーん、このカンテでこうはならんだろう、とか思わせる。
ああ、もう残念で仕方が無い。
これまでの作品が、
「パストーラ」にしても「フランセサ」にしても
良すぎたから、というのもある。
勝手に期待してたこっちが悪いのかもしれないけれど、
みたかったのはそれぞれの踊り手のスタイルをとりいれながら、
自分のスタイルで踊るパストーラなのだ。
彼女は彼女のスタイルをもっているのに。
最後はタンゴでファルーが登場。
A.Acedo |
先ほどのソレアではがまんしていた?早い足もくりだして魅せる。
なんかちょっと
パストーラは衣装がフラメンコというよりもスペイン歌謡の歌手みたいだったけど
最後だけは彼女らしく踊ってくれてうれしゅうございました。
Bienal. A. Acedo |
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