代々木上原のmusicasaは、坂の上にある小さなホール。
コンクリ打ち放しなんだけど、どこか教会を思わせるのはなぜだろう。
ここに来るのは2回目。前回と同じく鍵田真由美・佐藤浩希両氏のデスヌードが目当て。
大きな劇場の舞台での彼女たちは知っていたのだが
小さな空間では、今までみえないところまでみえてきて
かたちの美しさ、そしてその中につまった思いに、
また新しい感覚の演出に、いやー、日本のフラメンコもすごいもんだ、
と認識を新たにしたのはこの春のことでした。
で再び坂を登った。
サックスとパーカッションにギターという音楽。
ラテンのスタンダードナンバーであるオブセシオンは
マイテ・マルティンのボレロのアルバムにも収録されているけど
それとはまったくちがうアレンジで、それはそれでおもしろかったんだけど
歌がきこえにくいのはどうなのかな。マイク、あってもよかったかもね。
闘牛場を思わせるようなサックスの響き。マイルス・デイビスのスケッチ・オブ・スペインが思いだされる。
愛と犠牲はスペイン語でいうと flamenco contemporaneo という感じの振り付け。
フラメンコのテクニックをつかった自由な、現代的な表現。
フラメンコ曲やリズムもあるけど、フラメンコの決まりにとらわれすぎない形式、とでもいいましょうか。
べレン・マジャとラファエラ・カラスコの作品なんかにもそういうのがあったし、
マルコ・フローレス、ダニエル・ドーニャらの「チャンタ・ラ・ムイ」なんかもそうだな。
マルコ・バルガスとクロエの作品もそうだし、
コンテンポラリー系といえばフアン・レリダとかもそうだし、
今のスペインのフラメンコの中ではけっこう重要な動きであります。
フラメンコをそのものを踊る/演じる、のではなく、フラメンコを“つかって”、というのは
日本のフラメンコの歴史からいうとかなり新しい動きになると思う。
それをするためにはもちろん、基本のフラメンコがちゃんとしていないといけないわけで
本来のフラメンコへの敬意と愛としぬほどたくさんの練習、 つまりフラメンコへの献身が必要。
今回のタイトル、愛と犠牲、amor y sacrificioのsacrificioには献身という意味もあるわけで
それは決して彼らが意図したことではないのだろうけど、
私はフラメンコへの愛と献身をみていたのでありました。
物語というのか、メッセージというのか、そこらへんがわかりにくかったこともある。
劇場作品を再編集したようで、劇場でみるとまた違うのかもだけど。
あ、カンテの滝本さんのサエタもよかったよ。スペインの声だよね。
でもセラットのサエタはスペイン的にはちょっとポピュラーすぎるかもです。
日本では知られてないし、マチャードの詩がいいからいいのだろうけど。
フラメンコへの愛と献身が日本のフラメンコをここまでひっぱってきたわけでございます。
で、これからどっちへいく?
鍵田さんは今度、コンテンポラリーの人と共演するそうで、それがとってもみてみたい気がする。
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