2010年6月2日水曜日

追悼 大野一雄とフラメンコ

6月1日 大野一雄さんが亡くなったというニュースを
ツイッターで知って、しばし呆然。
103歳だったし、天寿をまっとうしたということなのだろうけど
それでもなんでもやっぱりショックだった。


世界に名高い日本発祥の“舞踏”の先駆者。
その彼がおどりはじめたきっかけがラ・アルヘンティーナだった。
1929年のことである。
帝国劇場で行われた日本で初めてのスペイン舞踊の公演。
「一目観た瞬間、私は強烈な印象、それはほとんど衝撃と行ってよいほどの印象を受けました」
友達に誘われて行った三階席。だが、
「触れるばかりの近々としたところからのようにそのすばらしかった感動が浮かんできます」

中西夏生の展覧会で「アルヘンティーナだ!」とおもう1枚に出会い、
ニューヨークの教え子からアルヘンティーナの資料が届いたことがきっかけで
1977年「アルヘンティーナ頌」初演。そのパリ公演では彼女の墓に参り、遺族の知己をもえたという。

そのビデオを観たときには驚いた。
白塗りの痩せた老爺なのに、たしかにアルヘンティーナがいるのだ。
私はアルヘンティーナを知らない。ビデオでみただけだ
でも、大野一雄のかすかな動きに、アルヘンティーナをみつけることはやさしい。
大野のアルヘンティーナへの思いが、あの動きにつながるのだろう。
今も目に浮かぶ。

あとできいたところによると、作品をつくるにあたってアルヘンティーナのビデオもみたようなので、彼の中に50年間眠っていたアルヘンティーナの姿が私がビデオで観たそれと重なったわけではないかもしれない。でも、彼のアルヘンティーナへの思いがあのかすかな動きの中に結晶して、私を鳥肌立て、涙こぼれさせたに違いない。

そんな大野のスタジオを、イスラエル・ガルバンが訪れたそうだ。
数年前には舞踏の講師をよんで彼のスタジオでクラスを開講したという。
彼の作品にも舞踏が取り入れられているし、イスラエルのアバンギャルドに舞踏の影響を指摘する人は多い。
彼だけではない。
昨秋の日本公演での、エバ・ジェルバブエナのソレアのゆっくりした動きに感動した私が
そのことを伝えると、隣にいた小島章司さんが
「あれは舞踏でしょ?」
「そう、そうなのよ!」とエバ。

80年前、船で日本を訪れたスペイン舞踊家をみて踊り始めた日本人舞踊家の舞踏に今度はスペインの舞踊家が影響を受ける。
ジプシーたちの象徴でもある大きな車輪が、
大きなわっかがくるんくるんとまわっている、そんな感じ。
なんかちょっとぞくぞくしませんか。

今夜は大野の冥福を、
大野がアルヘンティーナに再会しともに踊っていることを思って
極上のブランデーでも飲みたい気分です。
 


追伸
昨日、パリ公演中だったイスラエル・ガルバンは、その公演を彼に捧げたそうだ。

パセオ2000年7月号に大野とアルヘンティーナについての記事がある。
同じ号にイスラエルの日本公演のレビューものっている。
なんかやっぱ縁がある。

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