セビージャから車で30分弱、バスなら1時間弱、昔、遣欧使節が滞在し、そこに残った者がいたということでハポン、日本という名字があることで有名なコリア・デル・リオ。この街の劇場で行われた中田佳代子『TOHOGU』公演を観に行ってきました。
日本から民謡歌手吉田やす子、津軽三味線の三代目井上成美、篠笛の武田朋子、和太鼓の内藤哲朗というメンバーを招聘。そこに、セビージャ公演ではラファエル・ロドリゲスのギターとカンテのモイ・デ・モロンが参加(バルセロナはアルフレド・ラゴスとピラタ)。日西のミュージシャンたちと中田が見せてくれたのはオリジナリティに溢れる、彼女の思いがこもった作品でした。
オープニングの日本のミュージシャンたちによる和風ファルーカ(リズムはファルーカ。楽器は和楽器、でもオリジナルのファルーカのメロディをなぞっているというわけではない。歌詞も日本語)に、いやこの発想はこれまでなかったんじゃない?と驚かされ、
モイを前に引っ張り出し、歌わせて、その瞬間を堪能。
本能のままに、今、この時を楽しんでいる、という感じ。今これがしたいからこれをしている。衝動を生きて、楽しむ。歌を、ギターを、音を聴き、気の流れを感じて動く。踊る。
最後のタンゴでもはじける!
スペインと日本、二つの土地の間で揺れ動く心。フラメンコが大好き、フラメンコも間違いなく私の人生に欠かせないものだけど、深く入れば入り込むほどに、そのルーツと、自分のルーツの違いを感じてジレンマを感じたこともあったのかもしれない。異国の文化を愛せば愛すほど、自国の文化芸術へも興味が湧いてくる。自分の根っこ、とフラメンコの根っこ。全く違うようで、実は同じなのかもしれない…などなどさまざまな考えが頭の中で行ったり来たり、していたのだろう、などと彼女のあれこれをいろいろ想像してしまう。素直に自分の思いのまま、自分を描いていったのだろう。
場面場面のつながり、など、作品としてはよりよくできる部分もあるとは思うし、マントンも長身を生かしてもう一回り大きい持ち重りのするマントンでもいいだろうし、などとも思ったりもしたけれど、色々制約のある中で、本人は納得しているかどうかはわからないけれど、観客を楽しませた手腕に脱帽。彼女はフラメンコを演じるのではなく、フラメンコで自分を伝えようとし、ミュージシャンや観客とコミュニケートしているのだと思ったことでした。
その時の気の流れのまま、歌を聴いてその時の衝動で踊るフラメンコというのは誰にでもできるというものではない。細かい動きまで音楽と合わせてきちんと決めて精密に作り上げたフラメンコもあるし、それはそれでいいものはいい、なわけだけど。
フラメンコの魅力の一つである即興性を楽しむことができる器の大きさ、バイタリティにあふれ、たくさんの障害もものともせず、自分の信じる方向へズンズンと、エネルギッシュに進んでいく彼女はかっこいい。
こういった作品にこそ、彼女の真骨頂があるのではないか、そんなふうに思わせてくれました。
いい舞台をありがとう。また見せてくださいね。
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