2022年10月1日土曜日

ロシオ・モリーナ『カルナシオン』

 凄すぎる。すべてが凄すぎる。クオリティの高さが別次元。

ロシオ・モリーナの新作はあまりにすごくて呆然としちゃうほど。いやね、あらゆるものと同じく、好き嫌いはあると思うのよ、扱っていることで居心地悪い思いをする人もいるかもしれない。伝統的なフラメンコを期待してきたら愕然とするかもしれない。でもね、このクオリティの高さがわからない人はいないんじゃないか。舞踊そのものはもちろん、音楽、構成、照明、衣装などなど。すべてのものが超一流。そして最初から最後まで、2時間近くの長丁場、緊張感がいっときも緩まない。凄すぎる。

幕は開いている。開かれた舞台。中央奥に現れたロシオは赤いチュールのお姫様のようにフワッとしたスカート姿。ゆっくり前に歩みでて椅子の背を登っていく。美しいポーズをとり、

©️ Archico fotográfico Bienal de flamenco / Claudia Ruiz Caro


そして逆立ちするようにして、椅子の座面の方へ落ちていく。1回、2回、3回。モーリン・チョイのバイオリンは、最初の一音からして違う。ミシガン生まれのジャズ奏者のようだが、全編を通してパガニーニ?をすごい演奏を聞かせてくれる。


下手奥のピアノの前に転がり、赤いスポンとした衣装に着替える。

ソプラノ。ピアノ。

この作品にはいわゆるフラメンコ音楽といえるものはほとんど登場しない。ニーニョ・デ・エルチェの口ずさむ一節、ふた節くらいのもの。ロシオは踊る。見事なサパテアードも聞かせる。でも伝統的なフラメンコ曲を踊っているのではない。元々フラメンコ作品を、ということで作られたわけではなく、フラメンコダンサーであるロシオが作った作品。

ロシオはこういうものを演じたい、踊りたい、作りたい、という、確固とした、はっきりしたイメージを持っているのだろう。そしてそれを実現するために、どの人の力を借りるべきかを知っている。だから、演出家や共演者のエゴ、自己主張に流されることなく、彼女の世界が展開されていくのだろう。

そしてニーニョ・デ・エルチェ! 先日のリサイタルのつまらなさが嘘のような名演怪演。最初は迷彩柄のようにも見えるスカートのような衣装を纏ってロシオが座っていた椅子に座り、それをロシオがロープで縛っていく。


縄抜けをして、ロシオの三つ編みの髪の先を口にくわえて歌う。ロシオと頬をひっぱたき合い、絡み合い、最後はでっぷりしたお腹を揺らせて踊ってみせたり(ザコシのようで一人爆笑。スペイン人にわかってもらえないのがつらい)大活躍。

©️ Archico fotográfico Bienal de flamenco / Claudia Ruiz Caro


©️ Archico fotográfico Bienal de flamenco / Claudia Ruiz Caro

ロシオ/女に対する、男、というだけでなく、人々に対する権威や威圧感、新しい考え方に対する旧式な人間、聖と俗、など対照的なものをいろいろ象徴しているのだろう。

©️ Archico fotográfico Bienal de flamenco / Claudia Ruiz Caro

©️ Archico fotográfico Bienal de flamenco / Claudia Ruiz Caro

カルナシオンとは、肌色の意味だという。後半、裸に見える肌色のタイツを纏った二人。『カイダ・デル・シエロ』でヌードとなったロシオとイスラエル・ガルバンの『フィエスタ』でズボンをさげ便器に座ったようなポーズで、写真を見ただけのフラメンコ好きという人たちなどから糺弾された二人。今回も、性的なテーマも扱っておりそういうものを毛嫌いする人たちからは色々言われるのかもしれない。が、彼女たちが纏った肌色は、その抗議に反論するのではなく、じゃ、これでいいかしらん、と笑い飛ばすようで痛快でもある。というのは私の感想。本人たちにはそんなつもりは全くないのかもだけど。

縄、籠、ベンチといった小道具たちの意味も色々深読みできそうだ。

©️ Archico fotográfico Bienal de flamenco / Claudia Ruiz Caro

最後は自分で自分を縛っていくロシオ。そしてロックシンガーのようなはじけ方。そのポーズの一つ一つも美しい。


いやあ、見応えのある2時間弱でございました。もう一度見て色々確認したいことがたくさん。何度も読み返したくなる本のような、そんな作品でございます。












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