11月26日、マリオ・パチェーコが亡くなった。まだ60歳という若さ。
写真家でレコード会社、ヌエボス・メディオス社長。
写真家としてはカマロンの「レジェンダ・デル・ティエンポ」のジャケットなどの作品がある彼が、レコード会社、ヌエボス・メディオスを創立したのは1982年。
マドリード、80年代のポップカルチャーの大きな動きである、
〈モビーダ〉の一端をにない(当時の得難い写真を多く撮影している)、
ラ・モデ、ゴルペス・バホスらのアルバムをリリース。
そして1983年にはペペ・アビチュエラ、初のソロアルバムを出している。
その流れから
パタ・ネグラ、ケタマ、
ラファエル・リケーニ、ホルヘ・パルド、トマティート、
カルロス・ベナベン、ライ・エレディア、バルベリア・デル・スール、
ドゥケンデ、ホセ・エル・フランセス、ディエゴ・カラスコ、
インディオ・ヒターノ、ラ・マカニータ、グアディアナ、
ディエゴ・アマドール、ティノ・ディ・ジェラルド、
トマシート、ポティート、ミゲル・ポベーダ、
フアン・マヌエル・カニサーレス、ホセ・ソト…
多くのフラメンコたちがこのレーベルから育っていった。
いわゆる「ヌエボ・フラメンコ」の生みの親でもある。
それまでのルス・チュンギートスやロス・チーチョスのようなルンバでもなく
よりフラメンコな、でもポップな、パタ・ネグラやケタマらの音楽に
この名前をつけることでより世界に浸透していったのだ。
お金も名もなく、でも志と夢があったフラメンコたちを、
ミュージシャンたちを支えた一人。
フラメンコの、ひとつの時代を支えた人が去っていってしまった。
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