6月15日、歌い手イルデフォンソ・ピントが
生まれ故郷ウエルバ県ボジュージョス・パル・デル・コンダードで亡くなった。
1937年10月29日生まれ。
フラメンコはラジオで聞き覚えたのだという。
生まれ故郷でサエタを歌ったのをかわきりに
60年代からコンクールに挑戦し始めた彼だが、
1990年、ラ・ウニオンのカンテ・デ・ラス・ミーナスのコンクールで優勝、
その後LPを1枚リリースした。
が、華やかな活躍をしていたわけではないので知る人ぞ知る、といった存在か。
98年には喉の手術をしてからは教授活動に専念。
若手カンタオール、ギジェルモ・カーノは彼の教え子の一人だという。
ウニオンの、彼の優勝したコンクールを、写真家の高瀬友孝さんや
ピアニストの阪本亜矢子さんと一緒にみていた。
まだ冷房がなかった会場はひたすら蒸し暑く、
レバンテばかりが続くコンクールは眠たくなったが
ゲスト・アーティストのファルーコの一振りに目が覚めた。
そしてイルデフォンソの、やさしく美しいミネーラもはっきりと覚えている。
優勝ときいたときのはじけたような笑顔。
細い身体を喜びでいっぱいにしていた彼。
ボジュージョス・パル・デ・コンダードはワインの町。
さっぱりした白ワインを、茹で海老つまみに飲ませる、
気取らない店が軒を並べる。
スペインで一番上等といわれるブランデーもこの町の産。
その町に今日、葬られる。
冥福を祈る。
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