2020年12月20日日曜日

へスース・カルモナ『サルト』

 ビエナルで上演されるはずだったへスース・カルモナの新作『サルト』。直前に出演者の陽性が発覚し、延期になったものが12月19日、ようやく、上演されました。会場はロペ・デ・ベガ劇場。ビエナルの時はひとつおきだった座席が、1列おき、2席おきとなっているのは、アンダルシアでも感染が拡大していることを実感します。

へスース・カルモナは1985年バルセロナ生まれ。2020年、スペイン国家舞踊賞を受賞した実力派。地元バルセロナの舞踊学校に学び、2006年国立バレエに入団。国立では第一舞踊手にまで上り詰めるものの、自分の表現を求めて飛び出し、2012年に自身の作品を発表。以後、次々に作品を発表し、意欲的な活動を続けています。開店まもなかったガルロチで踊っていたのを覚えている人もいるかもしれません。

『サルト』はその彼の頭の中をのぞいているような、そんな作品でした。

面白いし、私は好きだけど、雑然としすぎという意見もあり、うん、確かに冗長なところはあるし、整理整頓したらもっと良くなるのは確かだけど、私的には、涙が滲むような感動的な瞬間が何度かあって、それだけでまる。初演だし、これからきっともっと良くなるはず、という希望的観測。

いやあ、さまざまなアイデアが飛び出し、超テクニックで表現していく作品で、へスースの他に、6人の男性ダンサーが出演しているのですが、いやあ、彼らもすごい。最先端のフラメンコ/スペイン舞踊のテクニック満載。こりゃやってる方も大変だけど楽しかっただろうなあ。

客席の照明が付いている状態で、舞台上では上半身裸のダンサーたちがイスラム神秘主義の旋回舞踊のように、スカートはいてくるくる回っている。場内が暗くなると、スカートをカパ、マントもしくはマントンのように振り回したり。

前半は、男性主義のイメージで進んでいく感じ。マヌエル・リニャンの『ビバ!』と対をなすような? そういえばあれもマヌエルと6人の男性ダンサーですな。

背広にサングラス。ヘルメットに拳闘のミットをつけたり、歌い手のホセ・バレンシアがビセンテ・エスクデーロの男性舞踊十戒の中の言葉を唱え、それで踊るへスース。

その男性性に縛られていたことを象徴するような場面、そしてそこから解放されるイメージも。かと思うと男性同志の恋愛をイメージさせるような曲があったり、自分の中にいるさまざまな自分と向き合い、葛藤するようなイメージもあって、カオスな感じも。

ファルーカやタンゴ、ブレリア、アレグリアス。フラメンコの要素も十分あるけれど、現代舞踊的なとこも、ボレーラも、アーバンダンスとでもいうのかな、今風のダンス的なとこもあって、いやあお腹いっぱいなくらいにダンス。ダンス。ダンス。

それもソロよりも群舞が多いかな。

これで終わりかと思うとまた続いていく感じ。いや、ほっといたら一日中でも踊ってますね、彼らは。

フアン・レケーナの音楽は美しく、ホセ・バレンシアはダンサーたちと共に踊り、演技もし、熱唱し、彼らのフラメンコと今風の音楽やクラシック風やアラブ風、さまざまな音楽も混ざり合い、激盛り。

後半はへスースの内的葛藤を表現しているような感じ。子供が生まれたのかな。的な場面もあり。

へスースは得意の回転で踊りまくります。なんだか昔のカニサーレスを思い出させます。みんな、早いことに注目して、早くなくてもいいのに、と思ったけど、それが彼の言葉、彼が彼の中にあるものを表現するために必要な速さだったんだよ、それと一緒で、へスースに言葉はあの回転で、それで自分の中にある、言葉にならない思いを表現している、そんな感じ。技術は言葉。自分の持ってる言葉で自分を語る、わけでございますな。

演出家がスタッフに入っているんだけどうーん、どうなんでしょう。色んなアイデアの交通整理をして、わかりやすくしてくれる人が必要な気がします。照明も特に前半、暗すぎて踊りが見えないし(私3列目に座ってたのに)。

それでもなんでも、へスースをはじめとするダンサーたちの踊りたいという気持ち、その形の美しさに感動したのも事実で。

戦うのではなく団結しすぎるのでもなく、一緒に楽しむのはいいね、的な感じもあって。

プロモーション写真ですが最後こんな感じ。


うん、整理整頓されたものをもう一度見たい。

二つの作品にしてもいいかもね。男性主義、男性的なものを告発する(というと思い出すのはロシオ・モリーナの『カイダ・デル・シエロ』もあるけど、男性側から、ということで全然違う感じだよ)ものと、内的葛藤を描くものと二つ。


あ、ラジオのサッカー中継のように舞踊を言葉で語るのをサッカー見ているようにダンサーたちが興奮して見守るという場面があって、これ、お気に入り。


Explorar el cerebro de un bailarín

Parece que estoy viendo dentro de cabeza de un bailarín, qué piensa y qué siente. Bailar, bailar, y bailar. Ser macho. La masculinidad que hace disfrutar pero también le ata. Lucha interminable. Solidaridad. Pelea de los pensamientos dentro de ti. Alegría de compartir momento de disfrutar. Rotura. Esperanza. Niñez o nacimiento. 

Hay tantas y tantas imágenes e informaciones,  debería ordenar un poquito más.  Tal vez puede hacer dos obras, uno sobre masculinidad y otra será su conflicto interior y sentimiento profundo. No se puede contar todos en una sola obra.

Llena de super técnicas, de danza variadas con bailarines talentosos. Girar, girar y girar. Técnica es lenguaje de bailarines. Locuacidad es un arma de dos filos, asombroso pero si pasa un límite es cansino.  

Fue un estreno. Me ha gustado, eso sí, pero creo que puede mejorar algunos aspectos, por ejemplo, luces demasiado oscuras en muchos momentos o ritmos de obra. Teniendo tantos talentos como Jesús y sus bailarines y músicos, seguro que lo conseguirá. 

ah, me encantó escuchar la danza, como locutor de radio retransmitiendo. Es irónica y divertida. 










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