1990年のコンサートで |
facebookでヘレスのフラメンコ・ジャーナリスト、フアン・がリードが家族から聞いたという知らせを読んだ時の動揺。言葉を失う。え、そんなんきいてないよ、元気だったよね、今年はポタヘ・ヒターノでオメナヘがあって、8月にはヘレスの、ティオ・ぺぺの酒蔵のコンサートが予定されてるよね。嘘であってほしい…フアンの投稿をシェアするとアーティストからも連絡があって、震える声で本当なの?って。フアンが言うなら本当だと思う、と説明。でも信じきれない。
本名ホセ・コルテス・ヒメネス。1945年、カディス県ラ・リネア・デ・コンセプシオン生まれ。子供の頃にセビージャに移り、後、カディス県のプエルト・デ・サンタ・マリアに移り、当初は芸名でもパンセキート・デル・プエルトと言われていました。
マラガやマドリードのタブラオを経て1971年、エンリケ・モレンテのプロデュース・パリージャ・デ・ヘレスの伴奏で初のソロ・アルバムを発表。1972年には2枚目を録音。1974年、コルドバのコンクールでクリエイティブ賞を受賞。この年にリリースしたアルバム収録のブレリア、『タパメ』がヒット。70年代非常に人気のあった歌い手の一人であり、聞いた話だが、いわゆるトップテンに登場するような人気だったそう。子供の頃から仲が良かったというカマロンでさえも彼の人気には及ばなかったほどという話を聞いたことがあります。
その後は各地のフェスティバルなどで主に活躍。2002年にはトマティートとのCDもリリース。
ビエナルやヘレスのフェスティバルにも出演しています。
独特の歌いっぷり。洒脱でダンディ。私のことは名前を覚えずいつもマリアと呼んでいました。それでも決して感じ悪くなかった。
私生活では歌い手アウロラ・バルガスとセビージャ郊外に住み、彼女と一緒の舞台も多く、その仲の良さはフラメンコ界にはよく知られていました。
2008年トリアーナのマイテ・プルポンのオフィスで。アウロラやロシオ・コラルと |
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