2023年9月17日日曜日

セビージャでの日本人公演『SIN FRONTERA III 』en PEÑA CERRO DEL AGUILA


9月15日セビージャのペーニャ、セロ・デル・アギラで里帰り中のパコ・エル・プラテアオ率いる日本人アーティストたちによるフラメンコ公演『SIN FRONTERA III 』

当初は野外会場が予定されていましたが、天気予報が雨ということで工場/倉庫街にある劇場の稽古場?にあるペーニャでの開催となりました。
街の東側にある、観光客とは無縁の地区。ペーニャ会員を中心に、パコと親しいアーティストたちや日本や他国からの留学生など、立ち見も出るほどの満員の会場。
9月になって涼しくなったけれど、熱気でアバニコ使って涼をとる人も。


全員が舞台に揃ったクアドロスタイルで公演開始。

トゥデラのギターでパコが歌い出す。え、シギリージャ? オープニングがシギリージャとは珍しい。

          

セビージャ留学中の岸田瑠璃。黒い衣装に燕脂のシージョというシンプルな、シギリージャらしい装い。


表情からもその真摯さが伝わってくる。



形も美しい。


シリアスで、悲劇的な曲であるシギリージャという曲の性格をちゃんと理解して踊っている、表現しているのがいい。


 続いてはカンテソロ。前回も盛んな拍手を受けていた遠藤郷子。歌うのはソレア。


落ち着いて、丁寧に難しいメロディをたどっていく。

おそらく長い時間をかけて向き合ってきたのだろう、しっかり自分のものとしている感じ。
曲の性格、意味、方向性を理解して歌っていると思える。


だから伝わる。地元の人が聴いて、外国人が歌っているということで感心する、というだけではない、カンテとして評価できるものになる。そう思う。

いや、すごいんですよ。言葉も文化も違う国の人がカンテを歌うということはそれだけですごいこと。でも、そこから一歩前に出て、外国人というフィルターなしで評価できる、たとえそれがマイナスの評価であっても、カンテとして聞いてもらえるというのが理想だと思うのですよ。
スペインから見ると日本人は外国人であることはその通りだし、それも私たちのアイデンティティ。でも一人のアーティストとして真摯にフラメンコに向き合った人はアートとして外国人だからということでゲタをはかせることなく評価されるべきなのではないかと思うわけです。そのためにクリアすべきレベルというのはやっぱりあって、そこで言語というものが関わってくる歌は舞踊やギターよりも壁が高いのかな、とも思うけど。

そして出水宏輝はタラント。
客席からの登場から、よく考えられた構成。



マルカールにサパテアード。メリハリつけて。



ただ今回はマイクがなかったので、靴音がギターや歌声をかき消してしまうのは残念。
マイクがないからと言って靴音抑えるとかも難しいだろうし、仕方ない。



そしてパコのカンテソロはファンダンゴ。




ファンダンゴはスペインの観客に人気の曲目。ファンダンゴはフラメンコのベース。タランタやマラゲーニャなども地方のファンダンゴの進化形。と言ってもこの日ぱこが歌ったのは、ウエルバの、村々に伝統のメロディがある、ファンダンゴ・デ・ウエルバをはじめ、グラナダ、ルセーナなど地名のついたものではなく、ファンダンゴ・ナトゥラレス。ナチュラルなファンダンゴ、普通のファンダンゴで、スペインでファンダンゴと言ったらまずこれをみな思い浮かべるはず。




そのメロディを創唱した歌い手の名前がついたペルソナレスというのもあるけれど、これも含めていうことも多い。この日も最後に(だったかな?)歌ったのはファンダンゴ・デ・グロリアだったし。


既存のメロディに乗せて自作の詩を歌う。



思いが伝わる熱唱に惜しみない拍手が贈られる。



最後は瀬戸口琴葉。彼女もセビージャ留学中。
ソレア・ポル・ブレリア。客席をまっすぐみるその視線の鋭さ。


しっかり場のエネルギーをコントロールしていく。







日本でも舞台経験が豊富なだけに、自信を持って踊っている。お見事。


拍手の中、パコが会場に駆けつけたアーティストたちを呼び込む。
フアン・カンタローテ、フアン・ビジャール、ホセ・アニージョ。この日セビージャに到着したばかりの田村陽子も加わり、フィン・デ・フィエスタ。







最後は全員、総立ちで喝采。





シン・フロンテーラ。国境がない。
フラメンコを愛する心には国境がない。
そう改めて感じさせてくれた公演でありました。

追記
若いアーティストが育っていっているのは嬉しい限りです。ただ今回何か足りないものがあるとしたら観客を意識するということかもしれません。
三人それぞれが今自分が踊りたい曲を踊った、歌いたい曲を歌ったという感じで、あわせものもないし、アレグリアスやグアヒーラみたいな明るい系の曲もなかったし、色々な曲でプログラムに変化をつけよう、観客を喜ばせようという視点はあまり感じられませんでした。もちろん留学中で衣装や小物に制限があるということも理解できますが、例えばフィンデフィエスタでは衣装は無理でもシージョ変えるとかエプロンつけるとかで華やかな雰囲気に変えてみるとか? また一曲がみんな長め。もっと観たかったと思わせるくらいの長さの方が印象に残るのではないかとも思います。

追記の追記
と上で、見せる視点の欠如について書きましたが今日18日に遠藤さんのfacebookに
「私は前々日に一度トゥデラと曲の相談がてら合わせをしましたが、バイレは当日にポイントの合わせのみ。
プログラムも当日決まり、バイレ伴唱はパコ一人で歌うと言っていたのですが、リハ中にお前も歌うか?と言われ急遽歌うことになりました」
とあり、そうだったのか、それじゃ仕方ないか、とおもったことでした。ある意味ぶっつけ本番のタブラオ方式にも関わらずみんなよく頑張っていたのだなあ、と。タブラオだと大抵明るい曲とシリアスな曲になっているのはタブラオ側からの要請があるんですかね。曲がかぶらなかっただけでもいいのか。ふむ。聞いてみないとわかりませんね。でももし皆さん打ち合わせや練習ができるライブの時は曲のバランスや観客の視点もぜひ思い出していただければ幸いです。それが演者の徳にもつながるはずだと思います。








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