今年の8月にメリダのローマ劇場で初演された作品で、ベースになっているのは、「リシストラータ(リューシストラテ)」、日本では「女の平和」として知られているギリシア喜劇だ。 それをもとに台本を書いたのは故ミゲル・ナロー、メデアの脚本演出をてがけた人。それをもとにホセ・カルロス・プラサという、スペインでは有名な演出家が演出し、音楽は元ケタマのフアン・カルモナ。出演はエストレージャ・モレンテ、アントニオ・カナーレス、アイーダ・ゴメスという、期待の超大作、だったのでありますが…。
foto:La Bienal |
舞台には蛍光色の足場と土嚢。激しい爆撃の音。右往左往する女たち。
犠牲者を葬る人々。そんな戦を終わりにしようと、セックス・ストをしようとよびかける。男たちは反発するが、結局は戦を終わりにする、というあらすじ。
結論からいうと非常に残念。
エストレージャ・モレンテは芝居もうまく、また熱唱でその名の通り、星のように輝いていたし、カナーレスも存在感と天賦の才能で、アイーダは見事なテクニックでみせ、と各人それぞれにがんばっていたのではありますが、それだけに残念。
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原作の喜劇性は全く感じられず、笑いをとるのは前半、女たちの集会に参加しているドラッグクィーンのカナーレスくらい。台詞も少しあるが、ほとんどは歌詞が台詞という、いわゆるミュージカル、なのでありますが、その音楽が残念。
フラメンコ、とうたっており、たしかに、ソレアやタンゴ、タンゴ・デ・マラガ(これ歌ったアントニオ・カルボネルはようござんした)、サエタ、ファンダンゴにタンギージョ、ルンバといいながら、キューバ風あり、ソウル風あり、アルゼンチンタンゴ風あり、な、ケタマ(それも安いケタマ風)というか、ちょっと時代遅れなかんじ、というか。
エストレージャが歌う歌詞はきちんとききとれるし(ミュージカルではここ重要)、とくにファンダンゴは熱唱で素晴らしかった。なのですが、女性コーラス陣の、ちょっと前の“ナウい”フラメンコ風のコーラスは歌詞もききとりずらいし、非常に残念。
結果としてエストレージャの独り舞台、という感じ。でもそれなら彼女のリサイタルでよかったのに、とも思う。エストレージャの芝居心は新発見で、誰かが彼女を主役に、舞踊の「メデア」みたいな、素晴らしい作品をつくってくれないかなあ、と思ったことでした。
振り付けはアイーダ・ゴメスで、カナーレスが協力、ということでありますが、アイーダのセクシーな踊り(という設定の踊り)は肉感的じゃないからか、私にセクシーに感じられず、ただそのテクニックにみとれるばかり。彼女のサロメやカルメンをおもいださせるのでありました。
この作品で一番私がきにいったのは、男性4人のファルーカ!クリスティアン・ロサーノ、マリアーノ・ベルナル、エドゥアルド・ゲレーロ、ホセ・マヌエル・ベニテスと、ファルーカの直前にソロでサパテアードをきかせたエドゥ以外はスペイ国立バレエ団出身で、全員高い技術をもっている。回転の美しさ、そしてファルーカらしいきめの形姿勢の美しさ。きめを、四者四様にみせるのも面白い。彼らの魅力をもっとひきだすような構成はできなかったものだろうか。これは残念な限り。
カナーレスはおかま役を楽しそうに演じ、その後、男らしい司令官役で登場するのだが、どちらもタンゴを踊る。いや、カナーレスのタンゴは好きだからいいんだけど、ね。で、同じ振りがあったりで、衣装以外の変化があまりなかったのはちょっと残念。後半はおおげさなくらいに男っぽく踊ってほしかった。ちょっと残念。
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それに加えて、脚本の問題? 演出の問題?
おそらくその両方のせい。それに加えて音楽のせいで、中途半端なミュージカルともフラメンコとも、どっちつかずな作品になっているのだ。
その上、音響の問題があったり、照明や音響のタイミングに微妙なずれがあったり、で、結局、なんとも残念な作品になったのだ。
ちなみにセビージャはおひさしぶりのトニ・マジャやエストレージャの叔母、グロボら、ベテランのいい味と、ギタリストのピリピがなぜか最後、停戦の知らせを届ける役で歌って踊って、でグラシアをみせたのはちょっと楽しかった。
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