スペイン国立バレエ団マドリード公演の前半
「アンヘル・カイード」は
バルセロナの劇団フーラ・デルス・バウスの創立メンバーで
演劇、舞踊、サーカスなど多彩な分野で活躍しているハンセル・セレサの演出。
フラメンコでは、国立バレエの「ポエタ」や
エバ・ジェルバブエナの「5ムヘーレス5」「ボス・デ・シレンシオ」の
演出をてがけた人物である。
彼のアイデアに基づき、
スペインのフラメンコ舞踊の今を象徴する6人の振付家が集められた。
ハビエル・ラトーレ、ロシオ・モリーナ、オルガ・ペリセ、
ラファエラ・カラスコ、ルベン・オルモ、そしてマヌエル・リニャンがその人だ。
うち、ロシオとオルガ、ルベンはゲスト出演もしている。
彼らによる次の5つの場面から作品は構成されている。
CAPTVUS 囚われて人類と
白い衣装に白いぴったりとした帽子をかぶった女たち。
黒い衣装の男たちがうごめく。
背景にうつされるのは教会の回廊?
ドラマチックな音楽を大人数の群舞で
視覚化するラトーレの振り付け。
STATERA 善悪のバランス、自由な共生
黒い衣装のロシオ・モリーナと白い衣装のオルガ・ペリセがせめぎあう。
粋がかかるほどの距離に向かいあい、手を互いの身体にからめては離し、
背中を合わせて足をうち、離れても踊る。
髪を頭の上高くにゆっているせいか、
東洋風の衣装のせいか、
はたまた彼女たちの撃つ櫛も抽象的な動きのせいか、
興福寺の阿修羅像を思わせる。
CONCENTUS 調和の自然、であることの解放する魂
漆黒のバタ・デ・コーラ。
そのコーラ、長く引いた裳裾の部分に白い羽が描かれている。
8人のダンサーたちがバタを自在にあやつるが、
照明は暗く、その踊り手の顔はほとんどみえない。
女と男。それぞれ4人ずつ。
いずれもが見事なバタさばきをみせ、繰り返す。
バタに描かれた羽だけをみせかったのだろうと思うが、
せっかくのバタがもったいない感じ。
黒の衣装のせいかなぜか忠臣蔵を思い出してしまった。
はじまりが歌舞伎のつけ打ちの音のようだったり、
サックスが尺八風だったりすることもあって、ちょっと和風テイスト。
実は歌舞伎のイメージ?
SUBLIMATIO であることの純粋さ、内なる美の昇華
ルベン・オルモが作品「トランキーロ・アルボロト」でみせた
大判のマントンを翼のように使って踊る一曲。
私が観た日はゲスト出演しているルベンの休演日で、
第一舞踊手のミゲル・アンヘル・コルバチョが踊ったが、
あの大判の、重いマントンを軽々とつかってみごとな羽ばたきをみせていた。
ルベンは男性のマントンという新ジャンルを開拓したといえよう。
振り付けとしては「トランキーロ・アルボロト」で使われたテクニックと同じで
新味は少ないが、あの名人技はやはり必見。
INMORTALES 死すべき運命の恵みが人類に夢見させる
鼓動
全員での群舞はしっかりと構成されており破綻がない。
最初の場面と同じ衣装(女性のかぶりものはないが)せいもあってか
印象がいささかにてしまうような。
こうして各場面のタイトルをみていくと、
アンヘル・カイード、落ちた天使は
天使ではない人間たちへの讃歌であるのか?
大きなうちわのような羽?や宙吊り、映像などの、
パフォーマンス的演出はいかにもフーラ。
だがいかにもけれん。
驚かせることはあってもそれ以上の効果はあまりないようにも思う。
舞踊の方が二次的になってしまい
せっかくの、
フラメンコの最前線で活躍する舞踊家たちの
フラメンコの今を象徴するような振り付けがいきてこない。
同じ振り付けを違う衣装、違う照明でみてみたいとう気になってしまう。
カンパニーのコンビネーションは素晴らしく、
現代的な振り付けをよくこなしている。
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