2019年3月2日土曜日

ヘレスのフェスティバル8日目その2 アナ・モラーレス『シン・ペルミソ』

いったい何から話せばよいのだろう。
とにかくとてつもなくすごいものを観た。
アナ・モラーレス『シン・ペルミソ。カンシオネス・パラ・エル・シレンシオ』
許可なく。静寂のための歌、とでも訳せばいいのだろうか。

フラメンコは太古の記憶を呼び起こす。
自分の中に眠っている自分でも知らない何かを揺り動かす。
言葉にならない感情が溢れてくる。
それこそ、許可もなく、私の中に、奥底に入ってきた。なんなんだ、いったいこれは。

結局そういうことなのだ。
伝えたいことがあって、伝えるべき手段とテクニックがあれば、伝わる。
コンテンポラリーでもフラメンコでも、ダンスでも音楽でも、絵でも、文でも、なんでも同じ。

アナは彼女の心の奥底にあったものを解放した。
亡き父を思う彼女の個人的な感情は、実は誰もが持っている、いない人への追慕、なくしたものへの想いといった普遍的な感情に通じている。
そして彼女は言葉を持っていた。フラメンコと言う言葉を。
一つ一つの動きの完璧なまでの美しさ。
回転は回数や速さを競うものではないのだ。ゆっくりと回るその回転が語ること。
技術は何かを語るための手段であってこそ生きる。


あ、まずい。何を言ってるかわからないのではないだろうか。
私に技術がないのがバレバレだ。
アナは違う。その完璧な、見ているだけでため息が出るような、オレ!を連発せずにはいられないテクニックで、彼女の真実を語り、それが私たちの心を揺り動かしたのだ。
昨日私たちが見たのは真実。だからこんなにも心を打ち、心に残るのだ。

歌うだけでなく、ギターを弾き、踊りもするフアン・ホセ・アマドール、
先日のコンチャ・ハレーニョ公演に引き続き、すごいギターを聴かせてくれたカーノ。
パーカッションだけでなく電子音楽も演奏するダニエル・スアレス。
アナと踊るホセ・マヌエル・アルバレス。
5人で作る世界の凄さ。濃さ。

それはこんな風に始まる。


裸かとも思える肌色のレオタードで、馬の顔にかける飾りのようなものを顔につけてスカートと外套を手にゆっくりゆっくり舞台に登場する。その足取り。動きの美しさ。
御簾の向こう側でフアン・ホセ・アマドールが歌う。ソレア。
パーカッションで踊る。

© Javier Fergo / Festival de Jerez
ペテネーラ。そのギターの素晴らしさ。
ホセ・マヌエル・アルバレスと二人での対話のようなコンパス合戦。
サパテアードでの会話。
父と娘、夫と妻、恋人同士。男と女の間。
© Javier Fergo / Festival de Jerez

© Javier Fergo / Festival de Jerez
そしてフアン・ホセが弾き語るセラーナを完璧なバタさばきでみせるアナ。
ひとつひとつの動きが深く心に突き刺さる。ひとつひとつに意味がある。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
布の玉でのサッカー。マヌエル・モリーナがフアン・ホセに降りてくる。
ほどいた布の玉は赤い水玉のスカートで、それを身につけ裸足で踊るセビジャーナス、ルンバ。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
男のパンタロンを剥ぎ取って踊るシギリージャ。全てが語りかけてくる。
コンパスの中で、シギリージャの中で。
© Javier Fergo / Festival de Jerez

© Javier Fergo / Festival de Jerez
 そして彼女は解放される。もう囚われた身ではないのだ。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
客席に明かりがついて彼女が見渡す。彼女は見たのだ。
そして私たちも見たのだ。真実を。




今朝のしかぜは目が腫れてます。
久しぶりに号泣。公演見て号泣したのって、エバの『5ムヘーレス5』以来かも。
グッとくるとか、涙が滲むとかは、たまにあるんだけど、涙が止まらなくなったのは久しぶりでございます。
思い出すだけで泣けてくる。
今度は私が、私の中にあるものと向き合い、探る番なのかもしれません。

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