机の上をかきまぜるマリア・デル・マル。金網がはられたついたてがふたつ。
女優のうち一人がアントニア(もう一人はそのお手伝いをする親戚の娘か)なら、マリア・デル・マルもアントニアで、どちらも台詞を話す。うーん、よくわからないコンセプト。舞踊は言葉で伝えられないものを伝えるからこそのもので、フラメンコが国境をこえていくのは言葉が不要だからではないのか?
マヌエル・トーレは三人の歌い手、アントニオ・マレーナ、マヌエル・マレーナ、エル・トロ。いずれもヘレスの歌い手だが、誰も本家の響きをもたない。
アントニオのシギリージャ。黒い衣装のマリア・デル・マルが踊る。背中は丸く、顔は下向き。マヌエルのソレア。
©Festival de Jerez/Javier Fergo |
セビージャのカフェ・カンタンテ時代の思い出を女優が語る。上手にあまり高級でないマントンが飾られ、カフェ・カンタンテでのアレグリアス。歌うのはトロ。マントンをまいて昔風の衣装で踊るが、昔風に踊るわけでもない。夫である歌い手に「そんな顔するな」で歌がとまりおしまい。
©Festival de Jerez/Javier Fergo |
コルネットで聖週間のイメージ。そこにアントニオが歌うサエタ。
女優の台詞で葬式の話。葬式代払ったのはマルチェーナだったという話から、アントニオ・チャコンかマヌエル・トーレかの論戦がパルマの応酬で表現されブレリア・ポル・ソレア。
©Festival de Jerez/Javier Fergo |
「女は家で扉を閉めて足は閉じて」 という台詞が女優とマリア・デル・マルが繰り返し、金網のついたてに閉じ込められてタラント。踊っているのだが姿はほぼみえない。
©Festival de Jerez/Javier Fergo |
アントニオとトロの歌うソレアで再び踊る。
シギリージャ、ファルーカ、シギリージャ。
もともといろんな表現を持ってる人じゃないから、何を踊っても同じようにみえる。
どれもマヌエル・トーレのレパートリーではある。でも結局何がいいたい?
偉大な歌い手のうしろにいた不幸なバイラオーラがありました?
©Festival de Jerez/Javier Fergo |
最後はスペインで一般的な何段にもなったお墓への埋葬で終わる。おい。
映画的かもしれない。でもフラメンコの舞台でというのは斬新というか、複雑。墓地がフラメンコの舞台に出て来るとは想像だにしなかった。
今年のヘレスのフェスティバルは残念ながらなんとも後味の悪い、暗い幕切れとなりました。
来年は2月19日から3月5日まで。20周年、どんなフェスティバルになるのだろうか。
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