「今日、昼間会ったときに、この学校で歌うのは50年ぶりだ、といってました」
とのアグスティンの紹介で舞台に登場したエンリケ・ソト。
「いつもこの学校のフィン・デ・クルソ(学年末に行う学芸会)で弟ビセンテと歌ってました。
またここで歌うとは…」
とあいさつしてから歌いはじめたエンリケ。
伴奏はマヌエル・モラオの孫、ペペ・デル・モラオ。ギターを慈しむように寄り添ってファルセータを弾き始める。カンテ・デ・レバンテ。
エンリケはヘレスはここ、サンティアゴ街の生まれ。父はマヌエル・ソト“ソルデーラ”。
弟に歌い手のビセンテ・ソト、パルメーロのボー、元ケタマのホセリート・ソトがいる。
父と、家族とともにタブラオなどでの仕事のためマドリードに移り、そこでアルティスタとしてのキャリアをはじめた。現在は元踊り手だった妻の故郷であるセビージャ在住。
エバ・ジェルバブエナらへの伴唱でおなじみだ。
「カディスへ行こう!」
との声ではじまった、アレグリアス。舞踊伴唱で鍛えたコンパスは鉄壁。自然にカンティーニャへと続く。
舞台横にはいつのまに来たのかモライートが、エンリケの末弟、ホセリート・ソトと座って舞台をみつめている。
公演している間はバルもお休み。ほとんどのこどもたちも静かに舞台に見入っている。
ソレア。
ヘレスらしい深みをもって胸にせまってくる。ペペはふだんからエンリケの伴奏をしているわけではないが、そこは同じヘレスのヒターノ。あうんの呼吸できまる。
最後はもちろんブレリア。弟ボーがカンタローテのファミリーと舞台に上がりパルマをつとめる。
最前列にいたこどもが踊りはじめる。パルマこそたたかないものの、あちらこちらのヒターノからだがコンパスにゆれている。さすがフラメンコのメッカ。
アルティスタに敬意を表し、舞台の邪魔は決してしないが、コンパスのうねりに身を任せ、心から楽しんでいる。
これでおしまい、と思ったら最初のペーニャのグループが再び舞台に上がり、ブレリアがはじまる。
女たちもこどもたちも舞台に上がる。歌をききつつウナ・パタイータ。
ちょっとてれて、小さく小さく、踊っている男の子。が、コンパスははずさない。
堂々と踊った6歳くらいの女の子。が、この夜、一番のブレリアはまだ2歳だという女の子。
タン、タタタン。スカートをちょっとつまんでほんの少し腰や腕を動かすだけなのだがこれがまたなんともフラメンコなのだ。
こどもたちのフラメンコはいつ観ても楽しいけどときにはやりすぎ、というのか、受け狙いというのか、ちょっと痛々しい思いをすることがある。が、この子たちのブレリアは、こどもたち自身が楽しいから踊っている、というブレリア。無比のコンパスに乗って、ちょいちょいと、足をふんで、ひっこんでいく。生活の中にフラメンコが息づいているヘレスならではのブレリアだ。きっとこの子は大人になっても、結婚式や洗礼のフィエスタで、パルマにのってちょこちょこっとブレリアを踊っていることだろう。
ヘレスはやっぱフラメンコメッカ。あのパルマにこの観客。
フラメンコをまったく知らない人があの場にいたとしても私と同じように、いやひょっとすると私以上に楽しんだことだろう。
ヘレスのサンティアゴ街にはまだ、空気のように取り立てて意識もしない自然なフラメンコが残っている。
フラメンコを愛するものにとっての極楽、それがヘレスなのかもしれない。
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