パトリシア・ゲレーロがセビージャの演出家フアン・ドローレス・カバジェーロ“エル・チノ”と組んでの三作目。delirarが錯乱するという意味だから、ソレにdanza舞踊を組み合わせたのかな、とか思うけど、記者会見では夢を扱っていて不思議の国のアリスみたいな、なんて話をしていたけれど夢のような、シュールなイメージで綴られた作品。
©️ Archico fotográfico Bienal de flamenco / Claudia Ruiz Caro |
美しい照明(マヌエル・マドゥエニョ)、衣装(パブロ・アルボル)、よく考えられたオリジナルの音楽(監督ダニ・デ・モロン)など、作品としての完成度は非常に高く、また前作、前々作ではあまり生かされてなかった(と思う)パトリシアのムイ・フラメンコな魅力が、多少なりとも前面に出てきているのもいい。
©️ Archico fotográfico Bienal de flamenco / Claudia Ruiz Caro |
フラメンコの枠にとらわれず自由に創作した振り付けはスパニッシュコンテンポラリーもしくはダンサ・エスパニョーラ・コンテンポラネオとでもいうべきような部分が多く、繰り返される両手をするような、日本人的には手裏剣シュッという感じの動作が印象に残る。スペインではなんか特別な意味があるのかなあ、と聞くと、手を洗うというかおしまい、っていう感じの意味にもなるかも、と友達は言っていたけどさて。
©️ Archico fotográfico Bienal de flamenco / Claudia Ruiz Caro |
群舞の黒い衣装はスカートのようなパンタロンだったり、一人一人違うのだけど、軍隊のように揃った動きをしたりもしてちょっとこわいこともあったり。かと思えばユーモラスにも見えたり。
パトリの真似をする黒いダンサーは光と影のようでもあり、また自己の確立という話なのかも、とか思わせたり、貝殻の音のように聞こえるカスタネットがあったり、二人羽織じゃないけど後ろから支えられ人形のように動かされたり、いろんな要素が脈略なく出てくるけど、夢だし、な、というわけなんだけど、それってちょっとずるいような気もする。。。というのは意地悪でしょうか。。。
©️ Archico fotográfico Bienal de flamenco / Claudia Ruiz Caro |
フランス、モンドマルサンのフラメンコ祭、グラナダの国際音楽舞踊祭ですでに上演しているだけに新作の割にはねれている。群舞のダンサーたちもエバ・ジェルバブエナ舞踊団で活躍したフェルナンド・ヒメネス、アンヘル・ファリーニャ、マイセ・マルケスやセビージャのタブラオ、ロス・ガジョスによく出演しているウーゴ・サンチェスやグロリア・デル・ロサリオら七人。それぞれの見せ所もあるのもいい。
それでも好きかと聞かれると、コンテンポラリーぽいのや音楽のジャズぽいところとかちょっと飽きちゃう自分もいて、素直に頷けなかったりするのも事実。個人的な好みの問題なので作品としては高評価なので、私の好みなんてのはどうでもいいんですけどね。
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