20分の休憩をはさんでの後半はフラメンコ。
タイトルの「サグアン」とはアラブ語起源のスペイン語で玄関のこと。
一軒家で、通りに面した扉と、家へとつながる扉の間の空間で、アンダルシアの家ではそこからパティオにつながる場合もあります。
フラメンコへの入り口? フラメンコと新しい世界をつなぐ空間?
この作品ではブランカ・デル・レイ、ラ・ルピ、メルセデス・ルイス、マルコ・フローレス、と4人のフラメンコ舞踊家が振り付けを担当。音楽はヘスース・トーレス。ばらばらな印象にならないよう、演出家も参加、バックに窓をあしらい統一感をもたせました。
オープニングは全員の群舞によるシギリージャ。振り付けはマルコ・フローレス。
シギリージャといえばフラメンコの数多い曲種の中でもシリアスで重厚なものとされる曲で、ここではヘスースのモダンなアレンジで群舞でみせます。フラメンコの常識をくつがえすような、現代的なフラメンコです。男女のパレハばかりでなく、男性と男性、女性と女性、というふうにバラエティにとんだ組み合わせでみせるのも面白く、フラメンコへの先入観、既存の概念が壊される、といえばオーバーでしょうか。スピーディーにみせる、新しいフラメンコ。切れの良さも抜群です。衣装は黒。女性の衣装はひとつずつ微妙に違った非常にこったものです。衣装はヤイサ・ピニージョ。オルガ・ペリセやコンチャ・ハレーニョの衣装をてがけている新進気鋭のデザイナーです。
赤いバタ・デ・コーラの女性が下手から、男性が上手から現れパレハで踊るカンティーニャ・デ・コルドバ。通常アレグリアス・デ・コルドバとよばれる、短調でのカンティーニャはメルセデス・ルイスの振り付け。メルセデスはマルコと違ってカンパニーというよりも個人での舞台が主で、あまり他の人に振り付けたものをみたことがないので興味津々。とくに男性にはどうするのだろう、と思っていたのですが、女性の振りは彼女の踊りそのままという感じで、男性もこれといった突飛なこともなく、それにあわせた感じでありました。
3つめのシーンは男性たちによるグアヒーラ。これも通常、女性によって踊られる曲で多くの場合アバニコを使ってキューバ風な、コロニアルな雰囲気をたたえたものであります。それも5人の男性たちによる群舞ということで驚きは否めません。
が、これが素晴らしかった。私の中では「サグアン」の中で一番かもしれません。この曲がもつ、もともとの性格である、コロニアルな、けだるい雰囲気を失うことなく、男性たちの舞踊曲として見事に仕上げているのには脱帽。荘園で働く男たちなのでしょうか。うーん、想像は広がります。
音楽もグアヒーラに加え、メランコリックなビダリータやミロンガ、男っぽいファルーカのニュアンス、のびやかなコロンビアーナやのりのいい古風なルンバを加えているのも面白い試みです。多種多様なものでありながら、中南米ゆかりの曲という傾向もあってか雑多な感じはしません。そうすることで曲に多彩なニュアンスを与え、ひとつのドラマをみるような感じすらさせます。
国立の踊り手たちがもともともっているポテンシャルにあった振り付けだったというのもあるかもしれません。
続くシーンは最近売り出し中のマラガのバイラオーラ、ラ・ルピの振り付けのタンゴ。ラ・ルピその人が公開トークで語ったところによれば、 カルメンシータという、 アルメリア出身でアメリカで活躍したダンサーと同時代の踊り手たちを描いています。ラ・ルピはカルメンシータについての本を読み、彼女がカフェ・カンタンテでほかの踊り手をみたかったのにできなかったという話が印象に残り、それなら彼女の家にほかの踊り手たちをつれていってしまえ、ということで、この振り付けを考えたとのこと。ちなみにカルメンシータはエジソンによって撮影された初期の映画にその踊っている姿を残しています。彼女が世界で最初に映画に出演した女性。なので、最初はその映画で彼女が踊っているような振りをフラッシュライトの中でみせるところから始まります。
この場面ばかりは事前情報なしには楽しめないかもしれません。といってもプログラムに解説が掲載されているわけではないので、困るかも?
そういうわけなので、この場面のバイラオーラにはすべて名前があり、その踊り手ごとにその経歴にちなんだ衣装を着ている、という実はすごく凝った場面なのであります。ほかのダンサーはラ・カルボネーラ、ラ・コキネーラ、ラ・マレーナ、ラ・マカローナ、ラ・クエンカ、ラ・メホラーナ。といわれてもピンと来る人はごく少ないことでありましょう。 マラガ出身のラ・クエンカだけは男装で有名だったからすぐわかるかもしれません。マントンやアバニコといった小物もつかって変化をつけています。群舞といっても、この場面は個人に焦点がおかれているような感じです。振りは腰を大きくふったり、マントンをくわえたりとちょっとお下品な感じなのですが、国立の踊り手たちがもともとお上品なので、汚い感じにはみえません。
そしてブランカ・デル・レイのマントンのソレア。最初はブランカ自身の作によるマントンを歌った詩(フェリアや結婚式で女性たちを飾り、踊り手たちに椅子におきざりにされる。でも聞いたの。マントンの叫びを。私は踊り続けたいんだという叫びを)を、ブランカ自身による朗読で流れ、それをブランカ自身がマントンで踊ります。 ちなみに今回のマドリード公演ではブランカは1日おきの出演で、彼女が出ない日は続くソレアを踊るプリンシパルのエステル・フラードが詩も踊ります。この秋の日本公演ではブランカは出演しないので、おそらくエステルが両方踊ることになるのでしょう。ひとつひとつの言葉に反応するように動き、マントンをひるがえすブランカ。やがて始まったソレアはエステルのソロ。ブランカの、マントンのソレアを手渡されるという重要な役をみごとにこなしています。重みと風格のあるソレア。音楽のせいか、ブランカがこれまで踊ってきたソレアとは微妙に違います。
通常、舞踊でマントンをつかう場合、三角に折ってとめておくことが多く(このことも詩の中でふれられています。) 彼女もそうして使っていたと思う(今YouTubeのビデオで確認しました)のですが、ここでは折り目をつけず、四角いまま使っているのでよけい難しくなっています。大柄なエステルにあわせたのかもしれません。アンティークのマントン(だと思います)はかなり重いはずですが美しく宙を舞います。この踊りの主役はマントン。というわけで衣装も黒のシンプルなものだし、アクセサリーもからまないようにつけていません。
最後は皆の振り付けによるフィン・デ・フィエスタのブレリア。名場面集のようにそれぞれの場面の出演者によるブレリアがショーケースに並べられる感じ。最後に登場するブランカがマントンをエステルに託して去っていくのは少し寂しい感じだが、ブランカは何度も引退公演をしては舞台に戻ってきている。引き際のいさぎよさはないかもしれない。
筆者はブランカのいる日といない日、両方みましたが、いない日の方がまとまりがあったような気がします。
ビデオはこちら
21日のオーチャードで見てきたばかりです「サグアン」のタンゴでは、きっとストーリーというか設定みたいなものがあるのだろうと思ってみていましたが、解説がなかったのでこの記事で納得できました。何かそれぞれ役を演じているようで男装の方もいて何か宝塚?っぽい感じを受けてしまいましたが、主張があって一番気に入った演目でした
返信削除サグアンのタンゴ、解説なしではスペイン舞踊史の専門家でもわからないと思います。わからなくても個々のタンゴの足取りを楽しむことはできるものの、やはり、知りたくなりますよね。読んでいただいてありがとうございます。この場面の役名となっている踊り手たちは、初期のフラメンコを代表する人たちです。本当は一人一人についても詳しく説明したいのですが。。。おりをみて書いてみたいと思います。ご訪問ありがとうございました。
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